出産記念日?

2001年6月6日
「ヒッヒッフー」「ヒッヒッフー」。
これはラマーズ法の呼吸法である。

分娩台の右後ろに居る旦那は、相変わらず陣痛のたびにこの掛け声を掛けてくる。

深夜2人きりの分娩室、旦那のヒッヒッフーの声だけが響いていた。
はっきり言ってこれは不気味だ。

当の本人は痛さに耐えかね、もうとうにそんな呼吸法などどうでも良くなっていると言うのに。

と、看護婦さん達が新生児室の授乳を終え帰ってきた。

「どうですかぁ〜?」のんきに声を掛けてきた助産婦さんが、私の様子を見たとたん「急いで先生呼んできてっ!」と看護婦さんに指示をした。

どうやら授乳時間の間に私のお産は急ピッチで進んだらしい。

助産婦さん達がにわかに臨戦体勢に入った事で、それが予想外の進み方だった事が解った。

それまで力を入れてはいけないと言われていたのに、いきなり「はいっ、いきんでー!」である。

おいおい、そりゃないだろー、今まで放っといたくせにー。

それでも言われるがままにいきむと、「○時○分、破水!」とか言われる。

もう疲れきっていた私は「あと何回いきんだら産まれるんでしょ?」とお馬鹿な事を聞いた。

「あと1回頑張ったら産まれるよ」
一体いつからそこに居たのか、先生がそう言った。

一回かぁ、そんじゃ死ぬ気で頑張るかと次の陣痛で思いっきりいきんだら、ツルンとなにかが出てきた。

「産まれましたよー」
「女の子ですよ」

看護婦さんの一声で一気に場が和んだ。
3032グラム、五体満足、元気な女の子だった。


やっと終わった・・・これが私の正直な気持ちだった。

あーこれで痛いのから解放されたという安堵感と、私でも産めたぞという驚きの気持ちはあったが、感動で涙が出ることも、嬉しさで笑う事も無かった。

後で聞いた話だが、旦那はこのとき感極まって泣いていたらしい。

陣痛が始まってから24時間、ようやく私の戦いが終わった。


しばらくしてきれいにお風呂で洗ってもらった子供が私の胸の上に置かれた。

可愛い我が子と初めてのごたいめ〜んである。

暖かくずっしりと重い可愛い我が子。

がっ、その顔は旦那のカラーコピーであった。

十月十日お腹の中で育て守り抜き、24時間苦しんで生んだ母親の私にはまるっきり似ず、いい思いだけして、何の痛みも感ずる事無くクロスワードパズルに興じていた男にになぜ似ているのか。

遺伝子の問題とは解っていても、はっきり言ってこの理不尽にはムッときた。

しかし当の旦那は「ミュウに似てるね〜」と私に言い放ったのだ。

きっとその場にいた全員が、顔をブンブン振っていたに違いない。
それほどに我が娘は旦那にそっくりだったのである。


あの役に立たない親父は有頂天。
何度も新生児室に行っては子供の顔を眺めていた。

姉はよく頑張ったねと言い、動けない私の身の回りの世話をしてくれていた。

こうして我が家の一人娘は、皆に歓迎されて産まれて来たのである。

夜が明けた。

私にとって人生で一番長い夜だった。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索