ホントウノココロ
2001年11月5日今日は心療内科の受診日。
毎度ながらひいひい言いながら自転車をこいで、坂の上の病院まで順番取りに行った。
今日は3番目をGET!
一人20分診察を受けるとして9時40分辺りかな?と予想をつけ、一旦家まで戻る。
帰りは楽なもんだ。
きゃ〜〜〜!と言いながら一気に坂を自転車で走りおりていく。
あ、、、、快感! うふ♪
再度病院に行くときにはまた着物に着替えて。
今日は渋めの赤のウール。
すぐに順番が来てここ2週間の事を慶子先生に話すと、やはり今の私はちょっとハイ(軽躁)な状態にあるといわれた。
2週間の間に何度も着物を着て出かけては買い物をし、その額はもちろん支払える額だとしても○万円位だと話すと、やはりそれは正常な精神状態ではないらしい。
「それにしてもミュウさんの鬱は良い状態と悪い状態の周期が短く、波が大きいわねー」と半ばあきれ気味に言われてしまった。
慶子先生とところの他の鬱病の患者さんは、もっとその周期が長く、波のふり幅も小さいらしい。
私は自分自身「キング・オブ・鬱」(典型的な鬱の意)だと思ってきたのに、どうもアウトロータイプらしい。
とりあえず暴走しそうな躁状態を落ち着かせるため、安定剤が新たに処方されてしまった。
プラス、気分をUPさせるための抗鬱剤は量を控えるようにとの事。
気分をUPさせるために自分なりに考え、してきた数々の事は無駄だったという事か?
自分の体ながらコントロールは難しい。
期待していた障害年金受給の為の診断書は、まだ出来上がっていなくてちょっと残念。
次回のお楽しみ。
順番を取ったあと、2度目に病院に向かう時はいつもバスを利用するのだが、停留所で待っている時に後ろから「ミュウさん?」と声を掛けられた。
振り返ると「母友」の淑子さん。
彼女は幼稚園の若いお母さん方の中で唯一人、私と「同い年」。
若いお母さん方の中でちょっと気後れしていた2人はすぐに仲良くなり、一緒に「フラワーアレンジメント」なぞを習ったりしている。
着物姿を見てすぐに私と判ったようだが(笑)、なぜここに?
彼女の家はここからはかなり遠い。
???と思っていると、
「レンタルビデオを返しに来たんだけど、今自転車に乗れないからさっ」と何気にお腹をさする。
「え!! お・め・で・た?」
にっこり微笑む淑子さん。
瞬間、全身の血が逆流しそうな感覚に襲われた。
体全身が「羨ましい」と表現しているかのように。
あるいは「嫉妬」しているのかもしれない。
子供は一人、そう決めたのは自分。
納得しているはずだった。
でも実の所は、心の奥底に無理やりねじ伏せるように摺込ませた考えだったのかもしれない。
鬱病と言う病気ゆえ、催奇性の高い薬を飲みつづけなくてはならず、もう子供は望めない自分をなだめる為の偽りの意思。
そのまま話し続けていれば泣き出すところだったろうが、上手い具合にバスが来て話はそこでおしまいになった。
「おめでとう!」
大きな声で彼女に声をかけてバスに乗り込んだが、心の動揺は治まらなかった。
慶子先生にもその話をしたが、「一人産んだんだから上等よ」と慰めの言葉とも取れる言葉を貰った。
でも以前釈然としない物がある。
子供を産みたいと思う心は女としての本能なのだろうか?
産めない自分に対しての悔しさから湧き出てくる気持ちなのか?
確かなのは「もう一度小さな子供を抱きたい」と言う素直な気持ちを、依然自分が持ち続けていると言う事実だけだ。
毎度ながらひいひい言いながら自転車をこいで、坂の上の病院まで順番取りに行った。
今日は3番目をGET!
一人20分診察を受けるとして9時40分辺りかな?と予想をつけ、一旦家まで戻る。
帰りは楽なもんだ。
きゃ〜〜〜!と言いながら一気に坂を自転車で走りおりていく。
あ、、、、快感! うふ♪
再度病院に行くときにはまた着物に着替えて。
今日は渋めの赤のウール。
すぐに順番が来てここ2週間の事を慶子先生に話すと、やはり今の私はちょっとハイ(軽躁)な状態にあるといわれた。
2週間の間に何度も着物を着て出かけては買い物をし、その額はもちろん支払える額だとしても○万円位だと話すと、やはりそれは正常な精神状態ではないらしい。
「それにしてもミュウさんの鬱は良い状態と悪い状態の周期が短く、波が大きいわねー」と半ばあきれ気味に言われてしまった。
慶子先生とところの他の鬱病の患者さんは、もっとその周期が長く、波のふり幅も小さいらしい。
私は自分自身「キング・オブ・鬱」(典型的な鬱の意)だと思ってきたのに、どうもアウトロータイプらしい。
とりあえず暴走しそうな躁状態を落ち着かせるため、安定剤が新たに処方されてしまった。
プラス、気分をUPさせるための抗鬱剤は量を控えるようにとの事。
気分をUPさせるために自分なりに考え、してきた数々の事は無駄だったという事か?
自分の体ながらコントロールは難しい。
期待していた障害年金受給の為の診断書は、まだ出来上がっていなくてちょっと残念。
次回のお楽しみ。
順番を取ったあと、2度目に病院に向かう時はいつもバスを利用するのだが、停留所で待っている時に後ろから「ミュウさん?」と声を掛けられた。
振り返ると「母友」の淑子さん。
彼女は幼稚園の若いお母さん方の中で唯一人、私と「同い年」。
若いお母さん方の中でちょっと気後れしていた2人はすぐに仲良くなり、一緒に「フラワーアレンジメント」なぞを習ったりしている。
着物姿を見てすぐに私と判ったようだが(笑)、なぜここに?
彼女の家はここからはかなり遠い。
???と思っていると、
「レンタルビデオを返しに来たんだけど、今自転車に乗れないからさっ」と何気にお腹をさする。
「え!! お・め・で・た?」
にっこり微笑む淑子さん。
瞬間、全身の血が逆流しそうな感覚に襲われた。
体全身が「羨ましい」と表現しているかのように。
あるいは「嫉妬」しているのかもしれない。
子供は一人、そう決めたのは自分。
納得しているはずだった。
でも実の所は、心の奥底に無理やりねじ伏せるように摺込ませた考えだったのかもしれない。
鬱病と言う病気ゆえ、催奇性の高い薬を飲みつづけなくてはならず、もう子供は望めない自分をなだめる為の偽りの意思。
そのまま話し続けていれば泣き出すところだったろうが、上手い具合にバスが来て話はそこでおしまいになった。
「おめでとう!」
大きな声で彼女に声をかけてバスに乗り込んだが、心の動揺は治まらなかった。
慶子先生にもその話をしたが、「一人産んだんだから上等よ」と慰めの言葉とも取れる言葉を貰った。
でも以前釈然としない物がある。
子供を産みたいと思う心は女としての本能なのだろうか?
産めない自分に対しての悔しさから湧き出てくる気持ちなのか?
確かなのは「もう一度小さな子供を抱きたい」と言う素直な気持ちを、依然自分が持ち続けていると言う事実だけだ。
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