父の事4

2001年2月25日
アルコール依存症の専門病院は、実家から車で40分ほど走った山の中にありました。

周りに人家や商店などは一切なく、陸の孤島のような所です。
こんな所でなくては、理性を失った人達はどんな事をしてでもお酒を買いに行ってしまうんだと言う事実を突き付けられたような気がしました。

入院の手続きなどは姉が一人で全部してくれた為、私が訪れた時には入院からかなりの日数が経っており、父の様子もすっかり落ち着いたように見えました。

主治医の先生に父の病状の説明を受けたのですが、
アルコール依存としては父はかなり軽症の部類に入り、本人次第ではあるがかなり高い確率で完治する事が期待できるとの事でした。

ただ家に帰っても一人暮らしを続ける事は可能ではあるけれど、周りの注意と支えが必要であると言う事も言われました。

淋しいから、暇だから、話し相手がいないから、
それで飲むのだとしたら、そういう環境をなるべく造らないような周りの配慮が必要だと言う事です。

私達は頭を抱えます。

それは一緒に住んでいないと殆ど不可能に近いことだと思えたのです。

とにかく、お酒に逃げない強い意思を父に持ってもらうことを期待するしかありません。

入院から一ヶ月、主人の仕事の都合で留守の実家に居候していた私のところに、一度試しに外泊させてみようと言う話が持ち上がりました。

一泊だけですが、外の自由な環境で本当にお酒を我慢できるかを見てみると言うのです。

一泊だけと言う事で、私たちも大丈夫ではないかと思っていたのですが、その日に限って娘が熱を出し、病院に連れて行ったり世話をしたりで、あまり父の側にはいてあげられませんでした。

それでも久しぶりに私たち家族と食事をし、孫である私の娘と遊んだりして、翌日父は主人の車で病院に戻っていきました。

父を送り出した後、掃除をしながら父の部屋をそれとなく探ってみた所、開けてからまだ日の経たない缶ビールの空き缶が2つ見つかったのです。

姉に電話をし、すぐにそれを見てもらいました。

やっぱりね、という思いと、裏切られた思い、その両方の思いが交錯します。

ここを踏ん張れば退院にこぎつけられると言う事も知っていながら、我慢できない父。

姉はがっかりした様子で重い受話器を取り、病院に事の次第を報告しました。

父にも缶ビールの事は問いただしたようです。

でも、悪いとは思っていたけれど、缶ビールなら構わないだろうと思ったと弁明したそうです。

自分が何のために病院に入っているかも、また忘れていました。
肝臓が悪いからだと思っていたそうです。

父の入院は思いのほか長くなったのです。


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