鬱?

2001年12月19日
今日は朝から調子が悪かった。

胸の中に何かが詰まっている感じ。
正体は多分「不安」。

おまけに動悸がするもんだから、一旦は起き上がったもののやはり気分が悪くて炬燵布団にUターンしてしまった。

幼稚園に出かける娘の世話も満足に出来なくて、ただ発作が治まるのをじっと待つしかなかった。

情けない・・・。

その横で、私が指示は出すものの着々と娘の支度を手伝い、自分も出かける準備をする旦那。

早めに家を出なければならない旦那に代わり、今日は私が娘を送って行くはずだった。

「行ってくるね」と一度は出掛け様とした旦那だったが、私の様子から娘を送っていくのは無理だろうと判断したらしく、出勤時間を遅らせて娘を送って行ってくれた。

ありがたい&自分が情けない。

2人が出かけた後、発作は一時間もすると治まり、薬を多めに飲んでしばらく眠ると気分も落ち着いた。

まさに出鼻をくじかれた一日。
チクショー!


発病時に比べると確かに出来る事は多くなり、生活に不自由を感じる場面は大幅に減ってきてはいるが、こういう発作が起きる度に「やはり自分は精神障害者なのだ」と言う思いが強くなり、落ち込む。

またこの病気を持って年を越すのかと思うと、その思いは一層強まる。

まだまだ体調に波はあるものの、笑って話は出来るし、人込の中に出かけるにももう不自由はないが、小さなつまづきがすぐに心の大きなダメージになる。

良い例えがこの間の「コンピューターウィルス感染事件」。

「貴方のせいじゃないんだから気にしちゃいけないよ」と何人の友人に励まされただろうか。
それでもまる1日、自責の念から立ち上がれなかった。

そのまま鬱地獄に落ちなかったは不幸中の幸いだったが、危うい所までは行った。

そういう場面に出くわした時、心のコントロールが上手くできるようにという考えだろう、この間から心療内科の慶子先生の治療の方向性が変わった。

「それでそういう時どうしたらいいと思う?」
と言う問いが私に多く向けられるようになった。

しかし今の私にはまだ「解かりません」としか言えない。

アクシデントに出くわした時の対処法は、自分で答えを導き出さねばならない事位は解かっているつもりだが、その答えが私にはまったく見えてこない。

旦那は私の症状が落ち着き、昔の私を取り戻していく事を望んでいるようだが、昔のままの私ではきっと病気は治らない。

一旦は良くなったとしても、またいつかきっと壊れてしまうと思う。

そうならない為にも「一歩その先の自分」を見つけなくては・・・。

でもその「1歩先の自分」ってどんな私なんだろう?


薬による治療だけでなく、カウンセリングによる治療が始まったと言う事は、精神状態が落ち着いてきたと慶子先生には見えるということか?

まだ治療は始まったばかり。
焦りは禁物と自分に言い聞かそう。

自分探しの長い旅はこれから始まるんだ。


コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索