父の事6

2001年3月7日
父がどんなに買い物をしたって、それは父のお金で買ったもの、私たちに口出しは出来ない。
そうは判っていてもやはり父の買い物依存は私たちの目に余るものでした。

時々は釘を刺しては見るものの、それは止められないようでした。

「物を買って手に入れる」と言う事でしか満足感が得られなかったのでしょう。
その他に何も幸せと言える事がなかったのかもしれません。

その頃でしょうか、私が発病したのは。

その時点ではまだ何の病気かは判っておらず、ただめまいがひどく寝たり起きたりを繰り返していました。

当時2才の子供の世話も満足に出来なかったので、主人が留守をする時は、姉や主人の母に応援を頼む事もしばしばありました。

ある時主人が一週間程仕事で家を空けることになり、その時は誰も手が開いておらず、父に来てもらう事になったのです。

私としても父ではいささか心もとなく思いましたが、娘の世話と病院に行く間の留守番を頼むだけでもと思い、父は我が家にやってきました。

我が家に来て3日目くらいのことでしょうか、夕食を終え、私は布団で横になっていたのですが、洗い物をしている父の様子が変なのです。

「おとうさん!」
大きな声で呼びましたが返事はありません。

「おとうさん、大丈夫?」
何度か呼んで近づこうとした時、父が水浸しのざるを持ったままこちらに歩いて来、そのまま横倒しに倒れたのです。

私も娘も驚いて父を抱き起こそうとしましたが、「あうっあうっ」と言いながら口から泡を吹き、体は痙攣が始まっていました。
意識はありません。

脳の病気かも知れないけれど、またお酒の禁断症状かもと思い、急いで姉に電話をし症状を伝えました。

姉は私の話を聞いて、お酒の禁断症状だと思うから心配ない事と、10分ほどで意識は戻ると思うけれどそうでない場合はもう一度電話をしてくるようにと言い、その場は一旦電話を切りました。

姉の言葉どおり10分程すると父は自分で立ち上がり、また台所に歩いて向かおうとしました。

でも私は父の手をひき布団に寝かせ、その日はそのまま休むように言いました。
発作の事は判らないようでしたが、とにかく寝るようにと言うとおとなしくそのまま寝てくれました。

突然の事で動揺はしましたが、姉はこの発作を何度も見ているらしく心配はないという事でしたので、とりあえず朝まで様子を見ることにしたのです。

翌朝、父は早くから起き出し自分でコーヒーを入れて飲んでいました。

でも「旦那さんは朝早くに仕事に出ていったんやなぁ」と頓珍漢な事を話します。

「仕事で1週間留守にするから、お父さんが来たんでしょうが」というと、
「そうやったかいなぁ」とやはり判っていないようでした。

午前中に姉が駆けつけてくれ、一連の話を聞き、やはり禁断症状だろうと言う話になりました。

父は我が家に来てすぐに酒パックを3個買ってきていたのですが、一日目に1個飲んだだけであとの2個は買い物袋に残ったままだったのです。

きっと買って来た後どこに置いたのか忘れてしまったのでしょう。
けれど私に尋ねる事も出来ず、そのまま飲まずに居てアルコールが切れて発作を起こしたのです。

姉の話ではこの発作を起こす回数はどんどん増えていると言う事でした。

父はその日姉に連れられて帰っていきました。

その後もこの発作は長い間続きました。

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