「私が心を病むまで」この続きを書こうと思います。

もう病気になるまでは書いたので、これからは復活までの話です。
だからタイトルを変えました(笑)。

これまでの経過を読んでから読んでくださいね。
********************************************

夫婦で話し合った結果、歩いて行ける内科での治療を私たちは選んだ。
岡田医師に賭けてみることにしたのだ。

その事を告げにいった日は、4歳の娘の幼稚園の入園式だった。

5日程前から殆んど何も食べられず、足元もおぼつかない状態ではあったが、「一人娘の入園式」、どんなに疲れきった体と心ではあっても、見たくない訳はない。

這ってでも行きたいと主人に頼み込み、歩いて行ける程の距離の幼稚園に主人の車に乗って行った。

ただただ「気力で持たせた」2時間だった、と今思い出してみるとそう思う。

担任の先生と園長先生には、母親である自分が病気療養中なので、休ませる事が多くなると思う事だけは話しておいた。

制服を着て、他の新入園児と同じように、並んで椅子にちょこんと座った娘は、言い様も無いほど可愛らしく、また不憫にも思えた。

青白い顔をして、足元の不確かな私を見た他の父兄は怪訝そうな顔をしていたが、私は入園式に出られただけで、ただそれだけで満足だった。
身なりなどかまっている余裕は無かった。

入園式から帰ると、治療を任せようと決めた内科(岡田医院)の先生のもとに夫婦2人で赴き、
「これからは、こちらで治療をお願いしたいと思います」と頭を下げた。

岡田医師は、
「こんなに奥さんが苦しんでいるのだから、僕がなんとしても治してあげたい」
と主人に向かってそう言ってくれた。

そしてその時初めて岡田医師の口から「鬱病」である事と、心療内科の薬では今の状態の私には弱すぎて効果が無い事を告げられ、新しく抗鬱剤(ルボックス)と抗不安剤(デパス)が処方された。

自分が「鬱病」。
信じられなかった。

永年内科に勤めていた自分には勿論聞きなれた病名ではあったが、まさか自分が・・・。
頭の中は真っ白だった。


その日の朝、たった一人の姉に私は電話をしていた。

「お姉ちゃん、心の病気で食事が食べられなくなったの、もう寝たきりになってるの、苦しいよ」と泣きながら話した。

「なぜもっと早くに言わなかったの」と姉も一緒に泣いてくれた。

岡田医院から帰ってほどなく姉が家にやって来た。

朝の電話でただならぬ様子と判断した姉は、仕事を休み、家族に了解を取り、私と次の日から幼稚園に通う娘の世話の為に2時間かけて姉は来てくれたのだった。

有り難かった、内心娘の事だけが気がかりだった私には救いの神のように思えた。

家のほうの心配はなくなった。
姉に任せておけば、万事上手くやってくれるだろうという安心感があったから自分の事だけ考えていれば良くなったのだ。


私に処方されたルボックスと言う薬は、発売されて間もない新薬で、外国では「ファーストチョイス」とされるほどポピュラーであり、副作用が少ない事がウリとされている。
ただ、どの抗鬱剤もがそうであるように、ルボックスも飲み始めてから効果が現れるまでに2週間近くかかる。

岡田医師からこの話は聞いていた。

だがルボックスの効果が現れるまでの2週間、私は地獄を見ることになる。



コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索