父の事7

2001年3月11日
父が禁断症状の発作を起こしながらも一人で暮らして行かないといけないと言うのは、他人様から見ればとても可哀想な事なのかもしれませんね。

一人で生活させればお酒に走ると言う事が解っていながら、それでも引き取って一緒に暮らさないなんて、と思う人も沢山居たと思います。

それでも私たちにはそう出来なかった・・・それは私たちの罪であり自分達の生活を守りたいがゆえの我がままだと言われても仕方ありません。
本当にそういう部分もあったのですから。

姉には4人の子供が居ます。
丁度今一番上の子は専門学校に、2番目の子もこの春から専門学校に進学します。
3番目は中学生、4番目はこの春から小学校に上がります。
今が一番学費がかかる時期です。

姉が働かないと子供達に彼らが望む教育を受けさせる事は出来ないでしょう。
夫婦と4人の子供達、それに同居している姑。
6人分の家事をこなしながら働きに出ている姉にこれ以上の荷は負わせられません。

私とて鬱病と言う大きな荷物と、4歳の子供を育てる事で精一杯です。

ここに父親を背負う事は「共倒れ」と主治医にも言われました。

という訳で、私達の考えた父の処遇は、「いずれは老人保健施設へ」と言うものでした。

この言葉は姉妹の胸の中にはずっと前からありましたが、どちらもその言葉を言い出すことが出来ずに居ました。
ずっと2年間も・・・。
今年に入って父の様子が悪い方へ転がって行くまでです。

それまではそれなりに良い時期と悪い時期を繰り返しながら、何とか一人で暮らしていた父でしたが、正月が過ぎた辺り、父の記憶力があやふやになり、昼間でもお酒の匂いをさせている事が多くなったと姉から連絡がありました。

前日に話した筈の事柄が次の日には全く記憶から抜け落ちていたり、全く違う内容に摩り替わったりし始めたのです。

きれいな話ではないのですが、トイレの方も失敗が多くなっているようでした。

おしっこが漏れてズボンを濡らしていても気が付かなかったり、布団の中で漏らす事もあったようです。

そして2月、とうとう入院をさせざるを得ないところまで父の病状は悪くなっていきました。

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