お土産お土産!
2002年10月3日叔母の買ってきてくれたお土産とは・・・?
私に・・・・ダイヤ入りピアス(おおっ!)
娘に・・・・ピンクのテディベア(チョー可愛い)
旦那に・・・メンズの香水(なんでや?)
私がアメリカ一人旅(実は過保護な5人旅)を決行した折に、叔母が何か欲しい物は無いか?食べたい物は無いか?行きたい所は・・・・、と尋ねてきたので
私は「アメリカに来たからにはピアスホールを開けたい!」と訳の判らないことを言った覚えがある。
で、エドモントンモールに立ち寄った時に、宝石店で叔母がパールのファーストピアスを買ってくれ、その店で穴を開けた。
きっとその事覚えてたのね。
お土産の小さなピアスは、私が年齢を重ねた分、ファーストピアスより落ち着いたダイヤのピアスを選んでくれたのだと思う。
娘には手触りふかふかのぬいぐるみ。
今は「ももかちゃん」と名前を付けられ、ねんねのお供をしてくれている。
旦那の香水は・・・・。
多分叔母さんったら何を買って良いか判らなかったんだと思うわぁ。(笑)
うちのおっさんはブルーカラーのお人。
香水なんて、そんな、貴方・・・、とてもとても、滅相もない、笑っちゃうわ。
多分生まれて此の方、フレグランスには縁のなかった人ではないだろか?
あの人にはトイレの芳香剤で充分。
香水つけた旦那なんて気持ち悪いわぁ。
貰った本人はもっと戸惑ってたけど・・・。(笑)
しかし何でうちにだけこんな土産があったのか?
それは多分前回の帰国の折に我が家に1週間以上滞在していたから、そのお礼の意味があったんだと思う。
前回4年前の帰国の時、叔母は孫にあたる「ジャシュア」と言う名前の11歳の男の子を伴っていた。
とても可愛く、好奇心旺盛、日本大好き!なジャシュア君を我が家のみんなはすぐ大好きになった。
当時2歳だった娘はジャシュア君を「お兄ちゃん」と呼び、良くまとわりついていたものだった。
我が家を拠点にしてあちこち親戚の家に行ったり、観光に出かけたり、目いっぱい楽しんだ2週間だったと思う。
私とも京都に行ったり、姫路城に行ったり、旦那の運転で奈良にも遊びに行った。
あ、大阪城にも案内したっけ。
思い出はここには書き切れないほどたくさんたくさんある。
帰国の際は関空で大泣きをした私。(恥)
うちの旦那がジャシュアに・・・と買ってくれた当時流行していたG−ショックの腕時計、彼はまだ持っていてくれるかな?
彼も今や高校生となり、2年後の交換留学生の募集にはすぐ応募すると言っているらしい。
欲を言えばお土産に彼の写真を一枚付けていてくれたらな、と思う。
来年叔母はもう一度帰国するそうだ。
もう一人アメリカ在住の叔母と一緒に。
多分それが最後に帰国になるだろう。
叔母達ももう還暦を迎える歳だ。
それまでにはもう少し元気になって居たいな・・・。
続きはまた・・・。
私に・・・・ダイヤ入りピアス(おおっ!)
娘に・・・・ピンクのテディベア(チョー可愛い)
旦那に・・・メンズの香水(なんでや?)
私がアメリカ一人旅(実は過保護な5人旅)を決行した折に、叔母が何か欲しい物は無いか?食べたい物は無いか?行きたい所は・・・・、と尋ねてきたので
私は「アメリカに来たからにはピアスホールを開けたい!」と訳の判らないことを言った覚えがある。
で、エドモントンモールに立ち寄った時に、宝石店で叔母がパールのファーストピアスを買ってくれ、その店で穴を開けた。
きっとその事覚えてたのね。
お土産の小さなピアスは、私が年齢を重ねた分、ファーストピアスより落ち着いたダイヤのピアスを選んでくれたのだと思う。
娘には手触りふかふかのぬいぐるみ。
今は「ももかちゃん」と名前を付けられ、ねんねのお供をしてくれている。
旦那の香水は・・・・。
多分叔母さんったら何を買って良いか判らなかったんだと思うわぁ。(笑)
うちのおっさんはブルーカラーのお人。
香水なんて、そんな、貴方・・・、とてもとても、滅相もない、笑っちゃうわ。
多分生まれて此の方、フレグランスには縁のなかった人ではないだろか?
あの人にはトイレの芳香剤で充分。
香水つけた旦那なんて気持ち悪いわぁ。
貰った本人はもっと戸惑ってたけど・・・。(笑)
しかし何でうちにだけこんな土産があったのか?
それは多分前回の帰国の折に我が家に1週間以上滞在していたから、そのお礼の意味があったんだと思う。
前回4年前の帰国の時、叔母は孫にあたる「ジャシュア」と言う名前の11歳の男の子を伴っていた。
とても可愛く、好奇心旺盛、日本大好き!なジャシュア君を我が家のみんなはすぐ大好きになった。
当時2歳だった娘はジャシュア君を「お兄ちゃん」と呼び、良くまとわりついていたものだった。
我が家を拠点にしてあちこち親戚の家に行ったり、観光に出かけたり、目いっぱい楽しんだ2週間だったと思う。
私とも京都に行ったり、姫路城に行ったり、旦那の運転で奈良にも遊びに行った。
あ、大阪城にも案内したっけ。
思い出はここには書き切れないほどたくさんたくさんある。
帰国の際は関空で大泣きをした私。(恥)
うちの旦那がジャシュアに・・・と買ってくれた当時流行していたG−ショックの腕時計、彼はまだ持っていてくれるかな?
彼も今や高校生となり、2年後の交換留学生の募集にはすぐ応募すると言っているらしい。
欲を言えばお土産に彼の写真を一枚付けていてくれたらな、と思う。
来年叔母はもう一度帰国するそうだ。
もう一人アメリカ在住の叔母と一緒に。
多分それが最後に帰国になるだろう。
叔母達ももう還暦を迎える歳だ。
それまでにはもう少し元気になって居たいな・・・。
続きはまた・・・。
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