姉帰る。

2001年11月26日
お姉さま一家がお帰りになった。 ホッ!

「何時ごろ帰るん?」と尋ねると、昼過ぎで良いだろうとの事。
折角大阪まで来てくれたのだから、何処かに遊びにでも・・・とは思うけれど私の体調は今ひとつ。
めまいが久しぶりに出てきて気分が良くない。

肝心のお姉さまもUSJでの御乱行がたたり、お財布の中がすっからかんらしい。

それじゃお金のかからない公園でも・・・と万博公園まで旦那に車を走らせて貰った。

丁度暑くもなく寒くもない良い天気で、フリーマーケットをやっていたのでついでに覗いてみた。

しかし入場チケット代に350円も取るとは。
うーん、あくどいのぉ。
フリーマーケットの趣旨から離れている気がするぞー。

急遽中学2年の小柄な姪は小学生に変身してもらう。(笑)
こちらもなかなかやのぉ。

このエセ小学生、結構金持ちだったりして驚かされる。
「なに買うの?」
「うーん、新しい時計が欲しいかな〜」

時計とな?
中坊がそんなに何個も時計がいるもんかい?

あとは帽子だのアクセサリーだの、結構買う買う。
お母ちゃんより金持ちと違うか?

本物の小学生の甥は、我が娘バブちゃんと一緒に遊具で遊んでいる。
お目付け役は旦那様、いつものパターン。

フリマは手の甲にスタンプを押してもらえば何度でも再入場できる。

お昼御飯の為に一旦退場して子供達の待つ芝生でおにぎりを頬張る。

と、姪が言った。
「大阪は星が見えへんのやね」
「晴れの日でも、空はぼんやり曇ってるみたいできれいな青空じゃないし」

ふ〜ん、確かに嫁に来る前に住んでいた町では、夜は満天の星が見えた。
仕事帰りにバイクを走らせながらオリオン座を見つけた時は、「あ〜冬なんだな〜」なんて季節を感じたっけ。

ここでは星で季節を知ることはない。

星は2つか3つ見えれば良い方かな?

ベランダの手すりは一日で真っ黒になる。
雨が降ると車はきれいになるどころか、却って汚れる始末。

お世辞にも良い空気とは言いがたい。

それでもここが私の終の棲家になるんだろうか・・・。
いつか、ここで夫と晩年を過すのだろうか。
大阪に嫁いで来て7年、住み慣れたとは言えここで一生を終わるのかと思うとちょっと嫌かも・・・・。

ならどこへ?

やはり田舎が良い。
旦那の実家のように満天の星が見えるところに住みたい。
多少不便でも永年暮らしたあの町に帰りたい。

海が近くて、でもそれなりに町で、人が多すぎない、一年に一度秋祭りに盛り上がるあの街。

あの街に帰っていく姉が、少し羨ましく思えた。

姉ちゃん来る。

2001年11月24日
昨日の午後に姉が子供2人を連れてやってきた。

一気に賑やかになる我が家。
なんと言っても狭い我が家に6人の人間がひしめき合っているのだから、もう空気が薄い薄い!

おまけに来るなり体調を崩し、お腹ピーピーの姉にも気を配らねばならない・・・。

病人の家に来る時は、体調万全でお願いしますよー(涙)。

夜になってさすがに6人分の夕飯を作るほど元気でない私、旦那にそれとなく外食をそそのかす。

お腹ピーピーの姉を、無理無理焼肉屋に連れて行く。

昨今の狂牛病騒ぎの被害を蒙った焼肉屋さん、・・・ひっそり、気の毒・・・。
お客さんすくな〜い!
2階なんて貸切だもんね。

お陰でサービスが良いんだなー。
頼んでない物まで一杯出てきちゃう。

久々の焼肉はちょっとお財布には痛かったけど、たらふく食べて満足満足。
帰りにリサイクル本屋にも寄り、お目当ての本を見つけた姉一家も満足満足。

我が娘バブちゃんも、読めもしない漫画本(カードキャプターさくら)を買ってもらい、いっちょ前の気分でご満悦。
帰ってくるなりお姉ちゃん気分でぺらぺらめくって楽しんでた。

こんな事で喜んでくれるなら全巻揃えてやろうかしら?
読むのは私なんだけどね。

今日は朝6時に早起きした3人、揃ってかのUSJにご出発なさいました。

相変わらずパワフルやのぉ・・・。
下痢しとるんちゃうんかい?姉ちゃん。

今9時過ぎ現在、まだ3人は帰ってきておりません。
パ、パワフルの2乗。

明日が怖い・・・。
はよ帰ってくれ・・・。

弘法さん

2001年11月22日
昨日は21日。
京都の東寺さんでは市が立つ。
いわゆる弘法さん。

来月12月の21日の弘法さんは「しまい弘法」と言われ、大変な人で賑わうそうな。
そっちも魅力だけれど、とりあえず昨日初めての弘法さんに行って来た。

京都駅からタクシーに乗って2メーター、意外と近い。
北門の辺りでタクシーを止めてもらい、東寺に向かう。

境内に入る前から周辺の歩道はもう露天商が建ち並び、なんとも言えない活気があり、良い感じ。

前に大阪の四天王寺の市にも行ったが、あちらよりはるかに規模も大きく、店の数は言うに及ばずその商品の種類も多種様々。

中にはちょっと怪しげな物もあり、「ほんまに効くんかいなー?」とまゆつば物の健康食品もある。

何を売る気なのか、マングースが美味しそうにハブを食べている箱もあったりで、かなり謎。
ハブ酒か?
じゃ、マングースに食われちゃ都合悪いよな。

着物の古着屋さんも多くて、目はあっちきょろきょろ、こっちきょろきょろ。

5,6万円の「高額だけれど物も良い」着物を扱う店あり、「箱の中すべて千円」の着物を扱う店あり。
こっちも多種多様。

私が探すのは後者なのは言うまでもない。

本当に一日居ても飽きない、と言うか一日居てもすべてを見るのは無理かも・・・思うほど面白い店が一杯で、まさにワンダーランド状態。

あーやっぱり私こーゆーの好きだー。よだれ。
「明日も来たいよ〜」と思うが、残念ながら市は21日と決まっているのさ。

あ、ご紹介が遅れましたがご一緒してくださったのは、言わずと知れたF様でございます。

彼女は京都育ちなので、こうゆうワクワクスポットにお詳しく、頼もしい限りである。

私には「可愛いバブちゃんのお迎え」と言うタイムリミットがあるので、Fさんにはご迷惑をいつもお掛けするが、それでも限られた時間の中、目一杯楽しませてもらった。 

戦利品はいつもの如く「お安い着物」。ふっふっふ。

ただ帰りはタクシーでダッシュかましてもらったが、夕方の市内の渋滞ぶりは結構ひどく、四条河原町に着いたときには5時近かった。

一人にするには不安の残るFさんをあっさり置き去りにして(ごめん!)、快速特急に乗り込む。
でもどう考えても6時のお迎えには間にあいそうもなく、旦那にTELしてあちらもダッシュで帰宅してもらうことにする。
さてどちらかが間にあえば良いが・・・。

軍配は旦那様に上がり、6時5分前にはお迎えに行ってくれた。
となるとダッシュして帰ってきた私は何・・・?

「ちっ、もう少し京都でゆっくりしてくれば良かったぜぃ」と思うのは・・ちょっと身勝手かな?


今回の鬱は比較的浮上が早かった。
気疲れが大きな原因だもので、一日家でゆっくりしていたのが良かったのかもしれない。
病気は何事も早めのお手当が大事ね。

鬱とそうでない時期の周期の短さは心療内科の慶子先生も驚くほどだけれど、鬱から浮上するスピードがUPしてきたことは「良い事」と考えて良いのだろうか?

相変わらずの「買物依存」はどうすれば良くなるのか知るすべもないが、しかしこれによって心の均衡が図れているのかもしれないし、無理に止めさせられても怖い気がする。

ちびりちびりお小遣いで買う分には文句も言われまい。

もう少し嫁が良くなるまで我慢されよ、旦那様。
昨日はFさん主催のオフ会に参加させてもらってきた。
オフ会といっても4人だけのプチオフ会。

4人で食事をし、阪急の「ながもちや」をひやかし、その後日本橋の古着屋街でお買物。

Fさん以外の人と着物を着て出かける機会がない私には、新鮮な出会いの場だった。

帰りはまたご主人に送っていただき9時ごろ帰宅した。

で、今朝起きたら激鬱。
なんでや・・・。

一応「心療内科」の受診日だったので、診察に行ったら珍しく空いていた。
いつもは「二時間待ち」はざらなのでちょっと驚き。
薬だけ・・と思ってたんだけど、ついでに診察&カウンセリング。

気分の落ち込みの事を話し、対処法を慶子先生と考える。

とにかくいまは休む事・・・その点で考えが一致、しばらくは休息を取ることになった。

休息と言っても「出歩かない」ただそれだけ。
あとはこまめに眠る事かな?
今は疲れた心と体を休めて、次のお出かけに備えて充電する事にしよう。
着物も少しの間はお預けかなー?

今回の鬱状態については「気疲れしたかな?」くらいの気持ちで、深刻に考えないようにしているが、困った事に家事が出来ない。

汚れ物を洗濯機に入れてスイッチは押せても、洗いあがった洗濯物が干せなかったり、
買物には行けても夕飯は作れそうもない。
どうしてもしたくないという感情がある。
まるでストップキーが掛かったように。

今日は流れに逆らわずにいよう。
眠りたいだけ眠ろう。

小さく柔らかな娘を抱っこして横になるのが一番気持ち良いのだが、当の娘はねんねよりビデオが良いらしく、残念ながら今日も逃げられた。

母は今日も「ハムスター倶楽部」のビデオに負けた事になる。

ちくしょー!!

赤ちゃん

2001年11月15日
今日も梅田に出かけた。

用事そのものはすぐに終わり、今日は寄り道せずにまっすぐに阪急電車の駅に向かった。

「雲雀丘花屋敷」行、普通電車はお昼前のせいかかなり空いていた。

発車ギリギリに乗り込み座席に座ると、すぐ横には小さな赤ちゃんを抱っこした若い女性。

私が紙袋をガザゴソした為か?起きてしまった様子。

悪いことしたなーと思い、
「起こしちゃいましたかしら?ごめんなさいね」
と声をかけると
「いえいえ・・・」とお母さん。

赤ちゃんの顔を見せてもらうと、何と整ったお顔立ち。
しかしやはりあどけなく可愛い。

「お名前は?」「何ヶ月ですか?」とおばはん根性丸出し、恥ずかしげもなく話し掛けてしまう。

若いお母さんはにっこりと、
「名前は愛玲(あいり)、4ヶ月になりました」と。

うーん凝ったお名前。
でも我が子の名前に似たお名前の愛玲ちゃんにとても親しみを感じてしまった。

4ヶ月だと丁度手が少し掛からなくなる境目の時。
3時間おきの授乳からも解放されて、少しの間一人遊びも出来るようになり、お母さんも心に余裕が出来る頃かな?と自分の子育ての頃を思い出し話し掛けてみると、
「そうなんですよ、でも泣き始めたらなかなか止まらなくて・・・」と困った顔。

あーそういう頃もあったなー。
「どうして泣いてるのー?」と言いながら赤ちゃんの娘と一緒に泣いたっけ。

その話しをすると、
「そうなんですよー、どうして泣いてるか判らなくて一緒に泣いちゃうんですー」とお母さん。

みんな同じ道を歩いて来るのね。

たんぽぽの綿毛のように柔らかで薄茶色の髪、透き通るほどに白くツルンとした肌にピンクの唇。

取り上げて抱きしめたい衝動が湧き上がってくる。

可愛い、可愛い、可愛い・・・。
欲しい、欲しい、欲しい・・・。

赤ちゃんとはなんと女の心をひきつける生き物なのだろうか。

私のほうが先に電車を折りたため、2人がどこに向かったのかは判らないが、昨今話題の「孤独な育児」に陥らないで、と心の中で呟く。

私がそうだったから・・・。


幼稚園から帰ってきた我が娘、バスから降りるや否や全身で抱きついてくる。
可愛い・・・。

今日は思いっきり甘やかしてしまったかもしれない・・・。



オデカケ星人

2001年11月13日
今日は私の誕生日〜、あーかちゃんになって生まれた日ぃ〜。
お父様や、お母様も、祝ってくださる、うれし、うれし♪

幼稚園のお誕生会の歌。

昨日は私の40回目の誕生日。

祝ってくださるはずのお母様は早くに鬼籍に入り、お父様は(親父は)遠く離れたグループホームに居り、痴呆が進んだ今では私の誕生日なぞおそらく覚えてはいないだろう。

そんな両親に代わり、旦那様と娘に誕生日を祝ってもらった。

5歳の娘は大きな声で「HAPPY BIRTHDAY」の歌を歌ってくれ、旦那様には美味しい食事とお酒を堪能させて貰った。

ささやかだけれど、これが幸せ。

Fさんにもお祝いを頂いた。
午後に心斎橋まで2人で出かけたのだが(もちろんお約束の着物姿)、私が「銀装のカステラは美味しい」と言うと、その場ですぐに「買ってあげる!」と走っていかれた。
ありがたやありがたや・・・。

幾つになってもプレゼントをもらうのは嬉しい。
たとえ折り紙一つでも心がこもっていればそれは宝物。

だからと言って旦那さんからのプレゼントが折り紙だったら、それは拗ねちゃうんだけどね。(笑)

旦那さんは今度の土曜日お休みだったら、一緒に着物を見に行こうと言ってくれている。
それがお誕生日プレゼント。

食事をする店まで3人手をつなぎながら歩いている間に、娘が面白い事を言い出した。

「お父さんはビールが好きだからビールの星からきた、ビール星人!」

ほほぉ、娘にも旦那さんがビールをこよなく愛している事は判るのね、などと思いながら笑っていると、
「じゃぁお母さんは?」と旦那さんが娘に尋ねた。

娘はこの問いに
「お出かけ星人!」と即答した。

我が子から発せられた思わぬこの言葉に一転、私は深く傷ついた。

娘は私をそんな風に見ていたのだろうか?
もしかしたら旦那もそんな風に・・・。
考え始めれば思考は悪い方へ悪い方へと転がっていく。

たかが5歳の子供の言う事である、気にする方がおかしいのかも知れない。
娘にしても他意はなかっただろう。

けれども何度もこの言葉を口に出すたび、私の心の傷がどんどん深くなっていくのが解かるのだ。

私自身鬱病という病気を抱えながら40の誕生日を迎えるなどとは思ってもいなかった。
家族にしても「いくら厄介な病気と言ってもその頃には治っているだろう」と思っていたに違いない。

しかし今もって私はバリバリ現役の鬱病患者だ。

この病気は薬さえ飲んでいれば良くなるという病気ではないし、神仏にすがってみてご利益があったという話も聞いた事がない。
自分で楽しみを見つけ、自分でその時その時の心の状態に合わせて細かなコントロールをして鬱と言う深―い穴に落ちないように気を付けるしかない。

例えば鬱がひどい時、家で休んでいた方が良い時もあれば、外に出たほうがかえって良い結果を生み出す時もある。
自分でも時々判断を誤り、ドツボにはまるときも多々あり、コントロールはかなり難しい。

医者任せにしていて、ひどい目にあった事もある。

軽躁状態が続いている事を憂慮した医者が、気分を鎮める薬を処方してくれたのでそのまま何の疑問も持たずに薬を飲んだら、翌日から激鬱に陥った。

以来自分自身の経験と勘でしかコントロールは出来ないのだと心に刻み付けた。

「家事が出来ないときは諦めて旦那にゆだねる。」
「気分の良い時は無理のない範囲でしたいことをする。」
「病気に逆らわず、共存する形でこれから先の人生を生きていく。」

文字に書いてみれば簡単そうに思えるが、病気とは言え専業主婦である自分が「他者に家事を委ねる」と言う罪悪感を払拭できるまでには一年半という時間が掛かった位、その他の色んな事にも自分の中で長い長い葛藤があった。

私が外出するのにもそれなりの理由はあったのだ。

着物は心を和ませてくれる物であり、時にぽっきり折れそうな心の鎧の役目をもしてくれている。
外出する事で孤独感から解放される事もある。
Fさんとの外出にしても、同じ病気を持つ者同士だからこそ、そこのところを解かって私の我が儘なお誘いにも付き合ってくださっていると思う。


寝たきりだった私が一つ一つ積み木を積み上げるように、「出来ない事」を「出来る事」に変えてきた努力、それをすべて否定されたように娘の発した「お出かけ星人」と言う言葉は私の心に響いたのだ。

40歳にしてここから先をどう生きていけば良いのか解からなくなっている。

後戻りするのは嫌だ。
でも歩き出す先が見えない。

今日は心のコントロールも利かない・・・。

ピーカン運動会。

2001年11月11日
今日はピーカン、真っ青な秋空の下で娘の幼稚園の運動会が行われた。

2度も「雨天順延」の憂き目にあっていると、
「よしっ、がんばるぞ!」と気合を入れた1回目に比べ、弁当の中身はかなりさみしくなるもんだ。

6時半に作り始めて、7時過ぎにはもうほとんど出来上がっていたのだから、その手抜き様は想像するのに難くないであろう。
「ま、メインは弁当じゃないんだ、子供達の頑張りなんだから」と自分の都合の良いように理由付けして、とっとと包む。

お天気が良いとは言え、11月の中旬ともなると気温も低くレジャーシート一枚敷いた位では地面のひんやりした感じが伝わり、気持ちは良くない。
急遽ひざ掛けが座布団に早変わりだぁ。

娘のバブちゃんはもう丸まる2ヶ月どっぶり「運動会のお遊戯のお稽古」をさせられていたもので、なかなかの上達振り。
我が子が一番上手く、可愛く見えるのは、どちらのお宅でも同じだろうが・・・。(笑)

母親の私にも出番が一つだけあり、それは「おかあさんといっしょ」と言う某国営放送のTV番組のパクリそのまんまのタイトルが付いていた。(苦笑)

ルールは簡単、娘の手を引いて走り、机の上のカードを一枚めくり、そこに書かれているアニメキャラクターの顔の書かれたさいころを4個積み上げてくるというもの。
帰りは子供をおぶって帰り次の人にタッチ交代。

お遊びと言えばそれまでの競技に、「リレー競争です」とアナウンスが入ると、母親達は一斉に闘志を燃やす。
これが何とも可笑しかった。

さっきまで顔見知りでもなんでもなかった母親達が、「一致団結」「運命共同体」の様相を呈するのだから。
 
当然ゲームは子供のタッチする余裕は与えられず、子供達は引きずられるように走り、
カードを引くのもさいころを積み上げるのも母親のみで行われた。
子供は「はよ乗りっ!」と母親に命令され、慌てて背中にしがみつくだけ。
子供達と関係ないところで勝負は進められるのである。

残念ながら我がチームは2等賞だったが、私自身はなかなか楽しませていただいた。


午前中は園児の演技が多く、昼食タイムをはさんで午後は父兄参加の競技が多い。

私は弁当タイムが終わるととっととおさらばして家で休憩。

でもお父さん出場の競技は面白そうなので、旦那に直前にTELしてもらいその頃合を見計らってもう一度見に行った。

「お父さん出番ですよ」と銘うった恒例の競技、今年は早食いレースだった。

スタートしてすぐに置いてあるカードを一枚めくる。
そこに書かれているボールをドリブルしながら第2関門に。

ボールには、バスケットボール、ソフトバレーボール、ラグビーボール、スーパーボール、と幾つか種類があり、大きなボールはドリブルしにくいように空気が少し抜いてある。

これがなかなか面白い、思うように跳ね上がってこないボールにお父さん振り回される。

第2関門ではバナナとみかん、どちらかを椅子に座って大急ぎで食べ、その後ダッシュしてゴールに向かう。

我が家の亭主殿も出場したが、お弁当タイムのすぐあとで一気食い&ダッシュはきついらしい。
「戻しそうや」と言う声も聞かれたそうな。

しかし見ている私&バブちゃんは大喜びである。
お父さんが他のお父さんと競う場面なぞ、なかなか見られるものではない。

何やかやで運動会は無事に閉幕。パチパチ。
お土産を貰い家に帰りつくやいなや、父と母は炬燵で爆睡したのであった。(年だね〜〜〜!)

園長先生始め、各クラスの先生方、役員さん今日はお疲れ様でした。
私もこれで弁当作りの夢を見ずに済みます。

私には平平凡凡の日々が一番なのだから。


ハオラー。

2001年11月9日
ハオハオ!ハオハオ!お・ば・けのハオハオ!♪

こんな歌をご存知だろうか?
某国営放送教育部門のTV、「おかあさんといっしょ」で時々歌われる可愛い歌なのだが・・・。
アニメーションと歌がこんなにマッチした歌はないなーと見入っているうちに、娘より先に覚えてしまった歌。

ま、別にどーでもいい話でしたね、すんません。

私は羽織好き。自称「ハオラー」。
着物の上に防寒のために着るものには他にも「道中着」、「道行きコート」などがあるが、私は絶対羽織が好き。

道行コートなどは割に無難な色柄が多いと思うのは、私がまだ道行きの奥深さを知らないからかも知れないが、羽織には様々な生地、柄ゆき、果てには裏地まで遊び心満天のものが多いと思う。

道行きよりもくだけた感じ。
だからこの冬も出来る限り、着物の上には羽織とショールで乗り切ろうと思っている。
もちろん極寒になれば、着物自体着るかどうかは自身がないところなんだけど・・・。

11月に入るやいなやめっきり寒い日が多くなり羽織の必要性を感じているのだが、悲しいかな着物一年生の私には、総絞りの羽織、ウールの羽織(もらい物)、あとはちょっと地味でどうすっかなーとか、いかにも正月だよなーの4枚しかない。

で、安い羽織をGETすべく出かけてきた。

行き先は「ゴミの位置」じゃなくてー、「呉味の市」。
某百貨店が定期的に開催している、呉服の催しである。

娘が帰ってくる時間を考えて朝早めに家を出たら、もろラッシュに出会ってしまった。
パンツスタイルで出かけて来て良かったぜ。

10時半過ぎに現地着。
さすがにお客様もまだまばらで、積まれた着物(主にリサイクルもの)をゆっくり広げてサイズを測ったり、羽織ってみたり出来る上に、おせっかいおばさんもいなかったので、自由に選ぶ事が出来た。

自分の手持ちの着物を頭に浮かべながら、「これはあの着物に」、「この色は面白いかも」などと考えながら選ぶのは実に楽しい。

しかも羽織はリサイクル着物の世界ではニーズが少ない一品に入るらしく、割と安価。

底が抜けそうな和ダンスと、旦那の顔が脳裏にちらつくが、「風邪引いたら大変だしー、やっぱり必要だよな」とかなり自分勝手な理由付けをして買ってしまった。

でも良心の呵責を多少なりとも感じる私、旦那のケータイに「また買ってしまいました。怒る?」とメールを入れたら、折り返し入ってきたメールには「お小遣いの中で買えるならかまいませんよ」と嬉しくもあるが、かなり他人行儀な文章があり笑えた。

これでこの冬は何とか乗り切れるかな?

ダッシュで家に帰り娘のお迎えに行くと、さすがに疲れが出てきて小一時間炬燵で眠ってしまった。
何となく気配で目覚めると、先ほどの他人行儀な旦那(笑)が丁度帰ってきたところ。

でも様子がおかしい。

風邪が悪化したようで熱があるが、37度6分。
熱としちゃぁ大したこことはない、私だったら家事がこなせる程度の熱。
なのにこのおじさん、うるさいうるさい。

「あーしんどいー」(年やもんしょうない)、「体が重いー」(太ったんと違うか?)、「熱計ってー」(おのれでやらんかいっ!)。
先週熱を出して寝込んだ5歳の娘より、はるかに「うるさい」&「手がかかる」。

ま、自分勝手な買物をしてきた負い目もあって、さも心配しているフリをして病院に行かせたが、そうでなければほったらかしにされるよー。

病院から帰ってきた旦那、半べそで「点滴されたー」と泣きついてきた。
たかが点滴、私なんて何十回、いや百回は超えてると思う位打ったよ。

ほんと男って注射や血に弱いのね。
女のみに「出産」という大仕事が課せられている理由がよーくわかった気がする。

優雅

2001年11月8日
水曜日朝9時過ぎ、FさんからTEL。
落ち込み様がすごい。

事の顛末はその前日にさかのぼるが、この日は朝から私がめちゃ鬱。
午前中にFさんにSOSのTELを入れて、「心の底上げ」の為に着物を着て梅田に出かけた。

鬱の時に一人家にこもってしまうとろくな事は考えないのは、私自身もまたFさんも経験上よーく知っている。
「×んじゃおうかなー」なんて考えるのもこんな時だ。

幸い旦那が早く帰って来てくれる事になっていたので娘を託し、Fさんと梅田で待ち合わせ、一緒に着物を見たり、触ったり、またバカ話に花を咲かせたりして気分をUPさせる事に努めた。

私の心の奥底にある澱んだ部分。
そんな愚痴にも取れる話をFさんは嫌な顔もせずに聞いてくれる。
それだけで心の傷が少しずつ癒えていく。

Fさんと大阪の海に夕日が沈んで行く様子を、高いビルのカフェからずっと眺めていた。
茜色に染まる西の空が漆黒の闇に変わるまで。


時が過ぎてFさんの旦那様がお迎えにいらしたので、Fさんと別れ電車で帰った。
帰り際にFさんが「やっぱり心に引っかかる」と一言。

リサイクル着物屋でいつものように2人であーだこーだ言いながら着物を見ていた時、店員さんに掛けられた言葉。

「優雅で良いですね」

この言葉がFさんの心を深く傷つけた。

店員さんには「着物を着てちゃらちゃらと出歩くお気楽な奥様」、そんな風に私達2人は見えたのだろう。
いや、多分大多数の人はそんな目で見る事だろう。

でもそこに至るまでには心身共に苦しみ、嘆き、もがき、果ては自虐行為をくり返してきた葛藤の過去があり、プロセスがあるという事は傍目には判らない。

そこをすっ飛ばして「ちゃらちゃら・・・」だけを見られた日には私達には何の救いもないではないか。

そこで冒頭のFさんの電話に戻る。
半分泣きの入った電話に「このまま一人は良くないな」と2人は判断し、我が家に来て貰うことにした。

私の面白味のない和ダンスの中身でも、あれやこれやと広げて触ってもらえば少しは気も紛れるかもしれないし、万一発作が起きても1人より2人の方が不安は少ない。

この日も旦那が早く帰ってきたので、これ幸いと車でFさん宅にお迎えに上がりそのまま一緒にランチ。(もち旦那とは店の前でバイバイ、別行動)
その後我が家にGO!

家の中の掃除とか整理整頓云々の事は、病気療養中ということで多めに見てもらうとして(実はかなりひどい・・・)、ただ我が家の「炬燵」は気に入って頂けた様だった。

2人でごろごろ、それでもっていつもの他愛もない話。

これがきっと良いんだ。
いやこうするしかない時もあるんだ。

そのうち我が家の娘も幼稚園から帰って来、いきなり賑やかになる。
娘は突然のお客さんにテンションハイ!
けらけらと笑いながら家中を走り回っている。
子供一人いるだけで、家の中は不思議と和む。

娘とFさん、2人一緒に写った画像が我が家のデジカメに入っている。

「孫と一緒のバーちゃんみたいやー」
とからかったが、何となくよい雰囲気の2人。
娘のお陰かどうかそれは判らないが、Fさんの顔には少し生気が戻っていたように思う。


そしてその後、着物姿の「ユーガな奥様2人」は、夜の梅田の雑踏に消えていったのだった・・・。
懲りない2人。(笑)

ホントウノココロ

2001年11月5日
今日は心療内科の受診日。
毎度ながらひいひい言いながら自転車をこいで、坂の上の病院まで順番取りに行った。
今日は3番目をGET!

一人20分診察を受けるとして9時40分辺りかな?と予想をつけ、一旦家まで戻る。
帰りは楽なもんだ。
きゃ〜〜〜!と言いながら一気に坂を自転車で走りおりていく。
あ、、、、快感! うふ♪

再度病院に行くときにはまた着物に着替えて。
今日は渋めの赤のウール。

すぐに順番が来てここ2週間の事を慶子先生に話すと、やはり今の私はちょっとハイ(軽躁)な状態にあるといわれた。

2週間の間に何度も着物を着て出かけては買い物をし、その額はもちろん支払える額だとしても○万円位だと話すと、やはりそれは正常な精神状態ではないらしい。

「それにしてもミュウさんの鬱は良い状態と悪い状態の周期が短く、波が大きいわねー」と半ばあきれ気味に言われてしまった。

慶子先生とところの他の鬱病の患者さんは、もっとその周期が長く、波のふり幅も小さいらしい。

私は自分自身「キング・オブ・鬱」(典型的な鬱の意)だと思ってきたのに、どうもアウトロータイプらしい。

とりあえず暴走しそうな躁状態を落ち着かせるため、安定剤が新たに処方されてしまった。
プラス、気分をUPさせるための抗鬱剤は量を控えるようにとの事。

気分をUPさせるために自分なりに考え、してきた数々の事は無駄だったという事か?

自分の体ながらコントロールは難しい。

期待していた障害年金受給の為の診断書は、まだ出来上がっていなくてちょっと残念。
次回のお楽しみ。


順番を取ったあと、2度目に病院に向かう時はいつもバスを利用するのだが、停留所で待っている時に後ろから「ミュウさん?」と声を掛けられた。

振り返ると「母友」の淑子さん。

彼女は幼稚園の若いお母さん方の中で唯一人、私と「同い年」。
若いお母さん方の中でちょっと気後れしていた2人はすぐに仲良くなり、一緒に「フラワーアレンジメント」なぞを習ったりしている。

着物姿を見てすぐに私と判ったようだが(笑)、なぜここに?

彼女の家はここからはかなり遠い。

???と思っていると、
「レンタルビデオを返しに来たんだけど、今自転車に乗れないからさっ」と何気にお腹をさする。

「え!! お・め・で・た?」

にっこり微笑む淑子さん。

瞬間、全身の血が逆流しそうな感覚に襲われた。

体全身が「羨ましい」と表現しているかのように。
あるいは「嫉妬」しているのかもしれない。


子供は一人、そう決めたのは自分。
納得しているはずだった。

でも実の所は、心の奥底に無理やりねじ伏せるように摺込ませた考えだったのかもしれない。

鬱病と言う病気ゆえ、催奇性の高い薬を飲みつづけなくてはならず、もう子供は望めない自分をなだめる為の偽りの意思。

そのまま話し続けていれば泣き出すところだったろうが、上手い具合にバスが来て話はそこでおしまいになった。

「おめでとう!」
大きな声で彼女に声をかけてバスに乗り込んだが、心の動揺は治まらなかった。

慶子先生にもその話をしたが、「一人産んだんだから上等よ」と慰めの言葉とも取れる言葉を貰った。

でも以前釈然としない物がある。
子供を産みたいと思う心は女としての本能なのだろうか?
産めない自分に対しての悔しさから湧き出てくる気持ちなのか?

確かなのは「もう一度小さな子供を抱きたい」と言う素直な気持ちを、依然自分が持ち続けていると言う事実だけだ。

雨・・・・。

2001年11月3日
人生なんてこんな物さ・・・・ふっ。

朝起きた時から雨はもうぽつりぽつりと降り始めていた。
先週の日曜日とほぼ同じすべり出し。

夕べの天気予報では降水確率は確か20/40だったはずなのに。
なんでやねん・・・。(泣)

せっかくのチャンスだったというのに、これこそ人生に一度あるかないかのラッキーチャンスだったのに。(そな大層な)
く、く、くやし〜〜〜〜〜〜〜いの100乗である。


前回雨が降らなかったにもかかわらず運動会を中止してしまった事に対する責任を感じてか、雨が本降りになった8時を過ぎても園からは中止の電話は掛かってこない。

「今ごろ園長先生(兼、住職)“仏の力を見せたる!”とかゆうて、本堂にこもって拝んではるん違うかぁ」
などと旦那と冗談を言っていたのだが、やっぱり中止が確定しない事にはなんとも落ち着かない私。

友人にも様子を伺うべく電話をかけたが、やはり中止は確実だろうという話になった。

8時をだいぶまわってから「待ちきれん!」と園に電話をかけると、園長先生が電話に出られた。

「運動会中止ですよねー?」との問いに、
「今、中止の電話連絡を回したところです」とのお答え。

やっぱりね(涙)・・・。

しかし園長先生の電話、ここからが長かった。

「前回の事もあるし、ギリギリまで悩んでたんけどね、すべて私の責任です!」

てなこと言われてもねぇ、お天気まで園長先生が責任とれんでしょうがぁ。

しかし園長先生の話は止まらない。

「何度もお母さん方にはお弁当の準備をしてもらって申し訳ないです」
「来週はもしもの事も考えて体育館も借りておきます」

段々と受話器から聞こえてくる声に悲壮感が漂ってきたので、慰めのつもりで前述の「本堂で拝んではる・・・・」の冗談の話をしたら、

「もうやりました!さっきまで拝んでました!」

「でもね・・・・。」

あららー、もっと落ち込ませちゃったかなー?

仏も今日は力を貸してくれなかったってことですねぇ。

電話を切ってから思った。
園長先生って真面目でお茶目♪ふふ。


私はなぜか園長先生にとって話しやすい母親であるらしく、ときどきとっつかまっては延々話し相手をさせられたりしている。

10日ほど前も30分近く2人で話した。
別に怪しい関係じゃないのよ、公園の掃除中の先生にまたとっつかまっただけ。

色んな話しをしたあと、園長先生が空を見上げながらこう呟かれた。

「ミュウさん、僕ねぇ、もう夢なんかないんよ。みんな叶えてしもうたから」

反射的に私はこう答えてた。

「園長先生はきっとすぐに次の新しい夢を見つけはりますよ。」
「だって次から次へと新しい事やってみはるやないですか」

「そうかなー?」
「ええ、そうですよ!」

園長先生が笑った。

きっとこの人は死ぬまで何か新しい事、園児のためになる事を考え続ける人なんじゃないだろうかと私は思っている。
夢のない幼稚園なんてこの人には似合わない。

今年も10月1日、入園願書の受付日、この幼稚園に子供を入れたいと願う親御さんが深夜から門の前に列を作ったと聞いている。
夢のない幼稚園に通わせたいと思う親御さんがいるだろうか?

少なくとも私はこの園を選んで良かったと思っている。


さて来週の日曜日、今度は晴れてくれるかな?
私は罰があたりそうな位、神仏を大事にしていない不届き者だが、今回は
「仏様! 園長先生のためにも、子供達の為にも力を貸してやってください」と願わずにはいられない。

たとえ弁当の件でまた思い悩むに違いない自分を思ったにしても・・・・。


あ、でも園長先生、
運動会の開会式の挨拶はなるべく短めに、短めにお願いしますよ!
子供達、足がだるそうにしてますからね。(笑)

明日は運動会。

2001年11月2日
さて、母親の私がほけほけと遊びこけている間、娘は幼稚園の延長保育やらお留守番やらだった訳で、こんな母親を一体どんな目で見ていたのだろうか?

「お母さんが元気なのは嬉しい。」
「でも放って置かれるのはちょっと面白くないなぁ」

こんなところだと想像してるのだが、読者の皆さんはどうお思いになるだろうか。

放蕩を続ける母親に神様のバチがあたったのか?
水曜日の夜中、娘が熱を出した。

以前より「軽い気管支炎」と医者に言われていたので薬だけはきちんと飲ませてはいたのだが、効き目がなかったのか、とうとう38度2分の熱。

翌日からまたもや病院通い。
抗生物質を変えてもらい、新たに炎症を抑える薬やらが増えた。
たったそれだけで「漱石」が2枚ふっとんで行った。よよよ。。。。(涙)

それと娘の発熱で起きた問題が一つ。

この日私も「心療内科」に行かねばならなかったのだ。

かと言って熱を出した娘を一緒に連れて行くわけにも行かず、しかし手持ちの薬は底をついている。

「心療内科」はいつもお待ちの時間が長く、それは娘がかろうじて一人で留守番できる時間30分をはるかに超える。

う〜〜〜〜む・・・、どうしたものか。

ピカァ〜☆(ピカチュウかいっ)
ひらめきっ!

そうだ、娘の病院の先生に処方箋を書いてもらおう♪

あらかじめ娘の薬を貰う調剤薬局にTELして「デプロメール25mg」「デパス0,5?」が置いてあることを確認。

そして娘の診察のあと「先生、お願いがぁ〜」と、さも子供が不憫で・・・ってな顔をして頼むと、あっさり鬱病の薬の処方箋を書いてくれた。うしうし。

いつもは精神保健法32条の適用を受けていてただで手に入れている薬。
しかし今回はそれに身銭をきらねばならなかった。

またもや「漱石」2枚が飛んでった。よよよ。。。。(涙)
でも、ま、薬がきれて鬱になるよりはましか。

しかし悪い事ばかりと言うものでもなく、熱を出した当の娘は可哀想だが、
「娘の発熱」というアクシデントはここ数日来の私の悩みをあっさり解決してくれた。

11月3日は雨で延期になった幼稚園の運動会の振替日なのだが、朝の時点で娘はまだ微熱があった。
なるべくなら無理をさせないほうが良いに決まっている。

しかし2ヶ月近く前から練習してきた「おゆうぎ」をお披露目出来ないのは、本人もかなり悔しいらしく「絶対に運動会に行く!」と言い張っている。

親としても年に一度の運動会、出させてやりたいし頑張って練習したという「おゆうぎ」も見てみたい。

で、今度は幼稚園にTEL。

「まだ本調子ではないので、娘の出番のある午前中だけ運動会に出て、昼には帰しては貰えないでしょうかー?」
「娘もすごく頑張って練習したと言うので、是非とも「おゆうぎ」だけでも出させてやりたいんですよー」
今度もちょっと泣きを入れ気味にお願い。

「そうですよねー、○○ちゃん頑張ってましたもんねー。」
「解かりました、結構ですよ」
OKが出た。

これで娘のおゆうぎは見られるし、弁当は作らなくていい訳だ。

そうである。
わたしの悩みとは「運動会の弁当をどうするか」という、普通のお母さんならなんということもない問題だったのだ。
しかし鬱病患者に良くある「完璧主義」という性格を持つ私には、運動会のお弁当は「素晴らしいお弁当」でなくては許せないのだ。

でも私の心と体はそんなに頑張れないー。へなへな。

そこに運動会早退という美味しい道がふっと現れたのだ。

娘はおゆうぎに参加でき、母は弁当を作らずに済む。
美味しい。美味し過ぎる・・・・。

これが上手くいくかは明日のお天気次第だが、「災い転じて福を成す」ことをひたすら祈っている罰当たりな母である。

頼むー、晴れてくれー!

和ダンスが壊れた・・・・。

和ダンスと言っても、いわゆる昨今の「ご婚礼10点セット」に入っている和ダンスは、大概整理ダンスの上置き部分のみ。
うーん、引き出し(皿)6段もあればいいところかな?

そこに最近やたら買いまくった着物を突っ込もうと言うんだから、やっぱ壊れて当然だわな。

旦那さんにぶちぶち言われながら、やっと先日直してもらった。
あ、皿の底が抜けたのよ。(笑)

ところがここ一ヶ月の間に、私はさらに着物類を買いあさった。
これはどこに収納されるのか?・・・・

オー!ワタシニモワーカリーマセーン。

とりあえず旦那の目に付かない場所に隠してはあるのだが、
「和ダンスに入りきらない」と言う事実には変わりがない。

そこで一念発起、(そんな大層なものでもないか、(^^ゞ)和ダンスから着物をぜーんぶ引っ張り出して
「これ以降の私の人生において、おそらく陽の目を見ることはないだろうと思われる着物&帯」をチョイスし売りに出す事にした。

持っていく先は庶民の味方、「ながもち屋」だぁっー!

着物2枚に帯が5,6本。
これが結構重い!阪急の紙袋(特大)一杯。

しかもこれを決行したのは、Fさんと「お遊び」の約束をした日だったから当然着物。
「お気に」の1枚、桜色の大島をしゃきっと?着込んで阪急梅田まで大荷物を下げて行った。
途中2回ほど手がちぎれそうになった。←嘘(笑)
せっかくの大島もこんなおばさんに着られちゃ可哀想ってもんだ。

で、梅田でFさんと合流。
Fさん、手にトルコ桔梗の花束。

懐かしい花、トルコ桔梗。
一気に働いていた頃に、心だけタイムスリップしそうになった。
おっーと、あぶないあぶない。

さて大荷物を抱えて(Fさんにもってもらったくせにー)「ながもち屋」さんに入ると、いつも値付をされている店員さんがおらず、若い店員さんが私の着物&帯に一応の売値をつけてくれることになった。

それが意外に高値。
嬉しい反面「この値段で売っても売れんのと違うか〜」との不安が心を掠める。
しかし全部売れれば、「こりゃ美味しいわい」の金額なのである。

ま、あとは神仏に祈るのみ(大げさな)、どなたか奇特な(着物の価値にあまりお詳しくない)方に買って頂ければ良いなと思っている。

大きな荷物を下ろしたところで、Fさんと恒例の8階の古着屋さんをひやかし、その後日本橋商店街にGO!

実は肌寒くなる11月のために一つ良い羽織が欲しかったのだが、それはすぐに見つかり、絞りのオレンジの羽織をGET!
あと、ショールとついでに辛子色の紬もGET。

この辛子色の紬と言うのがなんとなく町娘風で良い。

TVの時代劇で、「病気のおとっつぁんと奉公に出ている一人娘」の会話と言うシチュエーションが良くあるが、あれに出てくる町娘風。

「おとっつぁん!だめじゃない。そんな体で起きてきちゃ。」
「いやなに、これっくらいてーしたことはねぇよ、ごほっ」
「療養所のお医者様もしばらくは静かにしてなきゃいけないって、ん、もうちっとも言う事聞いちゃくれないんだから」
「あ、いててて」
「ほら言わんこっちゃない、ほらほらおとっつぁん横になって」
「すまねぇな、おめぇにばっかり苦労かけて」
「なにいってんの。それは言わない約束でしょ、さぁさぁ」
「あたし、療養所に行ってお薬貰ってくるからおとなしく寝ててよ、おとっつぁん。」
「ちっ、だんだん死んだかかぁに口調が似てきやがる、ふっ」

・・・・おーい、だれかとめてくれー!


とまぁ、こんな町娘風ということで・・・・。

それと今回のヒットは娘の赤いウールのアンサンブル。
これを長い間探していたのでうれし〜。

お正月は母娘そろってウールのアンサンブルだぁっ!

Fさんのお買い物は今回も伏せさせて頂きますわ。(諸事情あり)
でもいつも良いお買い物なさるのよね。

で、また阪急に戻ってふらふらしている所へFさんのHPのご常連の方が声を掛けて下さった。

HPの画像だけで正体を見破られるとは・・・・。
それも後姿で。

恐るべしHP!

ご一緒にお茶してお話させてもらったけど、こういう事ってあるのね。

私は文章だけでしか自分をさらす事はないが、自分の写真を画像としてUPするって事は、全世界に自分の顔を見てもらう事なんだよね。

ちょっと羨ましいなぁ。

いつか私の病気が良くなったらHPを立ち上げるので、それまではこちら(FさんのHP)でミュウの顔ご覧下さいまし。
リンク

でもその「いつか」って、いつ来るんでしょうねー?

昨日に引き続き早起きをしてお弁当作り。

さすがに運動会に持って行くような派手な物ではなく、娘の好きなものをちんまりと小さなお弁当箱に詰めた。

「残さず食べてきてくれますように・・・」
母の願いも一緒にピンクのナフキンに包んだ。

亡くなった母親が自分にしてくれた事を、同じ様に娘にしている自分を思うとなんて時が流れるのは早いのかと思う。
母も同じ思いで毎日お弁当を包んでいたのだろうか・・?

お弁当を作り終え、娘を起こしに行く。

「お弁当できたよ、幼稚園に持っていってね」
いつもは寝起きの良くない娘が、この一言ですんなり起きてきた。

やっぱり子供にとってお母さんのお弁当は楽しみなのかなー?
完全給食の幼稚園では、年に数回しかお弁当を作る機会がない。
だからこんな日はとーっても楽しみだったりするんだろうか?

いつも通りにパパさんに送られ登園して行った娘。
でもお迎えは私。

園のバスから降りてきた娘の最初の一言は
「おかあさん!お弁当みーんな食べたよ!」
だった。

なんだか嬉しい・・・。

「お弁当箱空っぽだよ、見てみて!」
リュックからお弁当箱をいそいそと取り出そうとする娘。
往来の真中で殻の弁当箱だされちゃたまらんと、慌てて弁当箱を振って
「本当だ、空っぽだ。偉かったねー!」と誉める誉める。

彼女の今日のトピックスらしい。

なんだかしみじみ「母親」を実感した。


娘が風邪気味なので早々に家に戻り、夕方病院に連れて行った。
あまりに長く咳が続いているので「念のため」にレントゲンを撮って貰うと、気管支に嫌な影があるとのこと。

軽い気管支炎。

「念のため」をお願いして良かった。
しばらくお薬を続ける事になったが、心配はないとのこと。

今日からまた旦那さんは出張なので、私がしっかりしなくちゃ。

なんだか自分が「母親」だと言う事を意識した1日だったなー。

今日は娘の通う幼稚園の運動会の日。

朝6時40分、炊飯器の炊き上がりお知らせブザーで目を覚ました私は、眠い目をこすりつつ、昨日紙に出来上がり想像(あくまで想像、いや理想)図まで書いて準備していた「素晴らしいお弁当」目指して料理を始めた。

起きぬけ早々、とりあえず揚げ物から。(う゛―)

エビフライを天ぷら鍋にジョワ〜と入れて、夕べのうちに下味を付けておいた鶏に衣をつけてと、淡々と料理をする私。

辛いものばかりじゃバランス悪いな、と卵焼きは甘めにねなんて考えて、卵3個に味付けし終わった所でTEL。

「おはようございます。残念ながら運動会は延期になりました。11月3日です。月曜は普通に保育がありますが給食はありませんので、お弁当を持たせて下さい。」

ガチャ!
・・・・・・・。

幼稚園からの電話連絡網だった。

おー、まい、がぁっ!

「なんやてー!今雨やんどるやないけ。
やってまえ!やってまえ!雨でもええやないかぁ」

私は興奮すると大阪弁を通り越して、永年過した姫路の播州弁になる。

昨日から準備したおかずはどないなるんや・・・・(涙)。

旦那も気の毒そうにこっちを見ている。
「運動会延期かぁ、しょうないなぁ。雨降りそうやもんな」

外はどんより、でも降りそうな気配はない。
空と作りかけの弁当のおかずを交互に見ながらため息をつく。

これどないすんねん・・・・。

旦那が慰めるつもりで
「どっか雨でも遊べるとこで、弁当食べられるとこでもあったら行くんやけどなー」とのたまう。

「行こ!」
即答する私。

この早起きと作りかけの弁当のおかず、無駄にしてあるまじか。

いそいで!パソの電源ON!
大阪で、雨でも子供が遊べる所で、弁当持込可の場所探すでー。

そして見つけたのは「ビッグバン」
大阪府が巨費を投じ、あの「銀河鉄道999」の松本零士氏が設計慣習に携わったと言う全天候型の大型児童館である。
場所は堺市、行けない距離じゃーないぜ。

弁当作り再開!ビッグバンに行くぞー!

そして昼前、私達家族3人はビッグバンの前にいた。

宇宙船のような外観。
なるほど「松本零士氏」らしい・・・(苦笑)。

中は子供が一杯、思う存分遊べる遊具も一杯。
お弁当も食べる事は出来たし、娘も一日思いっきり遊ばせる事が出来た。
しかし日曜に来るとこじゃないな・・・、混んでるわ。

そう言えば、今は亡き(あ、まだ生きてはったな)前知事「横山ノック」がテープカットしているところをTVで見たなーと何となく思い出した。
あの児童館がこれだったのか。ふうん。

選挙カーの中で女性に猥褻行為をしたとかで、地位も名誉もなくしてしまった前知事。
今はどこでどうしている事やら・・・。
そんな事を考えるとこの施設も前世紀の遺物に思えてくるなー。

帰る頃、外に出てみて気がついた。
「そうや!今日雨降らんかったやんかー!」(怒)

明日もまた弁当を作らねばならぬ・・・。
何でまた・・・・。

娘は親のそんな心を知っているのか知らぬのか、へらへらクレープなぞを頬張っている。

いいんだよ、いいんだよ。
君にはどうだって良い事なんだからね。

でもね、でもね、母ちゃんは切ないよ・・・。(涙)


更なる説話を待て!

な〜んて偉そう&もったいぶった書き方をしたが、何の事はない、買物はこれだけでは収まらなかったと言うお話。
今月はどうもアンティーク着物の神様が(そんなもんいるのか?)側にくっついているらしい。

水曜日、朝10時頃珍しくFさんから電話があった。
彼女は朝に電話をかけるとすこぶる御機嫌が悪いので、緊急時でない限りなるべく遠慮しているくらいである。
その彼女から電話があった・・・。

おおぉ!きっと何かあるに違いない・・・。

しかし、私達の電話は本題に入るまでがやたら長い。
下手すると切ってから肝心な事を言い忘れてて、後でメールを打ったりする事もあるくらいだ。
この日もその例外に漏れず本題までが長かった(笑)。

「阪急百貨店で面白い催しやってるから行かない?」
ま、要約すればそういうことだったんだけど、鬱々している時にこんなお誘いの電話は嬉しい。

先週かなりハードに動いた私は、当然と言えば当然なんだろうけれど3日ほどひたすら眠くうつらうつらした日々が続いていた。
しかも熟睡感はない。
そんな時に旦那がまた出張だったりして「抱き枕」なしの日々は誠に辛いものがある。

鬱は睡眠不足に弱い。
ただでさえ不健康な脳に、更なるダメージを与えるのだから当然であろう。

なら寝れば良いか・・・?、それだけで良くなれば精神科の医者はいらないのだ。
もっと言えば充分な睡眠と適切な治療を受けていても、鬱々はやってくる。

そこで電話の話に戻る。
鬱々に効くのは「好きな事をする」「気の置けない人間とバカ話をする」それくらいなもんである。

鬱々気分の時は仲の良い友人と他愛のない話しをしながら、気晴らしに好きな着物でも見よう。
私の場合はそれくらいしか対処法がない。
勝手病と言われても反論は出来ない。
でも本当の話。

で、お約束どおり(掟どおり)の着物姿で出かけた。(笑)
こうなれば現金な物なのだ。

この日選んだのは辛子色に真っ赤な柄が入った銘仙。
実は私の年齢にしてはちょっと派手、とーっても可愛いのだ。
だから随分前に買ったのに陽の目を見る日が来なかった。

Fさんは黒地に○×柄の粋なお着物(お召しかな?)にウサギさん柄の洒落袋の帯を締めていらした。

何でこんなに似合うのかねー。
私には着こなせないわ・・・・。

阪急の催し自体は着物地で「こんなん作ってみましたぁ」って感じの店が多くてあんまり興味はそそられなかったが、やはり出会ってしまった。
・・・・・「古着屋さん」。

見に行くはずだけのお出かけなのに、・・・・買ってしまった。半幅帯と長襦袢。
ちょっと反省。

Fさんのお買物は畏れ多くてここでは書けません。
いずれHPでUPされる事でしょうからそちらをご覧下さいまし。
しかしとても良い買物をされたと思います。

お楽しみもここ早々とタイムリミット!
娘のお迎えに行かねばならぬ〜。(それでも4時まで延長保育に預けた)

ダッシュで帰ってきたので、時間に余裕あり。
ちょっと一休みしてから娘のお迎えに。

さて着物でお迎えに来るお母さんに対する娘のお友達の反応は・・・?

「おばちゃん、お祭りいったん?」

相変わらず「着物=お祭り」であった。
こんなもんですわ、5歳児。(涙)

続きは次回!と書いたのには訳がある。

前回の日記を書いた時点で、すでに私はもう一度日本橋商店街に足を運んでいたから。
ほんま、懲りんやっちゃなー。はははは、はぁ。

もうこの日記ではおなじみ(だよねー♪)のFさんに、この「日本橋商店街」の話をしたところ、
「なにっ?それっ、そんなん知らんで、教えてよっ!」とえらい勢いの返事が返ってきたので、「ほな今度案内しましょか?」と言ってしまったのだ。

とか言って、本当は自分ももう一回行きたかったんで、すぐ次の日曜に約束してしまったんだけど・・・。

いつもFさんは買物の際、旦那さんがお迎えにこられ、私も便乗させて貰っているのだが、実は私はそれがとーっても羨ましかった。
だからこの日曜はどーしてもうちの旦那に送り迎えしてもらいたかった。
だってFさんご夫婦、なんかいい感じなんだもん。

日曜日、念願かなって?旦那さんの運転で日本橋に送っていって貰う事になったんだけど、悲しいかなうちはガキ、いやお子ちゃまが一人いるので、「いい感じ」とは無縁だった。(涙)

この日もFさんのマンション下に到着するなり
「おかあさん、おしっこしたい・・・」と娘。

「しゃぁない、おばちゃんちでトイレ借りよ!」

娘を連れてFさん宅へ、ピンポ〜ン♪

いきなり現われ「トイレ貸してください!」と叫ぶ着物姿のおばさんと、情けない5歳児にFさんのご子息もさぞやびっくりされた事であろう。
K君、ごめんね。

この日もあいにくの雨模様。
しかーし!Fさんとのデートの日は「着物姿で」と言う掟がある。←ちょっと嘘。うふふ。

「う〜ん、濡れても良い着物かぁ、ポリの着物しか仕方ないなぁ、ポリにする〜」とか残念そうにFさんには言ったくせに、内心買ったばかりのポリの着物を着てみたかった私は結構喜んでた。

雨もまたよろし!(笑)


さて古着屋街。
細い路地を入った辺りで出現した着物屋にFさんいたくご感激。
こちらもご案内した甲斐があるというものだ。

「今日はご案内だけ。買わないぞっ!」と心に決めて出向いた私であったが、その決心は一軒目でもろくも崩れ(情けない・・・)白地の紬を買ってしまった。

Fさんは前回書いた「おせっかいおばば」の店で銘仙を一枚お買い上げ。
これで彼女の銘仙コレクションは何枚になるんだろうか・・・?

数もさることながら、彼女の着物についての知識はすごい!
さすが「才女」。
「私も見習わねば・・・」とは一応思うのだけれど、「学習する」ってのが私の頭にはプログラムされていないらしく、毎回直感だけで買物をしては失敗している。

でも基本的に私は自分が気に入った着物なら良しとしている。
その着物がどんなに良い物でもタンスの肥やしにするくらいなら、それは生きた着物じゃない。
自分が気に入った着物はなぜか何度でも着てしまう。
それがリサイクル市で200円で買ったウールの着物であったとしても・・・。
それが私とその着物との相性であり、私にとっての生きた着物。

確かに結城とかは欲しいけど、今の私には分不相応。
きっとタンスの肥やしにしてしまう。
タンスから「もったいないおばけ」が出てきそうだぁ。
ひゅ〜どろろ〜ってね(笑)

いつか私が結城を持つにふさわしい人間になったなら(来るか?そんな日)きっと心にビビビと響く逸品に出会えると信じている。
それまで待っててね、結城君。


ってここで終わってしまうとこの日記も綺麗に収まるんだろうが、この「日本橋商店街」買物ツアーにも後日談がある。

更なる説話を待て!(笑)

日本橋、買物録。

2001年10月21日
相変わらずの「軽繰状態」。
突っ走っている自分がわかるが、止められない。
これも病気ゆえなのかな?

そろそろ心と身体のバランスが崩れ始めているのも感じ取っている。
いつまでこの状態が続くのか、いつ壊れるのか、判らない怖さってのもある。
その時私はどうなるんだろうか・・・・?


金曜日、日本橋の古着屋街にリベーンジ!

家からだと1時間もかからないので旦那に娘を預けて出かけた。
さすがに着物で出かけるほどの気力はなくて、ワンピースにハイヒール。
でもこれが失敗、草履よりハイヒールのほうが疲れる・・・。
足痛いよぉ。。。。。(涙)

日本橋と言えば、大阪では大電機屋街。
東京で言うところの秋葉原に近い・・・と思う。(行った事がないからね)
パソコン、日常家電は言うに及ばず、そのパーツ、工具、果ては何に使うのか?と考えさせられる物まで何でもある街。
土日ともなれば人の多さは驚くほどである。

その大通りから一本筋を奥に入ったところに、件の古着屋街はある。

店の数は4、5件だが、その殆んどの店の前には「暖簾代わりか?」と思わせるほど沢山の着物が吊り下げられていて、店の奥は見えない。
怪しい店かどうかは入ってからのお楽しみ・・・。(笑)

まず1軒目、恐る恐る入った店は洋服、着物なんでもありの店だった。
店と見るべきか、倉庫と見るべきか?うーん、悩む。

表にはおっとりとした奥さん、その奥に思いっきり大阪商人してるお目付け役のおばあちゃんが座ってる。

おっとり奥さんでお客を安心させ、世間話をしながら着物をあれやこれや広げお客がその気になった時にばあさんが出てきて、「これにしとき!」と凄みのある声で一言。

ミョーに説得力のある一声にびびったお客は「ほなこれを・・・」と勢いに圧されてばあさん指定の品をばあさんの言い値で買ってしまう。

見事な連携プレー、いや戦略だ。

私のばあさんの罠にはまり、黄八丈のアンサンブルを買っってしまった。

2軒目、いきなり化粧の濃いばあさんが出てきて、
「つぶすのん?着るのん?」ときた。
ちょっと、「ムッ!」

「何が欲しいん?」「帯か?」「名古屋か?袋か?」「どんな着物にあわせるん?」「私は見てないんやからあんたがゆうてくれな解からへんのやで!」

尋問やないんやから・・・、ばあさん。
それに私は客と違うんか?

こんなに偉そうに言われる店はお断り、さっさと店を出る。
2軒目はハズレ・・・。

3軒目。
表に着物は掛けてあるものの、おせっかいばあさんは出てこないし自分で自由に見て触る事ができる。
店の奥には黙々と値札付けをするおっちゃん一人。
おっちゃん、何も話し掛けてこない。

これ幸いと店の中の着物ををあれこれ自由に引っ張り出しては見る。
あれこれ言わず、放っておいてくれるのが嬉しい

そこで気に入った銘仙を見つけたので、値札付け中のおっちゃんに
「あの〜、これいくらですか?」と尋ねると、おっちゃん
「それは表はええんやけど、裏が木綿やから安いんや」「ま、いっぺん羽織ってみ」
と案外気さく。

「ほな」、と上がらせてもらって銘仙を羽織ってみると、おっちゃんが話し掛けてくる。
「ええ艶やろ、玉虫色いうんやで」

「他にも見してもろおて、かまいませんか?」
「ああ、好きなん引っ張り出して見ぃ」

「あ、この店良いわ」、そう思った。
私が色々引っ張り出してくる着物におっちゃんは「それは袖にシミがある」とか「それはええもんやからちょっと値が張るで」と解説だけはしてくれるが、決して押し付けがましく勧めたりしない。
安いもんは理由がある事、良い物はそれなりの値がつくことだけを客に言う。

人好き好きだけれど、私はこういう店が好きだ。

小一時間この店でおっちゃんと話しをしながら着物を見ていたが、その間にも何人かのお客さんが着物を見に来られた。
そのお客さんの殆んどがリピーター、なじみのお客さんだった。

客商売の上手さを見た気がした。

ここではずっと探していた青紫の矢絣銘仙と桜色の大島を買った。
値段も満足行く値だと思う。

私は着物が好きだけれど、その知識は決して多くはない。
こうして一つ買う度に一つ賢くなればいいかなと思っている。
もちろん失敗も多いが、見て、触って覚えていく事が楽しい。

しかし、これで先週来私は何枚着物を買ったやら・・・・。

でも買物はここで終わるわけではなかった。続きは次回。

「本当に鬱病か?」
そんな風に問われたら
「はいそうです」とうな垂れるしかないが、最近の私を見た人は「元気なおばさん」そのものだと思う。

前回も書いたが、今私は「軽繰状態」にある。

昨日は大阪の大問屋街、船場に足を運んできた。
ここに入っている呉服屋さんのHPを私はお気に入りにしている。

この呉服屋さん、いつもオリジナリティーあふれる商品作りに尽力されているのだが、
その熱い想いと言うか、エネルギーがHP上からも伝わってくる様に思える。
「常に先を先を見ている」好奇心の塊のような、「その人」に会ってみたくなった。

もちろんUPされている画像の着物にも興味があったし、買う前に1度実際に手に取って見たかった。
いつも買っているアンティーク着物ではなく、現代の普段着。

家の内で、買物に行く時、子供と公園で遊ぶ時、汚れても自分で洗えるような気軽な着物。
私にはそういう着物も必要。

なにせ5歳の子供は自分がどんなに汚れていようと体当たりで抱きついてきてくれるしね・・・。
それをこちらも全身で受け止めてやろうとすると、綺麗なおべべは着てらんない。
「ポリエステル100%」「洗濯機OK」これでなくてはならない。

でもおしゃれ心は捨てらんない。
そこはやっぱり女だもの、ささやかな「こだわり」ってものを持ちたい。

そんな私のニーズに合った着物を置いているお店が上に書いた船場のお店。

実際に店にお邪魔してみると、やはり件のHPの製作者である息子さん、熱い!

その日も京都で新しい反物を3反ほど探して帰ってこられたところで、汗をかきかきそれをどう料理しようか思案中だと熱心に話しておられた。

考えるより先に行動するタイプのお方。
それは、私にはないものだな・・・。

若旦那、常にどうすればお客のニーズに応えられるか考えておられるようで、とても好感の持てる人だった。
なにより仕事を楽しんでいる感じがとても良い。
本来普段着であった着物を日常から切り離し、高価で冠婚葬祭時にしか着られない高級民族衣装に祭り上げてしまった呉服業界に、こういう人が居てくれるのは心強いと思う。

作家物も良いけどね、「気が付いたら誰も着てくれない世の中だった」じゃ意味がないじゃん。

このお店でアンティーク調のポリの着物を1枚お買い上げ。
茶色がかった紫に小花模様。
地味すぎるかと思っていたが、羽織ってみたら以外に映える。
お気に入りになりそうだ。
あとは帯か・・・・。それを探すのもまた一つの楽しみ。

その後は日本橋の古着街まで足を運んだが、あいにく木曜はお休み。
仕方なく付近をぶらぶら。

日本橋の裏手はあやしい店もあるからか、そこへは旦那さんが一緒に付いてきた。
恵比寿の駅で仕事の終わった旦那さんと合流、ランチをしてからお手々つないでの散策だった。
これって結構幸せ。

旦那はここに限らず、私が怪しげな所に足を踏み入れるのを極端に嫌う。
新世界付近は立ち入り禁止令が出ているほど。

大阪に嫁いで7年、通天閣さえまだ上がった事がない私。
「私をスキーに・・・・」ならぬ、誰か「私を通天閣に連れてって!」。

We love kimono

15日、旦那さんから半年分のお小遣いが支給された。
支給額はその日旦那さんの銀行口座に振り込まれる総額のの5%と決めてある。
4月15日、10月15日、年2回の支給。

なぜかって?
我が夫は自営業なので、収入は毎月決まった金額ではなく、受注した仕事の量によって毎月変わる。
3月と9月は丁度各企業とも決算の月に当たるので、仕事量が多いのであ〜る。
そしてその支払いは・・・4月と10月。
つまり一年に2回、すごーく収入の多い月なんですね〜、にんまり。
当然「5%」、消費税に匹敵する小額と言っても、結構あなどれない金額になったりするのですよ。ほっほっほ。

先日おデートしたFさんと、お金が入ったら一緒に京都でアンティーク着物漁りに出掛けようとお約束していた。
もちろん15日の夜に早速お電話しましたわよ、おっほっほ。
彼女も行く気満々、談合成立、16日に決行!と決まりました。

あいにく当日は「午後から雨」との天気予報。
腐っても気象庁、素人予報よりまし。
一応信じる事にして、「汚れても構わない着物」でのお出かけになっちゃいましたが、ま、着物を着て出かけるだけで気分はルンルン、それくらい我慢しましょ。

ちなみにFさんのこの日のお召し物は「こげ茶色のひげ紬」。
男物の紬を粋に着こなして素適でしたよー。

私は丸洗いに出す予定があり、「多少汚れてもいっか〜」の淡いグレー地にピンクと水色の花柄の紬でお供させて頂きました。

「やっぱ、最初はここでしょー。」とFさん御用達「今昔西村」に行き、しばしアンティーク着物に囲まれうっとり。
お値段も良いけど、品物もさすがにセンスが良く、手入れの行き届いた着物ばかりでした。

是非何か一品一張羅にできるような着物を求めたかったのだけれど、心にビビビ!と来る物に巡り会えず、ふと目に止まった博多筑前の半幅帯を購入。
アンティークではないけれど、色目がとても気に入ってしまったので良い買物。
お値段もリーズナブルでした。←これが1番。(笑)

次は新京極の「井和井」。
私が銘仙を出して見始めるとFさん、「銀行に行ってくる!」いうなりダッシュで店を出て行かれました。
は????

仕方ないので一人でお店の人と話をしていたら、「ここにもあるんですよー」と陳列台の下の引出しから単の大島紬が出て来た。
おおっ!
大島ではないか!
このシャリシャリ感と言い、艶と言い、なかなかの代物。

ま、ちょっと羽織って見ましょうか・・・という所で後から「なに良いもの着てんのよ!」のお声。
・・・・Fさんご帰還でした。

彼女気に入った銘仙を見つけ、その資金調達に銀行に走ったらしい・・・。
見習わねば・・・・、この行動力・・・。

この日の戦果は、
「単の大島紬」「博多筑前の半幅帯」←私。
「銘仙」2枚、「博多筑前の半幅帯」←Fさん。

「博多筑前の半幅帯」はおそろで〜す。ふふ♪

雨がひどくなってきたので、他のお店は次回のお楽しみに残しておいてFさんの旦那様お迎えの車で我がマンション下まで送っていただきました。

旦那様に感謝!

Fさんの旦那様、とても優しくFさんの事を大事に大事にされていて羨ましかったです。
「病気のしんどさは僕には解からへんから、ちょっとでも体が楽になるんやったら思てね」とお迎えにいらした理由を話して下さった。

他にも色々お話させてもらったのですが、やはり鬱病の彼女にどう接したら良いか迷っておられる様子・・・。
言葉では言い尽くせないものがあるので、私もどうお答えしたら良いものか悩んでしまいました。

ここまで読んだ方、たぶん「なんだ元気じゃん!」と思われるかも。
でも違―うのであ〜る。

今の私は軽繰状態(ちょっとハイになってる)。
これは病気って事。
Fさんのお話だと、薬の副作用って事も考えるらしいっす。

壊れるまで走りつづけてしまう今の自分。

そしてこんなハイな私にお金を持たせるとどうなるか・・・・?
まだまだこのお話は続くのです。

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