出産記念日?
2001年6月5日昨日の続きである。
旦那が居なくなった一人の部屋で私はのたうち回っていた。
極度の痛みは人間の精神状態をおかしくさせるらしい。
子供を産むと言う本来の目的などどうでも良くなるのだ。
「このまま死にて〜」と窓から下を見下ろしたりしてみたが、ここは2階、死ねるはずも無い。
本当に「殺してくれ〜!」の痛みなのだ。
2時間に一度くらいは看護婦さんが様子を見に来るが、子宮口の開き具合を見だけで、「ああ、まだですね〜」と言ってすぐに詰め所に戻ってしまう。
殆んど一人ぼっちである。
陣痛は1分間隔。
つまり1分激痛が来て、1分休みがある。
そのわずか1分の休みの間に、なんと自分は眠ってしまっ手いることに気付いた
。
1分間うめきながらのた打ち回り、痛みが切れると同時に寝てしまうのだ。
この寝つきの速さはギネスものだと思う。
我慢もいつか限界が来る。
痛みに耐え切れなくなった私はついにナースコールを押した。
しかし痛いというだけでは「痛いのは当たり前!」とあしらわれるのは解っているので、小ずる賢い私は「気分が悪いんですぅ〜」と嘘をついて看護婦さんを呼びつけた。
とっとと分娩室に行かせて貰いたかったからだ。
分娩台に上がってしまえば何として貰えるんじゃないかと朦朧とした頭で考えたのだ。
作戦成功!
看護婦さんは「じゃぁまだ早いんですけど分娩室行きます?」と聞いて来た。
無言でうんうんとうなずき、陣痛の合間を縫って分娩室まで・・・・、なんと!歩かされたのだ。
普通「ストレッチャー」位乗せてくれるんじゃないの?ねぇ・・・(涙)
分娩室までよろよろと歩き、やっと分娩台に上がった頃にはもう口を利く元気も残っていなかった。
その頃自宅の旦那のところには、産院から分娩室に入ったと言う電話が掛けられていた。
立会い分娩を希望していた旦那は急いで産院へやって来た。
がっ!
なんと旦那のみならず、姉とこれまた全く役に立たない事が解っている筈の親父までが一緒にくっついて来たのである。
深夜2時頃だよ〜。
寝てろよ親父〜。
何しに来たんだよ〜。
看護婦さんにもやんわりと嫌味を言われた。
分娩室には緊張の塊と化した旦那が入って来たが、何の役にも立たないのはこっちも解っている。
「茶!」と私が言うとストロー付き水筒を私の口元に持ってくるだけの為にそばに居るようなものだ。
陣痛の間隔はさらに短くなり、もう殆んどず〜っと痛い状態である。
もうそろそろかな?と思った瞬間、看護婦さん達は「授乳の時間ですのでちょっと行ってきます。ご主人よろしくね」と言って、一人残らず分娩室から居なくなったのである。
旦那と2人きりの分娩室。
どうしろというんだぁっ〜〜〜〜〜!
「ヒッヒッフー」「ヒッヒッフー」
旦那が一人で呼吸法をやっている。
・・・・・あんたが産んでくれるのか?
分娩室のドアの外からは姉と親父の叱咤激励の声が聞こえる。
もうどうにでもしてくれ・・・・。
続きは明日に。
旦那が居なくなった一人の部屋で私はのたうち回っていた。
極度の痛みは人間の精神状態をおかしくさせるらしい。
子供を産むと言う本来の目的などどうでも良くなるのだ。
「このまま死にて〜」と窓から下を見下ろしたりしてみたが、ここは2階、死ねるはずも無い。
本当に「殺してくれ〜!」の痛みなのだ。
2時間に一度くらいは看護婦さんが様子を見に来るが、子宮口の開き具合を見だけで、「ああ、まだですね〜」と言ってすぐに詰め所に戻ってしまう。
殆んど一人ぼっちである。
陣痛は1分間隔。
つまり1分激痛が来て、1分休みがある。
そのわずか1分の休みの間に、なんと自分は眠ってしまっ手いることに気付いた
。
1分間うめきながらのた打ち回り、痛みが切れると同時に寝てしまうのだ。
この寝つきの速さはギネスものだと思う。
我慢もいつか限界が来る。
痛みに耐え切れなくなった私はついにナースコールを押した。
しかし痛いというだけでは「痛いのは当たり前!」とあしらわれるのは解っているので、小ずる賢い私は「気分が悪いんですぅ〜」と嘘をついて看護婦さんを呼びつけた。
とっとと分娩室に行かせて貰いたかったからだ。
分娩台に上がってしまえば何として貰えるんじゃないかと朦朧とした頭で考えたのだ。
作戦成功!
看護婦さんは「じゃぁまだ早いんですけど分娩室行きます?」と聞いて来た。
無言でうんうんとうなずき、陣痛の合間を縫って分娩室まで・・・・、なんと!歩かされたのだ。
普通「ストレッチャー」位乗せてくれるんじゃないの?ねぇ・・・(涙)
分娩室までよろよろと歩き、やっと分娩台に上がった頃にはもう口を利く元気も残っていなかった。
その頃自宅の旦那のところには、産院から分娩室に入ったと言う電話が掛けられていた。
立会い分娩を希望していた旦那は急いで産院へやって来た。
がっ!
なんと旦那のみならず、姉とこれまた全く役に立たない事が解っている筈の親父までが一緒にくっついて来たのである。
深夜2時頃だよ〜。
寝てろよ親父〜。
何しに来たんだよ〜。
看護婦さんにもやんわりと嫌味を言われた。
分娩室には緊張の塊と化した旦那が入って来たが、何の役にも立たないのはこっちも解っている。
「茶!」と私が言うとストロー付き水筒を私の口元に持ってくるだけの為にそばに居るようなものだ。
陣痛の間隔はさらに短くなり、もう殆んどず〜っと痛い状態である。
もうそろそろかな?と思った瞬間、看護婦さん達は「授乳の時間ですのでちょっと行ってきます。ご主人よろしくね」と言って、一人残らず分娩室から居なくなったのである。
旦那と2人きりの分娩室。
どうしろというんだぁっ〜〜〜〜〜!
「ヒッヒッフー」「ヒッヒッフー」
旦那が一人で呼吸法をやっている。
・・・・・あんたが産んでくれるのか?
分娩室のドアの外からは姉と親父の叱咤激励の声が聞こえる。
もうどうにでもしてくれ・・・・。
続きは明日に。
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