父の事5

2001年2月26日
父が禁断症状を起こして、救急車で病院に運ばれたのは2月のことでした。

冬が終わり春を見送り、夏に父は退院してきました。

お酒のすっかり抜けた父は、ピンク色の頬をしてすっかり元気を取り戻して家に帰ったのです。

退院時の話では80%の人がまたお酒におぼれるようになるとか・・・、何より本人の意思が一番肝心であるが、家族の支えも必要であると言う事でした。

本人の弁は、
「これからのわしを見てくれたら判る!」
と言う頼もしいと言うか、なんだかおかしな言葉でした。

姉が頻繁にのぞいてくれるとは言え、一日の大半は一人で過すわけですから、病院からはお酒を飲むと吐き気がする薬と言うものが処方されていました。

父にそういう薬であると言う事は話しませんでしたが、長い病院生活で多分そういう薬が出されるであろうと言う事は、同室の患者さんから知らされていたでしょう。

始めのうちは姉の目の前で飲まされていましたが、姉が来ない日は飲まないことが多かったようです。

しばらくしてから、私は姉からの電話で父がお酒を飲んでいることを知らされました。

姉もそれに気がついた時に「あれほど止めると誓ったのに!」、と父に詰め寄ったようですが、やはり父は覚えていなかったのです。

自分が何のために入院したかも、その前に禁断症状で入院した事も・・・。

また一から説明です。

姉は紙に書いて、何時何が起こって入院したか、どんな様子だったか、アル中を治す為に長い間入院したのだと言う事、それらを細かく説明しました。

そしてその時は「もう酒はやめる!」、と言う誓いを立てるのですが、2日もしないうちにろれつの回らない口調の電話は掛かってきました。

姉も私も、父に振り回される事に疲れていました。

半ば諦め気味に、それでも時々は様子をみに行ったりもしたのですが、この頃から父の話には嘘が多くなっていました。

それはお酒に関する事だけではなく、日常生活について、お金に関して、殆どすべての話に嘘が見えるようになっていました。

お金遣いも派手になりました。

元々財産があったわけではないのですが、退職金、田舎の家を売ったお金、保険の払戻金、少しばかりの蓄えはあったようです。

気がついたとき、それらのお金は消え、かわりに家にはおびただしい健康食品、健康器具、新しい電化製品、新しい車などがあったのです。



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