BON

2002年8月13日
今年もまた「人類大移動」の時期がやって来た。
もうすでに下りのラッシュのピークは過ぎたらしいが、上りのラッシュもあるんだよな・・・。

我が家も主人の母からお伺い電話が入った。

「具合悪いんかなと思ってな、ちょっと電話してみたんやけど留守やし、病院でも行ってるんかと思ったわ」

ま、話の始めはこんなもんでしょ、本題までが長いお方なので・・・。

「あーすみません、点滴しに病院行ってたもので」
こちらも応酬。

「やっぱりなぁ・・・、それで具合の方は・・・・」
以下省略。
とぉーーーーっても長いので。

「で、お父さん(息子の事ね)はいつからやすみなん?」 

ほらおいでなすったぞ。

この時期に掛かってくる電話はいつもこれである。
盆の帰省時期と、何泊してくれるのかが気になって仕方ないらしい。

時期に我が姉からも同じ内容の電話が掛かってくるだろう。

待っててくれる人が居るのはありがたい。
でも今の私にはそれがとても苦痛。

でもそこに私の居場所はない。
甘えられる人はなく、くつろげる場所もない。

もちろん先祖の墓はそこにあるのだから、墓参りに行かないといけないのは解っている。
私もそこへは行きたい。

もう一箇所父親がお世話になっているホームに行ければ私はそれでもういい。

半日もあればすんでしまうこと。

後は所在ない時間が過ぎていくだけだ。

この町は私が幼稚園から結婚するまで過ごした懐かしい町のはずなのに、心はもう一つの町に向いている。

私が生まれた町。

日本海に面したとても小さな漁師町。
心はこの町に帰りたがっている。

誰かが呼んでいるような、引きずられるような感覚で。

墓はこちらの勝手で今の場所に移してしまったけれど、魂はまだみんなあっちにいるのかも知れないね。

ここが故郷。
友達の一人としていないけれど、住んでいた家は駐車場になっているけれど、今は疎遠になってしまった親戚しか居ないけれど、それでも故郷。

16日にはここで大文字の送り火を見たい。

バカも風邪をひく

2002年8月7日
医者に行った。

結論から言うと「夏風邪」だそうだ。

胃痛には以前からひぃひぃ言わされているが、ビデオライブの翌日、夕方から「腹痛&ゲリピー」でのた打ち回った。

元々病気の宝庫のような人なので、一応一通りの薬は持ってはいるが、そんなもんじゃぁ効かないくらい今回のやつはヘビーだった。

だってゲリピーで夜寝られないなんてのすごいじゃんよ。
尾篭な話で申し訳ないが、ほんとにパンツあげてる間がないほどなんだもん。

で、へとへとになった私を見るに見かねた旦那が、朝になって仕方なく医者に連れて行ったと。

「夏風邪ねぇ」
慶子先生。


脱水症状が懸念されるっちゅうんでまた点滴。
うーーーー、この夏何回目の点滴だろ。

おまけに血管が見つからないからって手の甲に針刺された。
人間の神経は先に行くほど敏感なんだって知ってる?
痛いわよ!あたしだって人造人間じゃないんだから!
何とか肘のうちっかわの血管探してよ!もおっ。

こんなに文句たれてるくせして、点滴の間、また寝てしまった私って・・・。

30分後、「お大事に〜」の声を背中に病院のドアを出たときには、私の手の中には11種類の薬が入った薬袋があったとさ。

覚えらんないわよっ、11種類の飲み方なんて!

でも薬袋の中から、薬の飲み方を書いた慶子先生手書きのメモが出て来て、ちょっと笑ったわ。

「下痢に良く効くお薬です、しっかり飲んでみましょう。」
のあとに、赤い”はぁとマーク”付き。

いつもの頓服の飲み方には
「随時使ってくださいネ」

この「ネ」が良かった。

もう50はとっくに過ぎてると思われる慶子先生。
かなりお茶目である。


おかげさまで、薬が効いたのか、絶食が効いたのか、快方に向かいつつあるが、またしても「食養生」生活に突入である。

今日も娘の食らう肉を横目にじゃがいもを食らう私である。


あーーーー、ビール飲みたいよぉぉぉぉぉ!


びでおらいぶ

2002年8月5日
何でわざわざ劇場に足を運んでまで「ビデオ」を観るのだろう?
そうお思いの方もいらっしゃるに違いない。

私も今回初めて「ビデオライブ」成る物を観た

お気に入りの劇団「キャラメルボックス」の東京公演の模様をビデオ化した物を、公演がなかったため悔しい思いをしている関西人に、せめてビデオでも見せてやろうという試み。

ちょうど今は神戸公演(違う演目)の真っ最中なので、公演の隙間を狙った形でビデオライブは行われたが、そのチケット争奪戦はすごかった。

たかがビデオよぉ。
生じゃないのよぉ。
スクリーンに映ったのを見るだけよぉ。

それでも初日は完売。
なぜか?
初日のキャストはめっちゃ脇役だが、あの「上川隆也」が出ているから。

そうでない日は・・・、私でも手に入った。(笑)


前説に劇団員&演出家が出て楽しいおしゃべりタイムがあった後にビデオタイム。

やっぱ良い・・・。
「銀河旋律」

初演から何年も経ってるのに色褪せない。
胸がきゅんとなる感じ、麻薬と同じ。

2パターンのキャストで見たが(つまり同じ芝居を役者替りで2回観た)、どちらも良かった。

となると今の公演も見たい〜〜〜〜〜!

がっ!今は夏休み。
バブはどうするんだ?とう事で涙を飲む。

しゃあない、今日は一人「銀河旋律」のビデオを家で見よう。

ははは、実はビデオも持ってるんだ。
私ってオバカ?


夏祭り

2002年8月4日
久々に人混みの中へ出かけた。
あまり好きではないけれど、フリーマーケットがあるって聞いちゃあ、あーた!ほっとけないでしょう(笑)。

4時オープンのはずのフリマ、3時45分頃に着いたら戦いはもう始まっておりました。

でもお客さんはまだ少なめ。
ゆっくり品定めして買えましたわ。おほほ。

とは言え、やはり娘のバブのものが中心。
彼女はすぐに大きくなるし、子供服はワンシーズン着られれば良しとしないと。

だからこういう催しはありがたいの。

新品のジャンスカと、これまた新品の黒の靴を格安でGET!
これは来年の入学式用にGOODだわ。

1度しか着ないと判ってるものに「高いお金を出してでも・・・」と考える母親も居れば、私のように「安くあげちゃお」と思う母親もいる。

人それぞれ、一人娘だからと言って贅沢はさせられないのよ、家はね。


フリマで購買意欲を満足させた私は、意気揚揚と凱旋。

もちろん娘はハンカチや髪留め(リクエスト物)にとっても喜んでくれたが・・・・、あっ・・・旦那の物買うの忘れた・・・。

「やっぱりな。ええねん・・・」
拗ねてしまった旦那。

「貴方は一家の大黒柱。ソヨ様のお下がりではなくてちゃんとしたお店で買いましょう」と言うと、ちょっと機嫌が直った。

おぢさんは難しい・・・。


夜はお祭りに繰り出すので、汗を落としてから浴衣を着ようとすると、娘もトーゼンのように「着せてくれー光線」を発している。

あつがりのくせにぃ〜、いいぢゃないか洋服で。

しかしもうパンツいっちょだ。
・・・・仕方ない。

かくして旦那は浴衣美女?2人を連れて、お祭り会場へ向かったのだった。

ここでは毎年恒例のものを食べてビールをかっ喰らい(胃はどうした!)、野球場の芝生席で一休みするのがみゅう家のお決まりコース。

今年は「還暦野球」・・・?だった。

よーするに60を超えたじーさん達が、闘志をむんむんに燃やして野球をしているのだ。

多分この日のために誂えたんだろうなぁ・・・。
白い(過ぎる)ユニフォームがまぶしいぜ!

応援する人はあまり居ない。
みんなビールを飲みながら涼みに来てるだけ。

でもいいのだ。
きっとやってる本人達は思いっきり楽しんでるだろうから・・・。

3回過ぎて6対3.
ボールがバットに当たりさえすれば点が入るな、これは・・・・・(^^ゞ

でもじ〜さんになっても一緒に何かをしようとする仲間が居るのは羨ましいな。

私が60過ぎた時(生きてるつもりだ、執念で)そんな仲間が居るだろうか?

ましてや横に座っているこの口下手なおぢさんに。

20年後、文句をぶちぶち言いながら盆栽に水をやるじ〜さんが、一瞬見えた気がした。



もぉ、いやっ!

2002年7月29日
連日胃の痛みに悩まされている。

あまりの痛みに医者に駆け込み、点滴を打ってもらう事もしばしば。
こうして日記を書いている今も、左胸の下あたりがちくちくと痛む。

医者には「食養生」と言われ、豆腐やら、おかゆやらで凌ぐように言われているが、子供が居てはなかそう思うようには行かないのが現状で、今日の昼御飯は「どうしてこんなに野菜と合うんだろう!」でおなじみの「サッポロ一番塩ラーメン」だった。(笑)

勿論胃に良い筈はないので、友人にもこっぴどく叱られたし、つけはしっかりと回ってきた。

3時過ぎからまた「痛いよぉーーー」が始まり、頓服のお世話に・・・。

腰痛のほうも一進一退状態だし、ほんとにこの夏は一つも良い事がない。

でも「何で私だけが・・・・」と言う泣き言だけは言わない。
いや言えない。

しんどいのは私だけじゃないって事、よく知ってるからね。

知り合いに具合が悪くなると泣きついて電話を掛けてくる人が居る。
彼女はひとしきり「ここが辛い」「誰も解ってくれない」を連呼した後、決まって「何で私だけ・・・」と涙ながらに自分の身の不幸を嘆く。

私はその度に「甘えんじゃねぇやっ!」と言う言葉をぐっと噛み殺す。

私らごとき病気で「なんで・・・」という資格なんかないんだよ。

とりあえず彼女の病気も私の病気も、今日明日に小さな子供を残し、後ろ髪引かれながら「さようなら」を言わなければならないもんじゃないだろ。

勿論病気にしんどさの上下なんてないし、当の本人が辛いのはとっても良く解る。

しかし彼女のは「私はこんなに苦しんでいるのよ、不幸なのよ、誰か同情してぇぇ」の域を越えていないし、実際喋るだけ喋るとすっきりするみたいだから、「私だけ・・・」を言うには1億年はやーーーーい!ってもんだ。

胃が痛くても、椎間板ヘルニアでも、鬱病でも、肥満でも、薄毛でも、更年期障害でも、健気に生きてるんだぞ、少しは見ならえってんだ。

でもでも・・・、どれか一つでも解決すればとっても嬉しいんだけどな。

お願い・・、薄毛だけでも何とかならない?神様ぁ。



ムスメノイナイヨル

2002年7月23日
我が家の一人娘バブは、23,24日と幼稚園年長組恒例行事の「お泊り保育」に出かけている。

一泊2日で奈良まで遊びに出かけているのだが、出かける前の数日はそりゃぁ大変なものだった。

初めて親元を離れ、友達と先生と一緒に寝泊りするのだから、心の中は不安で一杯であっただろうとは思う。

それは理解できる。

がっ!、だからと言って毎日「行きたくなーい」と「やっぱり行くぅー」を交互に言われてはこっちもたまらない。

聞かされるこちらもあきれてしまい、終いには「ほんなら好きにし!」と言ってしまって娘のめそめそ泣きが始まる。

これが数日間続いていたのだから、私のイライラは想像していただけるとは思う。

とうとう胃痛、腹痛で病院に駆け込むと、「神経性胃腸炎」「過労」との診断を頂いた。

ストレスが続くと「過労」になるんだよ、お嬢ちゃん!


兎にも角にも今朝8時、リュックサック一杯に詰めた荷物と、これまた頭を悩ませてくれた愛情弁当と共に娘は奈良に向けて元気に出発していった。

しかしここでもアクシデント。

今朝は私が集合場所である保育園まで送って行ったのだが、集まっていた子供達が幼稚園からのプリントに書いてあったはずのカラーキャップではなく、通園用の麦藁帽子を被っていたのだ。

わが娘はカラーキャップ。

WHY?

「昨日の夜に緊急電話連絡網で、通園用の帽子を被らせてくださいってお達しがあったのよ」と友達のお母さん。

「え゛ーーーーー!私のとこにはそんな連絡なかったわよーーー」
「あらおかしいわねー?」

「この野郎!誰かうちだけシカトしやがったな。おぼえてろよ!」とは思ったがとにかく今は帽子が先だ。

「そのままで良いですよ」と仰る先生の声を振り切り、「いえ、すぐ取って来ますので!」と言ってダッシュで自転車を飛ばし家に引き返した。

4階までの階段を駆け上がり、帽子を引っつかむと、またダッシュでバスまで引き返し先生に帽子を渡した。

この時の私の自転車スピードは、自己最高記録であったに違いない・・・。(めちゃ疲れた)

何とか間に合った帽子で娘は笑って出かけていった。

とりあえずみんなと同じ身なりで送り出してやれた事に、私自身もほっとした。

子供は「自分一人だけ違う」と言う事を酷く気にするものだし、何より思い出に残る事にけちをつけてやりたくはなかった。


しかーし!問題はまだ残っている。
我が家に電話連絡がなかったと言う事実。

何処で連絡が途絶えたのか、他のお母さん方への聞き取り調査の結果、我が家の一歩手前で連絡網が止まった事が判明。

我が家のあとにはまだ2軒ある。

急いでその家に電話をして、帽子の件を尋ねると一軒の家は事前に他のお母さんから聞いていて大丈夫だった事、もう一軒も朝みんなのいでたちを見てすぐに帽子を取りに戻られて間に合ったとの事でほっとした。


電話を掛けてくるべき筈のお母さんとは朝会っていた。

その時も電話連絡網について、「夜に電話が掛かってきたわよ〜」と呑気に話されていたので、これは気が付いていないなと察し、早速抗議の電話。

案の定、我が家に掛けるべき電話については気が付いておられなかった。

「ミュウさん急いで取りに戻ってらしたから、大変ねー、誰が連絡しなかったのかしらーと気の毒に思っていたのよー」ですと。

「あんたのせいだよ!」と言ってやりたかったが、相手はこれから先も付き合っていかねばならないお人。
ここは穏便に
「大事な連絡がこれからもあると思いますし、我が家の後にももう2軒連絡が行かない事になりますので、こちらにもきちんとお電話下さるようにお願いしますね」とだけ言って切った。

はっきり言って、めちゃむかついた!


この件でどっと疲れてしまい、今日は出掛けるつもりでいたのに「家で療養」になってしまった。

お陰で昼間は暇を持て余し、さして広くもない家なのに「ポツネン」と置き去りにされたような錯覚に陥った。

いつも家にいる子供がいないというのは、心に大きな穴がぽっかりとあいたようなものだ。

子供には母親が必要なように、母親である私にとっても娘は必要な人間で、お互いに依存しあって生きているって事に気付いた。

日ごろ「うざいなぁ」と思うこともよくあったけど、何時の間にか私の心を支える方に回っていた娘。

心配していた園からの電話もなく、きっと「お泊り会」をエンジョイしているのだろう。
今頃はもう夢の中かな?


そして母はと言えば・・・。
こうしてパソコンのキーを叩いてネムレナイヨルを過している。

子離れはまだまだ出来そうもない。

なんて歌ってはいられないんだった・・・・。

バブが居る・・・。

24時間側に居る。
何処にでも付いて来る。
常に話し掛けてくる。
何か飲みたいとごねる。
たいくつぅ〜と甘えてくる。
一緒にあそぼ♪と人形を持ってくる。
ほかほかの体をくっつけてくる。
昼御飯を食わない。(マクド以外)
昼寝をしない。
出先で必ずウン○をもよおす。
炎天下の公園が好き。
灼熱地獄のプールが好き。
自転車の荷台にまだ乗っている。
すぐ泣く。

・・・・・やだ。

こんな奴がずーーーーーっと家にいる。

・・・・・やだ。

好きに、自由に、気まま勝手に、でたらめに、過ごしていたいのにぃぃぃぃーー。

子供って寝てるときが一番可愛いんだよ。
それ以外のときは・・・・。


一人が良い。
夏休みなんて、夏休みなんて、

だいっきらいだぁぁぁぁぁぁーーーー!!!


*********************
あ、白玉きなこさん、harukazeさん、お気に入りに加えて頂き、感謝!です。

えっとぉ・・・、かなり不定期更新です。
でも、頑張って書きますので、読んでね♪

夫婦喧嘩ー勝利編ー

2002年7月17日
まーったく危機感のない旦那に見切りをつけ、妻は友人Fとの「旦那のカードを使っての買物」をする為町に繰り出した。

今日の目的は「カードを使う事」であり、「欲しい物があるから買いに行く」訳ではないのだから、買物にももう一つ身が入らない。

それでも女2人一緒にいれば話も弾むし、楽しい。
いつの間にかこっちの方がメインになってしまい、ほとんど買物らしきものはしなかった気がする。

一度だけ、お茶していた時に旦那の携帯にメールを打った。

「謝る気はないんですね」
たった1行。

・・・・・返信メールなし。(怒)

ぶらぶらウインドウショッピングをしていて偶然に雰囲気のいい店を見つけ、友人とそこであれやこれやと品物を物色していた時に携帯が鳴った。

友人Fひやかして言う。
「大きい方か?小さい方か?」

果たして・・・小さい方だった。

バブ「おかあしゃん、いつかえってくるのぉ?」
妻 「帰らんかも知れん」
バブ「いやだぁ、いやだぁ・・・」半泣き

妻 「“お父さんが謝ったら帰る”ってお父さんにゆっといて」
バブ「すぐゆっとく」

で、電話を切った。
娘にはちょっと可哀想なことしたな。

しかーし!当の旦那からはまだ何のコメントもないのだっ。

※自分は決して謝る気はないし、旦那も許せないが、娘の前で喧嘩はしたくない。
※体力にも限界があり、家に帰って早く横になりたい。
※この先喧嘩を続けるには、かなりのエネルギーが要るだろうと予測される。
※    夫がこの先も妻を軽んじる態度である限り、緑の紙の事も考えなければならない。

こんな事をずーっと頭で考えながら歩いていると、気分も滅入ってくると言うもんだ
悲しいかな私の体は「ストレス」にめっちゃ弱い。

果たして夕方になってから頭がクラクラして来だした。
あ、やっぱりなと自分では思っていたが、友人の方が心配してくれ、休める所を探しそこで軽く夕食を取り、めまい止めの薬を飲んだ。
しかし、原因が解決したわけではないので薬も効かず、クラクラ感は一層酷くなるばかり

食事を終えた頃、友人の旦那様が車で迎えにこられ(友人の配慮)、私も自宅まで送っていただける事になった。ホッ!

しかーし、戦闘はまだ続いているのである。
帰宅してからも冷戦状態は変わらないだろう。

うーん、ちょっと気が重い・・・・・かな?

家まであと少しという信号に差し掛かったところ、携帯が鳴った。

今度は旦那からだった。

夫「ねぇいつ帰ってくるのぉ?」←心細げな声。
妻「・・・」
妻「謝る気はないんですね」
夫「だって悪ないもん。悪いのは壊れたピンポンやもん」←甘えた声
妻「探しに来なかったのはどう思ってるんですか?」
 「妻が殺されてても貴方は平気だと言うわけですね」
夫「・・・・」

夫「・・・ごめんなさい」

やったーーーーーーーーーーーっ!!!
ついに夫を謝らせたぞーっ!
勝ったーーーーーーーーー!!

妻、友人Fに向かいにっこり笑う。
「勝ちました。謝りましたよ!」

友人F「ナーイス・タイミング!!」
家まであと1分と言う所で掛かってきた電話のタイミングの良さと、妻の勝利を我が事の様に喜び、デジカメで記念写真を撮ってくれた。

カシャ!
満面笑みの妻(ちょっとテカってる)がそこには画面一杯にいた。


おもわずこぼれる笑みを噛み締めながら、友人に別れを告げ我が家に帰った妻。

娘は母親が帰ってきたことに狂喜乱舞。
やっぱり娘は可愛い。

夫はと言えば・・・ひたすら妻の機嫌をとろうとあれこれと世話を焼いてくる。
一応謝罪のつもりなんだろう。


これにて我が家の夫婦喧嘩は終結したわけだが、その後数日してからの事、どえらいことが発覚する。

http://www.lares.dti.ne.jp/~yuko-f/nagomi%20diary%20july1.htm
うぉぉぉぉぉぉぉーーーー!

この顔だけはぁぁぁぁぁぁ・・・・。(涙)

夫婦喧嘩?

2002年7月12日
夫が買物(大型電気店)に出かけて、いちおうはほっとした妻。
しかーし!昨日の怒りの炎はちっとも治まってはおらぬ。

ここは何としても「どちらが正しいか」の判断を第3者に仰ぎたいところである。

妻、友人に電話をかける。

友人F「夫婦喧嘩ぁ〜?どーせ原因はつまんない事でしょ」

返す言葉なし・・・・。

友人F「でも聞きたいわぁ、言いなさいよぉ〜」
妻  「でもほんまに原因はつまんない事やで〜」
友人F「ほれ、はよ話さんかいっ!」

妻一連の出来事をトウトウと語る。

妻  「でな、相手も絶対自分は悪うない思てるしな、でも私も謝る気ないしなで、ごっつう気分悪いわー」

友人F「・・・・・・・・・」

友人F「あんたそれ、つまらん事ちゃうで・・・」

F曰く
「まず私がその時間に外に出るって言うたら、旦那が必ず、”それやったらわしが行く”言うと思うわ」
「女がそんな時間に外に出ること自体”危険”やと旦那は思うやろう」
「それに30分も帰って来うへんかったら、そら”おかしい”思うんが普通ちゃうか?」
「仮に私がすぐ側の自販から30分も経つのに帰って来うへんかったとしたら、そらもう外に出て探し回ってると思うわ」
「悪くすれば知らん男ら何人かに輪姦された揚句、最後に首〆られて殺されとっても不思議やない状況やんか」
「あんた・・・それ怒って当然やで」


おおーーーー!やっぱり理解者はいたかー。
喜ぶ妻に友人F、追い討ちをかける。

「あんた、可哀想にな・・・」


がーーーん!
やはり、第3者の目から見ても、私は“妻”“女”という立場相応の扱いを受けていないと言うのか。

妻「・・・復讐したる」
 「旦那のカード持って買物行こ!」

斯して友人Fと私が出かける相談はまとまった。

そこへ帰ってきた旦那。

そそくさと着物に着替え、出かける支度をする妻。
しかし夫は「どこか出かけるのか?」とも聞こうともしない。

着替え終えた妻、旦那に一言だけ言い放つ。
「娘のお迎えだけは行ってや!」
夫「・・・・」
妻「お迎え頼むで!」

・・・夫はほけほけ寝ていた。

妻、寝ている旦那に蹴りを一発入れると、同じ事をもう一度叫ぶ。
「出かけるからお迎え行ってや!」

夫「んん・・・?あ、うん」

何処まで行っても危機感のない男である。




夫婦喧嘩?

2002年7月11日
ナーイスピッチング!
ジャストミーーーート!

ペットボトルを股間に受けた夫、猛然と怒りを露に突っかかってきた。

夫「なにすんねんっ!痛いやないかっ」
妻「・・・・」
 無言。  しかし怒りに拳が震える。

妻「あんたなー、一体何回ピンポン押した思ってんねん」
 「下開けてなって言うたやろがっ!」
夫「居ったわ!ずーっとピンポンの前で待っとったわ!」
妻「ふ〜ん、ほななんで開けてくれへんのや」
夫「知らんわ!でもピンポンは鳴らなんだー」
「なぁ?バブちゃん?」

娘に同意を求める夫。
娘は両親の怒りに燃える喧嘩に驚き、怯え泣き出している。

夫「ずーっと待っとったけど鳴らんから、バブちゃん寝かさんならん思て部屋の方に戻ったんや!」
妻「ふ〜〜〜〜ん・・・・」

妻「だーいたーいやなぁ〜〜〜〜!」

「下の自販にジュース買いに行っただけやのに、30分も嫁が帰って来んのを”変や”思わんのかぁー!あんたは!」
「普通そんなに時間が掛かったら、夜中の事やし”おかしい!”思て外見てみるとか、探しに出てみるとか考えるやろがっ!」
「あんたがほけほけしとる間に嫁はん殺されとったかも知れんのやで」
「嫁はんの命より子供の寝かしつけを優先すんのか?あんたわっ!」
「それぐらい察して動けんでどうするんじゃーっっっ!」

一気にまくし立てる妻に、口で男は勝てようはずもなく黙り込む夫。

この夜、夫婦は別室で寝た。
妻は泣きじゃくる娘をなだめて寝かしつけ、夫は一人深夜までパソコンをいじっていた。


翌朝。

娘を幼稚園に送り出した後、一向に仕事に出かける気配のない夫。
TVを見ながらごろごろしている。

妻「仕事は?」・・・行かないのか?の意。
夫「もうえぇ」・・・今日は行かんでもええんや、の意。

しばらくして夫が「買物に行く」と言って出て行った。

「はよどっか行かんかぁっ!うっとぉしんじゃぁボケー」
内心そう思っていた妻は心底ほっとする。

続きは後ほど・・・・。

夫婦喧嘩

2002年7月10日
事の顛末は娘の幼稚園のバス代、延長保育代の支払いに始まる。

妻「こうゆうのは早く払っちゃわないとねー」
夫「俺もう金ないで」
妻「・・・」

妻「細かいお金だけでもない?600円やけど」
夫「財布見て」

妻「下の自販で細かいの作ってくるわ」
夫「・・・」
妻「下のオートロック開けてなー」

・・・・・・ガチャン・・・・・(ドアの閉まる音)

この時夜の11時。

さて、下の自販では「○ロナミンC」しかないことに気付き、30M先の自販まで下駄をカタカタ鳴らせて走る。

「CC○モン」を購入し無事小銭をGET。
この間5分ほど。

戻ってきた妻インターホンを押すが、応答無し。

再度押す、何度も押す、押しつづける・・・・・。
・・・応答なし。
オートロックの前に呆然とする。

しばし待って再度挑戦。
・・・応答なし。

4階の部屋に向かって叫ぶ妻。(深夜11時すぎ)

妻「おーい、おーい、下開けてー!」
・・・応答なし。

だんだんキレてきた妻、夫の車を下駄で蹴り上げ「音」にて応答を試みる。
・・・応答なし。

仕方なくブロックに腰掛けて待つ妻。(何をだ?)
この間に2個所蚊に食われる。

しばし時間を空けて再度挑戦。
・・・応答なし。

時間も時間である。
よそ様に迷惑はかけたくないが、何分物騒な土地柄、だんだん怖くなってきた妻、1階のM様宅の室内灯がついているのを確認し、M様宅のインターホンを押す。

・・・・・・ピンポ〜ン・・・・・・
妻「あのう・・夜分に申し訳ありませんが、締め出されてしまいまして、玄関のオートロックを開けては頂けないでしょうか?」
M様「はいはい〜〜」

・・・・・・ガチャン・・・・・・(オートロックの解除される音)

親切なM様に感謝しつつ4階の自宅へと駆け戻る妻。

妻、無言で家に入るなり手に持った「CC○モン」のペットボトルを夫に向け投げつける。

夫の股間に命中。

この続きは後ほど・・・。


七夕さま

2002年7月8日
7月7日は「さぁ〜さぁ〜のぉ〜はぁ〜さぁらさら〜〜〜♪」つい歌ってしまう七夕ですねー。

8年前の7月7日、私は「織姫」のごとく旦那様彦星のところにやってまいりました。

結婚前の「荷入れ」の日だったんですねー。
荷物と一緒に花嫁も来ちゃったと言うか・・・、ははは遠い昔の話ですわ。
(あ、トラックに乗ってきたわけぢゃなくってよ)


一日前の7月6日は幼稚園の行事で、「星祭り」がありました。

防犯の関係で(池田小学校児童殺傷事件の影響)、開催が4時半に早まり、集合時間の4時ともなればまだ「炎天下」でございます。

浴衣を着せる関係で2時には娘と一度目の入浴をしたものの、家を出る時点では2人とも汗びっちょり〜〜〜。

女の子ともなれば、浴衣に合わせたヘアースタイルも考えねばなりませぬ。

ことしは娘のリクエストで「ちびムーン」(セーラームーンに出てくる)風に纏めてやりました。

浴衣は3年続けて同じ浴衣で写真もなぁ・・・ってんで、おニューを購入。
子供のくせに「綿絽」なんか着てやんの。

でも赤い地色に黄色いうさぎと雪輪が可愛かったです。

あ・・・私も後○年若かったら・・・。


雨がぱらぱらっと時折落ちてはきたものの、無事「星祭り」は終わりました。

帰りは(行きもそうでしたが)浴衣なもんで、歩いて家まで帰ります。

母親の私ももち浴衣。

下駄をカタカタ鳴らしながら、園児&母親がぞろぞろ帰ります。
お父さんも浴衣という方もちらほら。

今年は去年にも増して、浴衣姿のお母さんが多かった事には驚きました。

しかしもっと驚いたのは、「幼稚園からお達しがあったのか?」と思わせるほど、帯結びが皆さん揃って「お文庫」。

あはははー。若いね。

私はB型なもんで、当然「変わり結び」。

でも浴衣とは言え、着物を着てる人が多いのはなんかうきうきしちゃいました。

みんな着よーよー、もっとさぁー!

さて、ほろほろと歩きながら帰る我が家3人の横を通り過ぎる一陣の風。

浴衣姿で、しかも子供を後ろに乗せて、自転車こいで帰るお母さん。

うーーーん、その手があったか。

目からうろこ、である。

びよーいん

2002年7月4日
今日はビヨーインに行きました。
ビョーインではありません。

20分待ちでした。

パーマをかけました。

いちまんごひゃくえんを払いました。

頭がボンバーになりました。

涙。。。。。。。。。
のような生活。

昨日の夕方、倦怠感&めまいの辛さに我慢しきれず、タクシーを掴まえて病院に駆け込んだ。

結果、・・・点滴とお薬がもう1種類増えただけ。

これで良くなりゃ苦労はないんだがなぁ・・・。

夕べはほとんど一睡も出来ず。

ただただ、泣いて泣いて泣いて。。。。。。。。
朝起きたらまぶたが腫れてた。

鬱の波ってのは承知してるんだけど、ここまで落ちたのは珍しいので、自分でも対処法に苦慮する。

笑えない。笑えない。笑えない。

それが悲しい。

病院について来てくれた娘が、不安げに私の顔を覗き込んでいた。
彼女も昨日は体調を崩した。

それすらも自分のせいにしてしまう。

なんにも出来なくてもいいから、娘の前では笑っていたいよ。

SOS

2002年7月1日
梅雨前線活発なり。

頭の中に低気圧が入り込んだかのように、頭痛、めまいに悩む日々です。

気分も滅入る滅入る。

毎日の家事は何とかこなせても、プラスアルファの部分は全くと言っていいほど何にもできない。

銀行にも行けないし、着物の片付けもダメ。

家中に洗濯物と着物が溢れかえっている。
それが気に入らない旦那ともめる事もしばしばです。

なんか・・・どっかに逃げたい・・・。

どこか、カラッと晴れた南の海辺の町にでも。

日がな一日波の音を聞いて過したい・・・。

心がSOSを出しているのに、それに応えてやることも出来ず、ますます深みに嵌まっていく感じ。

「毎年梅雨時分はこんなものよ」割り切れれば良いのだけれどね。

梅雨明け遠し。
酒と薬の日々なり。

プレステ

2002年6月25日
我が家には6年前に買ったプレステがある。

はっきり言って・・・ジャンクに近い。(涙)

しかしながら何とか騙し騙し使っていれば動かない事もなく、実際今日もこれで私は遊んでいるわけで・・・、まぁ不都合を感じることはなかった。

それがここにきて旦那がプレステ2を買おうと言い出した。

彼はDVDプレイヤーを随分前から欲しがっていて、電化製品量販店に行くたびにDVDコーナーに行って品定めをしていたようだ。

それがなぜプレステ2に・・・?

彼はTVのCMを見て、そして知ってしまったのだ。
「ポポロクロイス物語」の新作が発売される事を。

我が家ではこのシリーズのゲームソフトを全巻揃えてこよなく愛している。

ここで最新作を買わねばポポロファンとは言えないだろう。

って事で、DVDプレイヤー搭載のプレステ2が我が家にくる事が決定!

新作は2でないと遊べないんだよ・・・・。

どこでどうして買うのかはまだ決まっていないが、我が家の番頭さんがGOサインを出したからには、どっかから手に入れてくるだろう。

ふんふん、鼻を鳴らして楽しみにしている私である。

あ、でも我が家はみんなアホだから、ソフトと攻略本一緒に買うんだよね。

ま、いいか。

ハードな1日。

2002年6月22日
昨日は幼稚園でお誕生会があった。

6月のお誕生会には6月生れの園児の親も招待される。
招待たってなー・・・、行かなきゃ子供が不憫な思いをするってのは招待じゃないんじゃないか?


さてお誕生会。

ちょっとだけ遅れて着いた本堂では、園児たちがきちんと正座してお誕生会が始まるのを待っていた。

私はこんな時にも着物を着ていくので、はっきり言ってかなーり目立つ。

年長の子供は私がバブの母親だと一目で解るようで、あっちこっちから「バブちゃんのおかーさーん」とお呼びが掛かり、ちょっとした有名人気分であった。(笑)

で、誕生月の園児入場。

誕生月の子供は頭に王冠(先生お手製)を被らされて一列にこちらを向いて並んでる。

手には小さなアレンジメントされた花篭。

そして先生が一人一人「名前」と「何歳になったか」をマイクで聞いていくが、年長さんは「大きくなったら何になりたいか」もプラス。

わが娘、「大きくなったらケーキ屋さんになりたいですっ」だと。

「大きくなったら父の後を継いで電気工事業に・・・」とか、
「やっぱタカラジェンヌでしょう!」とか、ウケに走らんかいっ!
関西人やろがっ!

ま、まだ6歳じゃ無理か・・・。(むちゃくちゃ言う親)

そんでもって手に持った花籠を「いつもありがとう」とか言って親に渡しに来るのだ。

その次は手作りクッキー。(母親の顔を作れといわれ嫌々作ったに相違ない代物)

そのまたお次は先生手作りバースデーカード。

※この仕掛け一杯バースデーカードの中には「親からのメッセージ」という紙が仕込まれていて、それは前もって書いて先生に渡しておくのだが、親は競うように凝った作りにしてくるので、毎年これには苦労する。


これらをいちいち親に渡しに来るので、仕事などの事情で親が来られない園児は、見ているこちらの方が不憫に思えてくるほどである。

招待ではないと私が言うのはこういう理由で、
「こいよ!」と言われているのと同じである。

だ・か・ら・嫌なのよ!幼稚園の行事は。


その後歌のご披露やら先生のお芝居やらがあって、お誕生会はお開き。

お誕生月の子供だけは親と2ショット写真を撮ってもらい、お母ちゃんは放免となる。(笑)

あーしんど・・・。

家に帰り着くともう暑くて暑くて着物なんて着てらんない気分。

午後には友人と京都の東寺さんの市に行く約束をしていたので、着物のままの方が良かったんだけれど、とても我慢できずTシャツに綿パンに着替えてのお出かけとなった。


東寺さんは毎月行きたいほど好きな市。

昨日は残念ながらビビビとくる着物には出会えなかったし、途中でぱらぱらっと雨が落ちてきて露店が急いで店じまいをし始めたので、ゆっくり見て回ると言うわけにはいかなかったけれど、やはり友達と出かけるのは楽しい♪

それでも新品の帯2本と浴衣地をGET!


夕方になり、店がみんなはけて閑散とした境内の中で、まだ一生懸命着物を畳んでいる店発見。

友人は店主殿と顔見知りらしく、店じまいを一緒になって手伝った。

ほとんどはこれでも商品か?と言うほど痛んだ着物ばかりだったけど、山のような着物を一枚一枚畳みながら世間話。

「これはなんやろ?」とか「この襦袢袖ないでー」とか、笑いながらのひと時が楽しかった。

静かな静かな時間。

最後に店主殿が「どれでも好きなん持っていってええで」と言ってくださり、遠慮なく浴衣と半幅帯を頂く。

友人も長着を2枚。

小さな幸せ。(笑)


それから閉門までの時間、お参りをしたり写真を撮って過した。

夕暮れの池にぽつんと一つ蕾の蓮を見つけ、なんだか嬉しくなってしまった。

私は信心深くもないし、どちらかと言えば罰当たりな人間だけれど、こういう雰囲気は良いなーと思う。

市の時にしか行かない東寺さんだけど、お寺って本来は静かにお参りするとこなんだよね。




本格的に梅雨入りしたようで、低気圧が脳の中にまで入り込んだかのように、「どよ〜ん」とした気分です。

体調もすぐれず、めまい、頭痛、倦怠感。
自律神経失調症の症状すべてが体にインプットされてる状態。

寝てれば良いんだけどね、本当はね。
でもそれじゃぁ病気に負けてるような気がして、楽な日はなるべく外に出かけるようにしてる。

昨日は「船場センター街」に一人でぶらっと出掛けてみた。

久しぶりに地下鉄に乗ろうとすると、乗換えが解らなくなっていて、料金表で確認。

こんな些細な事が覚えていられないなんて・・・、と涙が出てきた。
この頃小さな記憶、ほんとに他愛もないことなんだけど、それがスコーンと頭から抜け落ちている事に気が付くことが多くて、情けなくなる。

記憶の維持には女性ホルモンも関係しているらしいので、そろそろ更年期かな?と。
うん、一度婦人科も行かなくちゃね。


さて船場。
お昼時に着いたので、「やっぱまずお腹を満たしてからよね〜」とお店を探す。

一番並んでるとこが美味しいかな?と見回すと、「自由軒」の文字。
やっぱり老舗だよね、客の入りも多い。

ここの名物はインディアンカレー。

カレールーと御飯が最初から混ぜてからめてある、ネチョネチョカレー。(笑)
まん中のくぼみにがあって、生卵がポトンと落としてある。
これにソースをかけ、生卵と一緒にぐちょぐちょにかき混ぜて食する。

文章にするとちょっと「きしょい」かも知れないけれど、これが美味しいんだなー。

時間が時間だけに「おっさん」多し。
おっさんがカウンターに一列に並んで、黙々としかし汗を拭きつつカレーを食する姿は壮観・・・ではなく暑苦しかった。

そのおっさん群に一人混じり、黙々と食するおばさん。
言うまでもなく私ミュウであった。(笑)

20歳の頃だったら入れなかっただろうね、こんなお店。


船場は1日いても飽きないほど面白い。

ありとあらゆる店が集結したビル。
その殆んどが卸をやっている。

「業者意外はお断り」と言う店も多い。

小売を始める店も最近は増えてきたとかで、こんなとこにも世相は反映されているのかなーと。
しかしありがたい事だ、消費者にはね。

和装小物も驚くほど安いし、何より品数、種類が豊富。

見て歩くだけでも楽しいけれど、時々「お買い得品」に出会うと嬉しくなって買ってしまったり、買いはしないけれど高級な着物地を触らせてもらったりと、何だかんだ荷物を増やしつつ半日遊んだ。


病気持ちで家にこもっていると、時々無性にお金が使いたくなる。

そんな大層な・・・と思われるかもしれないけれど、「生きてるんだ」って言う実感が欲しくて手当たり次第に買物をするときもある。

それで「生きてるわー、私!」とくれば問題はないんだけど、家に帰って冷静なると「何でこんな物を・・・」と買った品物を見て後悔したり、自責の念にかられたりと、上手く行かない時の方が多いかも。

そしてそういう日は大概寝込む(笑)。
翌日は疲れて使い物にならないしね。


こんな風にのらりくらりした生活は、傍目にはきっとお気楽そうに見えるんだろうな、とふと思う。

でも4年もやってると、いい加減嫌になってるのよね、ほんとは。

健康になりたい・・・。(涙)



あれこれ・・・。

2002年6月11日
相変わらず暑いですねー。

特に今日は晴れたり大雨だったりして、ガラス戸を頻繁に開け閉めしていました。

そろそろ大阪も梅雨入りかなぁ?

この暑さに今年はとうとう甚平に手を出してしまいました。(笑)

近所のお店で「水色チェックに赤いさくらんぼ柄」のを買ったのですが、着てみるととっても涼しくてGOO!です。

流石に外に着て行く勇気はないですが・・・。

勿論ノーブラでーす。(笑)
こんなとこから「おばはん化現象」は始まってるのかも知れないねぇ・・・。

腰痛は随分楽になりましたー♪

車に乗ってて急ブレーキを掛けられたりするのは「まだちょっと・・・」だけど、普通に歩く分にはOKです。
今日はもう接骨院にも行かなかったし。(←だから治らないのかもなー)
あと少し養生すればOKでしょう。(←患者の勝手な思い込み)


この頃友人とFAXを送りあう事がよくあるのですが、この間友人から来たFAXの中に、
「ところでミュウsanはバブchanのこと、凄いちゃーんと気にとめて子育てしてるからえらいなアーと思うの」
って書いてくれてて、それは嬉しいんだけれど、とっても戸惑ってしまいました。

そっかなー? ぽりぽり

私も一応母親だし、たしかにバブは可愛い!

でもそれって当たり前だし(みんな我が子は可愛いっしょー?)、どっちかって言うと私は娘に手をかけなさ過ぎかも・・・と思ってたところだったので、ちょっと意外な気がして。

友人も私と同じ様な心の病気を抱えていて、それ故今は子育てに自信をなくしちゃってるみたいで、ちょっと心配です。

でもねー、子供への接し方なんてひとそれぞれ違うんだし、
「母さんは君が大好きだよ。大事なんだよ。」が子供に伝わればそれで良いと思うんだけど違うかなー?

うちの娘は6歳なのにまだ赤ちゃんくっさーい人なので、ぎゅーっと抱きしめたりする事も多いけど、私が辛くてそれすら出来ない日でも、例えば「朝お母さんに髪を括ってもらう」だけでも子供は嬉しいらしい。←(バブ談)

私は自分の事だけで一杯一杯だったりすることが多いので、他のお母さん方みたいに
「お弁当作って公園行ったり」、「マメにおやつを手作りしたり」って事はまーったくしないし、出来ない。

めまいを起こさないよう好きな本を読むのも極力我慢してるくらいだから、お菓子のレシピ本なんかは読めないし、公園なんかの明るい所に長時間居ると、立ちくらみがひどくなってくるのですぐにリタイア。

それでも毎日帰ってきた娘に、「幼稚園で何した?」とか「誰と遊んだ?」とか一応は聞く。
お義理でもね(笑)。

それから隣の部屋に行って一人で昼寝しちゃう。
可哀想かも知れないけど遊び相手なんかしない。

彼女は、「おかーさんはびょーきなんだからしかたないんだー」って思ってるみたいで、自分でこそこそと新しい遊びを考えては一人で楽しそうに時間を過しているみたい。

ま、2歳半から母ちゃん発病しちゃったからねー、彼女なりにどうしたら良いのかを考えたんじゃないかな?

だから自分の子育てに対しては、「愛情たっぷりの子育て」っていうのとは程遠いだろうなーと評価してる。

ま、その分父ちゃんがフォローしてくれてる訳だし、それで良いんじゃないかな?
それが我が家では父ちゃんの役目よー、ハハハー。

母ちゃんは居れば良い。
ほんとにそれだけだと思うんだ。
私自分が早くに母親を亡くしたから余計にそう思うのかも知れないけど・・・。

この病気になった時、一番の目標に掲げたのは
「普通のお母さんがしている事を、あたりまえにしたい」だった。

今もそう思う。

でもその「普通のおかあさん」ってなんなんだろうね?

悩みのない人間はいないし、誰もが病気にならない保証はないよね。

幼稚園で知り合ったママさん達も、何かしら体の不調だったり、親の介護だったり、色んな不安ごとを抱えていて、その人たちみんながきっと「普通のおかあさん」なんじゃないかなー。

鬱病なのはほんとにとってもしんどい。
ましてや子育て中には。

でも病気の母親は私一人じゃないし、みんな自分なりに時間や育て方を考え、工夫してその日その日を生きてるじゃんね。
そしてちゃんと子供も育ってる。それで良いじゃない。


いつか、そういつか、もっと自分に自信がついたら、そんなママ達にエールを送るHPが作りたいと思うようになった。

これが新たに2番目に掲げる私の目標。

今日はピーカン。

目の悪い私は時計を見間違え、1時間も早起きしてしまった。

う〜〜ん、得と見るか、損したーと見るか・・・。

やっぱりもう少し寝たかったかな?(笑)

それでも早起きするとその分用事も早く片付く訳で、旦那が起きてきた頃には殆んどの用事は終わってた。

で、朝イチで接骨院へ。
なんでや〜〜〜!

腰痛持ちなのですがね〜、じーっと安静にする事が出来ない性質なもので、ちっとも良くならない。

だから治療がちっとも終わらないんですね。ハハハ

今日は京都の骨董市に行くはずでした。

でもこのピーカンの土曜日、薄暗いホールに所狭しと積まれた埃くさい骨董を見に行く気持ちには、なーかなかならないものですわ。

「ほんじゃーどっか公園でも行くぅ?」
「そだねー、じゃあ前に行ったイチゴ園の近くの公園にでも行くかー?」
「そっか、あの近くに新しく面白い公園出来たって聞いたし、そこ行ってみる?」
「うん、面白そー。また前行った美味しいパン屋さんでパン買い込んで行くベー」

旦那と私の会話。

で、急遽公園行き決定、三田方面に車を走らせたのでした。

今日の中国道は空いてて、ドライブも気持ち良いー。
後部座席のジュニアシートに座った娘も、公園に行くと聞いてご機嫌です。

と、旦那、
「前の車O君の車に似てるわー、あんな感じやねんよー」
「ふーん。あのオ○コって落書きされたって言ってた車?」
「そうそう!」

夫婦大笑い。

そこに携帯が・・・。

「もしもし、フンフンフン」
そして爆笑する旦那。

相手はO君。
やっぱり前を走っていたのはO君一家を乗せた車でした。

そして新しく出来た公園の話を教えてくれたのも、このO君です。

彼らもその公園に行く所とか。
なんと言う偶然!

もっちろん、「ご一緒しましょー」という話はすぐまとまり、一緒に三田に車を走らせました。

途中、美味しいパン屋さんに寄って貰ったのですが、さすが情報通のO君、私たちが目指すパン屋さんのこともちゃーんとご存知でした。

パンを一杯買い込んで、さあ公園へGO!

新しい公園は「有馬富士公園」と言う名前でした。

山一つを開発して造ったと言う感じの、野趣溢れる、でも色んな仕掛けのある面白い公園でした。

水遊びもできるし、きれいな花も見られる。
昆虫館のような施設もあり、1日遊べる所です。

何より駐車場も入園料も要らない、タダ!と言うところが最大の魅力でしょうねー。(笑)

ここでお弁当(買ったばかりのパン)を食べ、子供達(O君は3人の子持ち)は水遊びに興じ、大人は鶯のホーホケキョッと言う鳴き声にほっこりしながら、冷たーいビールを頂くという至福の時を過しました。(笑)


「本当に偶然ってあるものね」と久しぶりに会うO君の奥さんと話も弾みます。

「それがねー、今追い越した車Nさんの車に似てるなーって旦那が言うのよー」
「だから電話してみたのー」
と奥さん。

いつも電話で話すたびに「会いたいねー」と言い合ってる私たち。
それが同じ時間に同じ道路を同じ場所を目指して走ってた。

O君は旦那が独身の頃からの親しい友人で、お互い同じ時期に結婚をし、同じ時期に親になり、今は一緒に仕事をしています。

娘が生まれたときも、一番に顔を見に来てくれたのが彼ら、私が鬱病になった時に旦那の仕事の殆んどを引き受け、旦那が泊まりの仕事をしなくて済むよう、帰りが遅くならないよう気を遣ってくれたのも彼でした。

勿論彼らが大変な時は、旦那が仕事を引き受けた事もありました。

良い友人を持つ旦那さん。
そんな彼らを羨ましく思います。


夕方になりそろそろ帰ろうかという声があがりましたが、子供達からはブーイングの嵐。
それほどに楽しかったのね。

かえりにオ○コと落書きされた車もしっかり見せてもらいました。(爆笑もの)


偶然が運んできた楽しい一日に感謝して、「次回はバーベキューねっ」と約束して彼らとはお別れ。
さすがに山道を歩いて腰は痛むものの、良い一日でした。


そう言えば、6月4日は我が娘のバースデーではあるけれど、彼らの結婚記念日でもあることを思い出しました。

O君夫妻に心をこめて、
「7回目の結婚記念日おめでとう!」




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