金欠

2002年2月1日
金がない。

まぁ元々専業主婦&病人なので収入がなくて当たり前なんだけど、使う方はいっちょ前に使うもんで当然行き詰まってくる。

私は半年に1度旦那に小遣いを貰っている。今までは何とかそれででやりくり出来ていたのだが、道楽が着物となった今ではそんなもん屁のツッパリにもならない。
うん十万うん百万の世界であるのだから、庶民の私が足を踏み入れた事自体間違いってもんだ。

それでも何とか遊んで来られたのは、リサイクル着物屋と言う商売があるから。
着ない人間にとってはタンスの肥やし、無用の長物なのだから、それを売って頂いて「貴方は懐が潤う」、「私はたんすが潤う」、で良い関係が出来ているのである。

しかしそんな良い関係もそうそう続けられるわけはない。
小遣いもいつか底をつく。

ならどうするか・・・?

日が沈み暗くなってから、風呂敷に着物やら時計やらを包んで人目を避けて質屋に行く、と言う手もあるだろうが、さすがに・・・。

第一、昨今の質屋は質屋と言う名の高級ブランドショップだったりするから、質草持って金借りに行く人も少なかろー。

それに金目の物が極端に少ない(つまり貧乏)我が家、売るものもない。

あふれているのは嫁がうらうらと呆けて買った着物ばかり。

そうだ!ならそれを売っちまおう。
と言う事で「着物のリサイクル店」へ。

リサイクル店で買った着物をまたリサイクルに持っていってどうするんだって?
へへへ、持って行くのは市で買った安物だよ。

2000円ほどで買った着物に15000円の値が付くのが着物の不思議なところ。
もちろん委託料50%はもってかれる。(泣)
しかしそれをさっぴいても全部売れれば25000円位の小遣い銭はできる。
嬉しい♪

もちろん売れれば、の話だが。

それでもタンスがすっきりすると言うメリットはある。
色々市やらなにやら行っていると、どーしようもないものが何となく貯まってタンスの底板を圧迫しているのだ。
着もしねーもんをどうして買うのか自分でも謎だ・・・。

とにかく一応その時点では我が家のタンスのすっきり片付くわけだ。
たとえそれが一瞬であるにせよ。(笑)

昨日もまた羽織を2枚、道行きを1枚買った。ははは。

でもそれで自分自身が楽しければいいのだ。
だって私病人だもん。

これを勝手病と言う。(第2説)

初天神

2002年1月27日
25日、京都の北野天満宮では毎月市が立つ。

特に一月のそれは「初天神」と呼ぶそうだ。

私は天神さんの市にはまだ行った事がなく、いつか行ってみたいなぁと思っていたが、今月は25日に旦那がお休みというラッキーがあったので娘の事はお任せして、いざ天神さんにレッツゴー!と相成った。

阪急西院の駅を降りてバス停に向かうと、すごい人、人、人。
みーんな天神さんに向かう人。

バスは5分間隔位で次々に来るが、どれも西院のバス停ですでに満員状態。
一体いつ乗れるものかとため息・・・。
「やっぱタクシーにし様かなぁ・・」と考えていると、後ろのおば様のひそひそ話が聞こえる。
「えらい満員やねー、いつ乗れるんやろか」
「ほんまやね、それに何番のバスやのん?」

おぉ!このおばさんたちも初めての天神さんか?

おばさん2人に声を掛けて誘惑してみる。
「来るバス来るバス満員ですのよ。いつまで待つなあかんのかしらねー」
まず同じ境遇だと言う事を主張して、共感してもらう。

次に
「これやったらバスよりタクシーの方が早いんちゃいますやろか?」
「3人一緒やったら割ったらそんなにかからんやろしー」
提案してみる。

おばさん2人引っかかる。

「そやねそないさしてもらおか、いつまで待っても満員やったらねぇ」

相乗り決定!

即座にタクシーを止めておばさんがたに乗ってもらう。
が、もう一人乗れそうだ。

「天神さんに行かはる方、一緒にどないですー?」

もう一人引っかかる。
「いや〜あてもいっしょにええでっしゃろか?」
おばあちゃん一人GET!

かくして天神さんまで4人快適にタクシーでぶっ飛ばす事になった。
女同士タクシーの中は和気藹々。
あっという間に天神さんへ。

タクシー代1050円なり。
4人で割ると280円。バス代は220円。
快適さとスピード代に差額60円はおいしすぎるってもんだ。

しかし・・・、20歳の頃なら他人に声なんか掛けずに一人でタクシーに乗ってただろうに、その後20年で女とはこうも変われるものか・・・。

あの頃他人様に自分から声をかけるなんて恥ずかしくって出来なかったなぁ・・・。

あぁ、遠い日々。

恐るべし、おばさん化現象!
これを読んでるあなたっ!貴方もいつかこうなるのよ!(笑)

さて天神さん。
とりあえず最初はお参りお参り。(謙虚でしょ?)

境内の梅もちらほら咲いて、いい香りがする。
受験生かな?一生懸命拝んでいる人もいて、ここは学問の神様が祭られているのだと実感。

しかし私の頭はこれ以上良くはならないだろうし、せめてこれ以上呆けませんようにとの願いをこめて、お参り。

さぁーて古着屋さんは何処かなー?
ははは、ごめんね菅原道真さん。
目的はこっちなのだよ。

ここは東寺さんの市と比べると、売り物事のゾーンが何となく決まっていて、古着屋は古着屋ばかり固まって並んでいる。

あとは・・・あさるあさる。
着物、帯、羽織、片っ端から広げてみるけれど、この日はあんまりいいものはGET出来ず終い。

残念だったけど、梅の良い香りを嗅がせてもらっただけで良い気分。
花の効果は不思議なほど大きい。

歩き疲れて帰りの電車はどーしても座りたかったので、一旦四条河原町まで出ることにしバスに乗ったが、これが遅い!
市内の渋滞は半端な物じゃなかった。
結局河原町まで1時間立ちっぱなし。
それも小刻みに動いては止まるものだから、その度にこけないように踏ん張る私の腰は・・・いってしまった。
痛い・・・、ずきずき痛む。

河原町でやっと満員バスから解放された時には腰痛持ちのおばさんになりきっていた。

帰りも快適ツアーを組むべきだったと反省。

それにしても初天神、怪しげな物は売っていなかったが(残念)、バラエティに富んだ出店が出ていて楽しかった。
着物は殆んど500円で手に入れたし(これを打ちながらもう着ている)一日十分に遊べる所だった。

次は、やっぱり東寺さんに行くぞー!

今度は着物で行こう。
京都にはやっぱり着物が似合う。

しばし休養・・・

2002年1月20日
心が動かない・・・。

普通に動き、飯を食らい、人と話をし、眠る。

そんな風に普通に生きているつもりなんだが、なぜだろう…何も心に残っていない。

心がこりこり、肩こり状態なんだと思う。

もちろん笑えるし、多分はためには気付かれていないと思う。
家族だって分ってないに違いない。

ただ人生の消化作業なような暮らしを続けているのは苦痛かと言うと、それがもう麻痺しているのかそれほどでもない。

でもいつもと違う事は自分にだけは分る。

鬱に陥るまい、とあえて自分のしたいようにし、行きたい所に出かけ、会いたい人に会う。

ちょっと頑張りすぎたのかな?
欲張りすぎたのかも知れないな。

ちょっと冬眠。
着物もお休み。

ぐうたら過しているうちに、またきっと良くなるだろう。
プラスにせよマイナスにせよ、頑張りすぎは良くない。


千年の恋

2002年1月15日
相変わらず不安定な体調。

それでも外に出ている間は、不思議と体の辛さは忘れている。
「つくづく勝手な病だなー」と自分でも思うが、「それで楽になれるんならいいやんか」ともう一人の自分が慰めてくれる。

で、一日おきには何かと都合をつけて出かける。(笑)

今日は旦那さんが急に休みになった。
「また2人で映画行こっかー」と甘い囁きが旦那様からあったので、娘が幼稚園に行っている間にそーっと映画を見に行ってきた。

「千年の恋」
主演吉永小百合(紫式部)の堂々たる東映お正月作品。

といっても小百合スト(死語?)には申し訳ないが、お目当ては光の君演じる天海祐希嬢。

宝塚ファンなら外せないでしょーって映画ですわ。
おーほほほ。

宝塚の男役さんが退団後男を演じるなんて事、めーったにあるもんじゃござんせんからね〜。
これを観いで何を観ろっちゅうんじゃって事で、旦那様はあまり乗り気じゃなかったけどこの映画に決定!

実は一回この映画断られたのだ。
以前「ハリーボッター」を観に行こうとして満席で観られず、それじゃなに観る?って事になった時、「千年の恋は?」と言ったら「それは好みじゃないから嫌!」とけんもほろろに却下された。

「確かにこの人のキャラじゃこれは観たくないだろーなー」と私も納得して、その日は何も観ず終いで帰った。

旦那さんはSFが大好きで、特に「スタートレック」シリーズが好き。
私は好みじゃないけど、一度だけ付き合って観に行ってあげた。

ならなぜに今回は?
はい、その時のお返しって事ですねー。(笑)

お互い譲り合う事も夫婦には必要です。

うちは大概私の「がぶりより」で、旦那の意思は反映される事が少ないかも知れませんが・・・。ははは

さて映画「千年の恋」。

小百合ちゃんは良い!
光の君の天海ちゃんも光ってる。

絢爛豪華、衣装だけでも十分に楽しめる。

なのに、なのに・・・、
なぜ松田聖子が出てくるんだぁっっっっっ!!!

ストーリーに関係もなければ、数多ある女の一人でもない。
つまりなーんにも関係ないのに、突然出て来て、着物脱ぎながら走ったり、小舟の上で訳わかんない歌歌ったり、とどめは月に向かって飛んでったー。(ここで思いっきり爆死)

「私は松田聖子よ!出しなさいっ!」ってごねて映画に出演したみたいに見えたぞー。

はっきり言って不必要な存在。
なんで東映もこんな演出するかねー。

旦那も???な顔で見てた。

この人源氏物語を読んだこともない人なので、本当にこんな女が源氏物語に出てくるのかと信じちゃわないかなーといらぬ心配もした。

しかし最近のフルメイクがっちりの松田聖子、ちょっと怖い・・・。

もしかして、ひょっとして、映画のあれは、運命に抗う事を許されなかった女達の「怨念の化身」だったのか?

ならばフルメイク松田聖子はまさしく適役といえよーなー。


今日は撃沈

2002年1月12日
あかん・・・。

この頃一日出かけるとその翌日は休まなければならない状態。

体力がないのか、病気の体を酷使しすぎているのかは不明だが、とにかくしんどい。

それでも旦那様は仕事に行っているのだからと、娘を連れてスーパーに買物に出かけ、結果スーパーの階段でめまいを起こし階段から落ちかけた。

ほうほうのていで家にまでは帰りつけたが、やっぱり夕食作りは旦那様に頼む事になった。

なんか情けない妻・・・。


そう言えばこの間TVでめまいの特集をしていたので
「おっ、これは!」と興味深々で見ていたのだが、
「めまいは耳、目、脳、などどれか1つの臓器の故障で起るものではなく、幾つかの原因が複雑に絡み合って起きるものだと言うことが最近分ってきた」
とエラソーな先生がしたり顔で言っていただけだった。

「それが解かったとて治す方法が分らんのならしょうがないだろーがーっっ!」
とめまい持ちである私は、TVに向かってほえまくった。

エラソーな先生曰く、特に日本はめまいに関する研究が遅れているそうな。

メニエール病がめまいを起こす病気として非常にメジャーな存在になったために、患者がめまいと訴えるだけで医者は「メニエール病」として片付けてきた為らしい。

ま、いつの世も医者とはそういうものかも知れないな。

ご多分にもれず、私も耳鼻科で「メニエール病」と診断されて一年3ヶ月通ったぞ。

その後「鬱病」と診断を受け、そっちからくるめまいとわかったのは1年半苦しんだ後だったもんなー。

最初に診察してくれた医者なんか「体調整えてね」だって。

体調整えたくておのれのとこに来たんやないけー!(怒)

このときは何かを破壊して帰ったろかとまじで思った。

この話を当時医大生だった友人にしたところ、
「それはしょうがないかも。」
「内科医はまずすべての臓器の異常がないか調べて、それで異常が見つからなくて原因が解からない場合の一番最後に心の問題かも・・・と考えるんやからなー」
とのたまわった。

「患者にしてみりゃ良い迷惑なんだけど・・・。」
と言いたかったが、その医大生の友人も同じ病気(鬱病)だったので(笑)、それは本人が一番身に沁みてるだろうと思い、あえて言わなかった。

めまいにおいてさえ「心の問題」とされるのは最後なんだな。

あのエラソーな先生、結局TV放映中に予防法も治療法も何一つ喋らずに、ただ何度も「色んな問題が複雑に絡み合って・・・」とオウムのようにくり返しただけで番組は終わってしまい、期待して見ていためまい持ちの視聴者はきっとがっかりしたに違いない。

何でも良い!誰でも良い!
めまいの特効薬か治療法を確立してくれー!

患者の心の叫びはまだまだ日本では届きそうにないようである。


余談だが、一つだけそのエラソーな先生が言った名言がある。

どんな医者にかかるのが良いか?と司会者に尋ねられた時だが、その医者はこう言った。

「めまいにかかった事がある医者ですかね」

笑うべきか、怒るべきか・・・。

全国骨董市in京都

2002年1月11日
に行って来た。

幼稚園も始まってはや2日目。
お出かけが出来るようになってうれしー。

本当は今日旦那は仕事はお休みの予定だったのだが、急に仕事(下見ってやつ)が入り2時間ほど家を空けることになった。

普通なら遊びに出かける母親である私に、「悪いけど家にいてくれないか?」と言いそうなもんだが、遠慮してるのか女房が怖いのか、娘に「悪いんだけど延長保育に行ってくれないか?」とお願いしていた。

娘はパパさんが休みと聞いて「やった父ちゃんをこき使って思いっきり遊べるぞ」と喜んでいただけに、「いや!」の一言。

さりとて入れてしまった仕事には行かねばならぬ。
おまけに夕方からは取引先の新年会に出かけないといけないときているので、女房子供の機嫌は取っておきたい旦那の胸のうち。

かくして旦那は一日娘のしもべとなった。(笑)

何を言われてもハイハイと娘の要求をのみ、ひたすら「延長保育」のお願いをする旦那。

ちょっと情けない・・・。

一日下僕が功を奏してか、娘は今日は延長保育に行ってくれた。

お陰で私は5時半過ぎまでフリー。
全国骨董市in京都にめでたく行く事が出来たわけだ。

ここは知り合いの古着屋さんからお知らせのはがきを頂いたので、その方に会えるかな?と言う気持ちもあって行ったが、残念ながら今日はその方のお店が分らず会えずじまい。

その代わり安い古着がいーっぱいで、こちらにはうはうは状態。

沢山の着物の中から、十日町紬と大島の道中着をお買い上げ。
しめて4500円なり。
「イナゾー」一枚もいらなかった、うれしー。

骨董市だけあって訳の判らないもの(こんなもん誰が買うんじゃー?)と言う物も一杯。
時間があったらもっと見て居たかったけど、TIME OUT!

でも久々にワクワクさせてもらえた。

今年も何だかんだと言いながら、着物三昧の生活になりそうだ。

あ、ご同伴はおなじみF様とその旦那様でした。
お二人に感謝!

あ、旦那にもね。(笑)

やっと・・・

2002年1月9日
明日から幼稚園が始まる。
年末年始をはさんでいたので、冬休み中びったり娘と2人きりで過したと言う実感は薄かったように思う。
それでもやはり幼稚園に行っているわずかな時間であれ、一人きりの時間がコンスタントに持てる喜びはある。

我が家の正月もやっと終わるのかなーと言った感じ。

登園準備は何とか整えたので、明日パパさんと機嫌良く出かけてくれさえすれば良い。

大体において長い休みの後の最初の登園日には
「お母さんが良い〜」と泣かれる事が多いので、それだけが心配。


景気付けにと言うか、ご機嫌取りに「えべっさんん」に連れて行ってきた。
近所に戎神社があって、ささやかながらもお祭りがあったのだ。

私はいつも通りにさっさと着物(ウールのアンサンブルだった)に着替えて出かける準備をしていたら、娘の機嫌が悪い。
何か言いたいんだけど言えなくて拗ねている感じ。

「ははぁ〜ん、着物が着たいのかな?」
と思って尋ねたら、ジャストミート!
正月に着たウールのアンサンブルをずるずる引っ張ってきて着せてくれと言う。

う゛ーーー。

嬉しいんだけどね。
でも面倒くさいんだ。

娘が「お約束覚えてる?」と正月にしきりに言っていたのを思い出したので仕方なく着せてやると、大喜びしてくるくると走り回っている。

約束とは年末に「お正月にはおそろいの着物で初詣に行こう」と私が言った一言の事。
彼女にとっての「お揃いの着物」=「ウールのアンサンブル」だったのだ。

念願かなって?母ちゃんとおそろいで神社に行けるもんだから、ご機嫌ご機嫌。
下駄が脱げそうな位ぴょこぴょこしている。

やっぱり可愛い。←親馬鹿(笑)

通りすがりの人にも着物姿の親子は珍しいらしく(正月でもないってのにってか?)、赤い着物を着た娘を可愛いと誉めてもらい、親としては悪くない気分かな?

えべっさんにはあつかましくも「この賽銭でそんなに願いは叶えられるかいっ!」と言うくらいお願い事をしてきた。

今年は不景気のせいか、えべっさんの参拝者が多いらしい。
小泉君に期待できない今、もうあとは神頼みしかないと言う事かなー。

とにかく景気回復!!

たのんまっせ〜、えべっさん!

仕事始め。

2002年1月6日
新しい年になってはや6日経った。

明日から仕事始めと言う方も沢山いらっしゃるであろう、もう仕事始まってるよと言う方も。

我が家では明日から旦那様が仕事に出かける。
娘の幼稚園は10日からなので、あとしばらくはまだ正月気分に浸っている事だろう。

でも少しづつ朝起きる時間を早めて新学期に備えている。
また7時おきの日々が来るのかと思うと、当事者でないだけに自分が一番気分的にしんどい。
「かってに行ってくれー」と言う気分だ。

正月の間は随分ぐうたらな生活をさせてもらった。
はっきり言って太った。

最近は栄養が偏ったか、腎臓もしくは心臓を患ったかそこの所は医者に行くまではっきりしないが、足に浮腫が出てきてちょっと気持ち悪い。

脛の部分を押さえるとべっこりへこんで暫くは元に戻らない。

旦那に訴えると
「妊娠中毒症ちゃうか?」とまじか?と言う答えが返って来た。

確かに妊娠中に一度浮腫が起こり、医者に食事制限を受けた事はある。
しかしあんたの嫁の腹が確かに出ていることは認めるが、妊娠はしてないぞ。

それはあんたが一番判るであろーが(笑)。

とにもかくにも病院が開いたらダッシュで診察に行かねばならない。

こちらも病人として仕事始めってとこか。

医者の診察を受け、薬を飲み、養生するのが病人の仕事であるならば、だが。


新年明けましておめでとうございます。

日記になぜこんな言葉を書くのかちょっと不思議でもある。

ここがWEB上の日記サイトで、不特定多数の読者がいて下さるからなのは重々承知して入るのだが、あの3日坊主アイテムとしては家計簿に次ぐ順位を誇るであろう「日記帳」になら、自分で「あけおめ」は書く奴はいないだろうなーと思うと少し可笑しい。

どーでもいい事なんだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・
朝目が覚めると8時だった。

新年恒例行事のように、朝起きるとすぐにパジャマのまま台所に立ち、昆布とかつお節で出汁を取りお雑煮の下ごしらえをした。

人参は花の形、大根は扇形に飾り切りし下茹で。
三つ葉も切っておく。
生麩も用意して下準備は一旦終わり。

それから服に着替え、旦那と娘を起こしに行く。
これも恒例行事。

今年は着替えるものが着物だった。
それが唯一違ったところ。

今年は娘にも着物を着せた。
赤いウールのアンサンブルなのだが、古着屋でいい加減に買ってしまったのでサイズが大きすぎた。
かなり身揚げをしたのだが、やはり大きすぎ。

それでも小さな娘は母親と同じ着物を着るのを楽しみにしていたらしく、早く早くとせかされながら着付けた。

親ばかとお笑い下さって結構、なんとも愛らしい着物姿の娘に思わず笑みがこぼれた。
着物がよほど嬉しかったのか、くるくると回って見せる小さな娘。
一輪の花が咲いたように、家の中が一瞬にしてぱっと華やぐ。

旦那、ただでさえ垂れている目尻が一層下がる。(笑)

女の子を持った親だけが味わえる幸せなのかもしれない。

一緒に簡単な朝食を摂ったらもう一家団欒の時間は終わり。
旦那と娘は一晩だけ実家に帰省するので昼前には家を出発、私は一人お留守番と相成った。

一人のお正月はちょっと淋しいが、旦那の実家の賑やかさを想像するとやはりこっちの方が良い。

一応新年の挨拶と、帰省出来なかった事についての詫びをしようと義母に電話を入れた。
受話器の向こう側から子供たちの賑やかな声が聞こえてきて大人数が実家にいる事が覗えた。
やはり帰省しなくて正解。
きっと気疲れして、帰ってきてから寝込む事になりかねない。

娘は早速あちらの子供と一緒に走り回って遊んでいるらしいが、動きにくいだろうからと着替えさせようとしても頑として着物を脱ごうとしないらしい。

「女の子やなー」と義母もあきれ声。

でも私としては娘が着物を好きでいてくれる事が妙に嬉しかったりする。

きっと「お母さんが着せてくれたんやから脱がへん!」とでも言っているんだろうな。

電話を切るとしーんと静まり返った部屋。

一人の夜は気のせいか時間が経つのが遅い。
いかに普段あわただしく過しているかが良くわかる。

今日は好きな事をし、好きなTVを見、好きなものを食べてぐうたらに過そう。

私に与えられた1日だけの正月休みと思って。

明日の夜にはまたいつもの賑やかさが戻ってくる。

休養日

2001年12月30日
本日休養日。

本日給料日、ならどんなに嬉しい事やら・・・。

昨日はF様と2人でデート。
日本橋、心斎橋をふーらふら。
着物を着て出られるだけ、もう嬉しい嬉しい♪

多分着物で出かけるのは今年最後だろうね。
今年は随分着物に散財したし、一杯お出かけもした。
着物を通じて知り合えた人もある。

色んな意味で着物に助けられた事、とっても多い。

一つ残念なのは、折角行き始めた着付け教室に突然行けなくなってしまった事。
先生にも迷惑かけたし、自分としても残念。

これからは自己努力で上手くきれいに着られる様にやっていかないとな。
ま、習うより慣れろって言うし、その分は心配ないでしょ。

一年の最後に着物を一枚買った。
綸子地の花柄の小紋。
これは旦那様の承諾を貰って買ったので、堂々と着られるぞっ!(笑)


来年も何とかこの調子で、浮かんだり沈んだりしながらも良い方向に持って行けたら良いな。

これからは短い周期で病気を見て一喜一憂するのでなく、年単位で良くなっているかどうかを見ていきたい。

それと悔しかった事、恨みに思った事を忘れるのは難しいかも知れないけれど、それにしばられずに少し離れた目で見ていければいいなと思う。

上手く言えないけれど、それにとらわれ過ぎると目の前の幸せが見えなくなるって事あるかも知れないって思うから。

「千と千尋の神隠し」の主題歌の歌詞にそんな今の心にピッタリのフレーズを見つけた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「いつも何度でも」

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新しい年が始まる。

この一年自分は何をしてきたのだろう?と問うよりも、これからの一年でどんな自分に出会えるだろうかと言う楽しみをもてるといいなと思う。

この一年、日記を読んで下さった方に心から感謝を・・・。
 


与勇輝展

2001年12月29日
人形展に行ってきた。

いまやかなり有名なお方となられた「与勇輝」氏だが、私が初めて彼の人形に出会ったのはかなり昔で、多くの方がそうであるようにその出会いはTV番組「徹子の部屋」である。

このTV番組で私は初めてこのような「生きた人形」に出会った。

そのときに見たのは「ニングル」、妖精であったが、TVのモニター越しにでさえ、人形の感情と言うか、人形が見据えたその先にある何かを感じ取れるような気がした。

一目で魅了された。

それからずっと彼の人形に恋焦がれ、いつか機会があれば実際に生で見たいと思っていたが、なかなか機会はなく、しかしいつかは・・・と思っていた。

大阪で彼の人形展があった時にはまだ体調が思わしくなく、一人では出かけられなかったため、旦那に一緒に行ってくれるよう頼んだが、「もう少ししたらね」とはぐらかされた。

今回は京都で人形展が開かれると知り、少し遠いが思い切って出かけてみることにした。

冬休みと言う事で娘のバブちゃんも一緒一緒に連れて行ったが、無理をしてでも見に来られて良かったと心からそう思った。

永年恋焦がれてきたせいか、会場に入ってから出てくるまでどう歩いたのかをあまり覚えていない。

ただ人形だけをボーっと眺めていた気がする。

娘が退屈そうにしていたのは何となく覚えているが、ただただ硝子ケースの向こうの人形に魅入られていた。

指の先までゆきとどいた神経。
2本の足の裏への重心の掛かり方さえも、それは生きているもののそれだった。

電車に並び座る幾人もの乗客。
一人一人に人生があり、想いがあるように思えた。

中でも一体の老婆の人形には、それまでの人生の喜びや哀しみと言ったものが表情ににじみ出ており、一際印象的だった。

子供連れでなかったらもっともっとそこに居たかったくらいである。

もし時間に余裕のある方は、是非ご覧になることをお薦めする。
29日まで京都高島屋の7階で「神様のかくれんぼ」と言うタイトルで開催されている。


京都まで出たついでに古着屋も見に行ってきた。
12月1日にオープンしたばかりと言うお店。

商品の数には驚かされたが、まだ整理が出来ていないとのことで、あちこちに商品が置いてあり値札のついていないものも多く、もう少し落ち着いてからもう一度いきたいと思う店だった。

価格は古着屋価格。
市に比べるとやはり高いが、きれいなものが多く安心して買物ができると思う。

多分今年最後の京都行き。
着物を着るようになってから、京都は随分身近な町になった。

来年ももっともっと行けると良いなぁ。

でもやっぱり女の楽しみは女どうしがいいな。
バブちゃんは・・・・・・。
可愛いんだけどね。

冬休みとは・・・?

2001年12月22日
娘が家にいる。
それも一日中だ。

何とか一日目の今日はクリアしたが、これから半月以上もこれが続くのかと思うと、はっきりいって「つらいのぉ〜」(ハンカチの端を噛む)である。

ま、朝は良いとしよう。
起こさなければ起きて来やしない娘なのだから、一緒に朝寝もいいもんだ。

だが起きるや否や、全身で「遊んで!」攻撃炸裂である。
ここのところめまい続きの私の体には堪える攻撃だ。

夏休みには「子供アニメ劇場」なるものが朝9時ごろから放映されるので、それで子供の攻撃をかわすことも出来たのだが、今朝は放映されていなかった。

朝御飯はごねごね、昼御飯は食べないときて、ままごと付き合え、おやつを作れ、と要求は尽きないくせにこちらの言う事は聞かないと来ている。

ママ、ブチ切れ寸前。
これが夏、冬、春、の休みにはくり返されるのだ。

今日は何とかおとなしかったが、つくづく侮れない生き物だ。
子供って奴は。

あとここんところが一番頭の痛いところなのだが、
「何処へでも一緒に連れて行かねばならない」って事。

5歳児なのだから、一緒に出かけることにもう問題は無さそうに思われるかもしれないが、出先で子供に排泄を頻繁に訴えられた経験をお持ちの親ごさんも多いはずである。

この間ひとつ隣の駅で、
「おかーさーん、おかーさーん、お尻の穴が痛いよー」
「大きい○んこが出そうなんやー」
「痛いよー痛いよー!」
と大きな声で泣きながらホームを歩いていた男の子を見かけたが、この男の子を引きずるように改札に向かって行ったお母さんの顔も半分泣きそうであった。

こういう場面でのお母さんの心中、察するに余りある物がある。

ご多分にもれずわが娘も出先では、必ず、ほぼ100%の確立で、「大きい方」を訴えるのである。

バーゲンのワゴンセールで、やっとの事でサイズの合う(かなりシビアなサイズである)、しかもお気に入りの一品を見つけ、いざレジへ!と言った場面で「おかーさん・・・」が始まり、泣く泣く商品を手放しトイレに連れて行き、戻った時にはその一品は無くなっていたと言う悲しい経験を持つ私である。

なぜ子供は「なんでやねん!」と言うときに排泄を訴えるのか・・・?

そのほかにも心療内科で1時間30分待って、いざ自分の順番と言う時(心療内科は一人一人の診察時間が長い!)、渋滞の高速道路、TVを見ていてここがクライマックス!と言う場面、などなど枚挙に暇がないほどである。

一番多いのは、長蛇の列に並んでいて、いざ自分の番!と言う場面だな。
あ、あと本屋も。

これを繰り返していると、「子供と一緒に出かけるのが嫌になる」と言うのはご理解頂けるだろうと思う。

しかしこの長い冬休み、家にこもりきりという訳にもいかないだろう。
第一、    親のほうも欲求不満になってしまう。

早速明日には日本橋にでも出かけたいなーと思っているこの母のためにも、どなたか子供の頭に付ける、「排泄感覚検索装置」を開発していただけないだろうか、と思う今日この頃である。

鬱?

2001年12月19日
今日は朝から調子が悪かった。

胸の中に何かが詰まっている感じ。
正体は多分「不安」。

おまけに動悸がするもんだから、一旦は起き上がったもののやはり気分が悪くて炬燵布団にUターンしてしまった。

幼稚園に出かける娘の世話も満足に出来なくて、ただ発作が治まるのをじっと待つしかなかった。

情けない・・・。

その横で、私が指示は出すものの着々と娘の支度を手伝い、自分も出かける準備をする旦那。

早めに家を出なければならない旦那に代わり、今日は私が娘を送って行くはずだった。

「行ってくるね」と一度は出掛け様とした旦那だったが、私の様子から娘を送っていくのは無理だろうと判断したらしく、出勤時間を遅らせて娘を送って行ってくれた。

ありがたい&自分が情けない。

2人が出かけた後、発作は一時間もすると治まり、薬を多めに飲んでしばらく眠ると気分も落ち着いた。

まさに出鼻をくじかれた一日。
チクショー!


発病時に比べると確かに出来る事は多くなり、生活に不自由を感じる場面は大幅に減ってきてはいるが、こういう発作が起きる度に「やはり自分は精神障害者なのだ」と言う思いが強くなり、落ち込む。

またこの病気を持って年を越すのかと思うと、その思いは一層強まる。

まだまだ体調に波はあるものの、笑って話は出来るし、人込の中に出かけるにももう不自由はないが、小さなつまづきがすぐに心の大きなダメージになる。

良い例えがこの間の「コンピューターウィルス感染事件」。

「貴方のせいじゃないんだから気にしちゃいけないよ」と何人の友人に励まされただろうか。
それでもまる1日、自責の念から立ち上がれなかった。

そのまま鬱地獄に落ちなかったは不幸中の幸いだったが、危うい所までは行った。

そういう場面に出くわした時、心のコントロールが上手くできるようにという考えだろう、この間から心療内科の慶子先生の治療の方向性が変わった。

「それでそういう時どうしたらいいと思う?」
と言う問いが私に多く向けられるようになった。

しかし今の私にはまだ「解かりません」としか言えない。

アクシデントに出くわした時の対処法は、自分で答えを導き出さねばならない事位は解かっているつもりだが、その答えが私にはまったく見えてこない。

旦那は私の症状が落ち着き、昔の私を取り戻していく事を望んでいるようだが、昔のままの私ではきっと病気は治らない。

一旦は良くなったとしても、またいつかきっと壊れてしまうと思う。

そうならない為にも「一歩その先の自分」を見つけなくては・・・。

でもその「1歩先の自分」ってどんな私なんだろう?


薬による治療だけでなく、カウンセリングによる治療が始まったと言う事は、精神状態が落ち着いてきたと慶子先生には見えるということか?

まだ治療は始まったばかり。
焦りは禁物と自分に言い聞かそう。

自分探しの長い旅はこれから始まるんだ。


るみなりゑ

2001年12月16日
2年ぶりに神戸のルミナリエを見に行ってきた。

病気になってからは行きたくても行けない所の一つだったので、やはりこういった人込の中へのお出かけもクリアできたことの喜びは大きい。
一歩前進か?

さて件のルミナリエ、前回見た時よりも青色の電飾が多い気がするが、それはそれでステンドガラス風で素適だった。
やっぱり冬の神戸の風物詩だもんね、見られて良かった。

ただ人の多さは・・・、半端じゃねーぜ!

明石の花火大会の事故を教訓にしてか、警備の人員増は言うまでもないが、神戸大丸を取り巻くように順路が決められており、南京町にいた私達が会場に行くにはかなりの大回りを余儀なくされる。
この日は極寒!いくら人が多いとは言えやっぱり寒い。

なのにトイレの近い旦那、妻子を置いてトイレ探しに消える。

・・・・寒風吹きすさぶアスファルトの上に置き去りにされる妻子。
妻、キレル!

旦那を置いてさっさと人の波に乗り歩き出すが、多少優心(やさごころ)があったのか、人目に付きそうな明るい場所で待っていると、携帯にTEL。

旦那、妻子に気付かず行過ぎている事が判明。
妻、ブチキレル!!
うりゃ〜〜〜〜!

とにもかくにも、「寒い!」の一言のルミナリエ見物だった。

終始機嫌が良かったのは、「桃まんじゅう」を握りしめ旦那に肩車されていた娘。

あんたはええなぁ・・・お気楽で。

そう言えば2年前に来た時は、串刺しにしたゴマ団子を握りしめていた。
あんまり進化してないのね、あんたってば。

正月の年賀状の写真撮影という目的もあったが、こっちの方はあまりの人の多さにあまり良いショットが取れず、残念。

一枚だけ人様にお願いして、家族3人の写真を撮って貰った。

家に帰ってからその写真をパソコンにUPすると、青色の電飾の下で撮って貰ったためか、3人とも顔色が「死人」。

来年の元旦、3人のゾンビの写真が「おめでとー」とお宅に届くかも・・・。

真夜中の格闘。

2001年12月12日
今日の早朝2時頃に発作。

どこにもやり場がない焦燥感と、痛みを伴うほどの肩こり、そして動悸。

夜中に音を立てないように独りで肩をモミモミし、呼吸法で発作を凌ぐ。

何と長い時間に感じられる事か。

今朝も旦那は朝早くから仕事に出たので、どんな体調でも娘を送って行かなければならない。
結構堪えた・・・。

このままじゃどうしようもないので朝イチで病院へ。

でも薬も変わらず、話のみ。
カウンセリング料と言うのも始めて取られた。

ちょっと凹んだままで今日はスタート。

不思議な旦那。

2001年12月11日
昨日はなんだか着物が無性に着たくなった。
で、Fさんに電話を掛けたら、あらら、まだまだ寝てらした、ごめんねー。
でも11時だったんだよ〜。

でも旦那が早く帰ってきたので、娘はお任せして夕方からお出かけ。
着物が着れて満足じゃぁ〜!むふふ。

Fさんと着物を見たり、食品売り場をぶらぶらして遊んだ後、7時過ぎに家に帰った。

が、なんだか私の留守中にアクシデントが起こっていたらしい。。

アクシデントそのものは大した事じゃーない。
ただ娘が大事にしていた「コロコロクリリン」と「ひよこ色」のハンカチを、旦那が敷物をベランダではたいた時に外に飛ばしちゃったよーで、それが運悪くお隣の「OGAWA」さんちの屋根に舞い降りちゃった。

「バブちゃんゴメーン!、バブちゃんのハンカチとんでっちゃった」
「え?どこどこ?」

旦那、娘を抱きかかえ「OGAWA」さんちの屋根を見せる。

とたん「うぇ〜〜〜〜ん!」、 大泣きされたそうな。

おまけにこの2枚のハンカチは娘にとってはと〜っても大事なものだったらしく、外に向かって「風さんのバカ〜!」と大声で、しかもおおよそ見当違いない怒りのぶつけ方をしたらしい。

ふんっ!悪いのは父ちゃんなんだよ、バブちゃん。
風さんはただ吹いてただけ、気を付けなかった父ちゃんに非はあるんだからね。

ま、バブちゃんのことだからきっとずっーっと泣きつづけたんだろう。
困った父ちゃん、仕方なくそれを取りに行こうとしたらしい。

お隣の「OGAWA」さんちにピンポ〜ン♪
「すみませんとなりのマンションの者なんですが、お宅の屋根にハンカチが落ちてしまいまして、屋根に取りに上がらせて頂いてもよろしいでしょうかぁ?」

「それは困ります!」。OGAWAさん。

そりゃそうだろー。
こう言っちゃ何だが、OGAWAさんちの玄関先の屋根は、かなり年数のたった(要するにぼろくなった!)トタンらしきお屋根。
あんたが乗っちゃぁきっと底が抜けて穴が開くわな。

それが十分に判ってらっしゃるからこそ、OGAWAさんお断りになったんだろう。
OGAWAさんのおっしゃる事はもっともだ。

で、旦那、塀をはさんで我がマンションの敷地である駐車場に210センチの脚立を立て、そこから長い棒に(クイックルワイパーの柄だって、笑っちゃうよなー!)ガムテープを巻き「とりもち」状にしてハンカチをくっつける作戦にでたそうな。

作戦は何とか成功、「コロコロクリリン」のハンカチは取れたらしい。
「ひよこ色」は棒が短すぎて断念。

一枚でも取れたもんで、何とかバブちゃんのご機嫌も直ったとさ。
良かった良かった、チャンチャン♪


この一連の話をバブちゃんが寝てから小一時間、旦那は布団の中で熱く熱く語ってくれたのだった。

私はフンフンと聞きながら、
「なんで新しいハンカチこうたる!言うてなだめんかったん?」と尋ねた。

旦那、
「しまったー!、そんな方法があったんやー!」
「1時間も無駄な時間費やさんでも済んだんやんかー!」
「ごっつぅさぶかったんやでぇ〜〜!」

あ、ははは。
なんやのこの人。

旦那、
「でもな210の脚立立てて頑張ったんやで。」
「210センチゆうたら、ジャイアント馬場の頭に乗っとんと同じ位の高さやんか」
「考えてみ!ごっつう高いんやからな!」

・・・・。

私、
「ごめん!私ジャイアント馬場さんに会うたことあらへんねん。」
「それにもうこの世にいてはらへん事やし、この先ジャイアント馬場さんの頭の上に立つ言う事、私にはない思うわー」
「そやからそない言われても私には解からんわ、ごめんなー」

皮肉たっぷりに返してやった。

「そか、そやな・・・」
旦那黙り込む。

なんでこの人はこんな可笑しな事考えつくんかなー。
ジャイアント馬場さんの頭の上に立つなんて表現、普通するかぁ?

それって「象が乗っても壊れない」って言う筆箱のCMが昔あったけど、それと同じノリやないの。

しかし旦那の名誉のために、どなたか「象に筆箱を踏まれた」と言う経験をお持ちの方いらっしゃいません?


私は着物好きだが、着付けのほうは?というとさっぱりで、お太鼓だって「改良枕」と言う便利グッズがないと結べやしない有様である。

今年の初めから着付けのサークルに通っていたのだが、夏に体調を崩ししばらくお休みしていたらなぜか行けなくなってしまった。

先生は優しい方で、病気である事を考慮して下さり、連絡なしに休んでも何もおっしゃらない。
それどころかお稽古日には午前中に「今日はお稽古の日なんだけど調子はいかが?」とお電話まで下さる。

ありがたい話だ。

ところがなぜか2ヶ月ほど前から行きたくてもいけなくなった。

精神的に圧迫感を感じるというか、行かねばならないと考えるとめまいが始まるのだ。

サークルの方が苦手というわけでもない。
好き!と言うほどではないにしろ、おばさん達の「好奇心満々質問攻撃」もさらっと受け流せるくらいの人生経験は積んできたつもりである。

ま、毎回「これはどこで買ったの?」「またインターネット?」「いくらで買ったの?」「生地は何かしら〜?」との質問にはいささか辟易していた感はぬぐえないが・・・。

でもだからと言ってお稽古に行けないほどではない。

なのになぜに???

ただ精神的プレッシャーは結構大きい事だけは判る。
拒否反応がめまいに加えて腹痛までプラスされてきたからである。

とりあえずしばらくはお休みを頂こうと思っている。
先生には申し訳ないが、「無理はしない」のがこの病気に一番だという事だけははっきりしている。

知らない人ばかりなら元旦の明治神宮だって私は平気で行けるだろう。

でも知り合いの集まり(例えば幼稚園の参観)などは、かなりの薬を飲んで防衛していてもめちゃくちゃ疲れる。

多分気を遣わねばならない相手か、そうでない相手かの違いなんだろう。

とりあえずそういう理由で、当面私は半幅帯しか結べないわけである。
羽織、道行は必須アイテムだ。

まったく気を遣わずに済むお方が、我が家まで来て教えて下さるって言う美味しい話はないかなー。

ついでに「ただ」だともっと嬉しい。(笑)

ちょっと復活。

2001年12月6日
昨日はボコ鬱に陥った私だが、Fさんのお陰と、家族の助けでちょっと浮上できた。

今日は旦那さんがお休みだったので、某阪神百貨店の催事に一人で出かけてこられた。

要するに着物を見ていられれば幸せって事で、まぁリハビリみたいなもんですわ。

催事には最近開店と同時に走り込むように習慣付いているので、店員さんに顔を覚えられたらしく、精算の時にそれらしい挨拶をされてしまった。てれてれ。

すごくビビビときた品物はなかったが、それなりにお金を使って幸せに浸る。

女は金を使わねば楽しめない生き物なのかと、自分を省みてしみじみ思う。

早めに帰宅して、娘が幼稚園から帰ってくるまでの時間を旦那と2人で待ったりと過す。

生きた抱き枕。
お陰でほけほけと2時間ほど眠ってしまった。

今日のお休みは、次の日曜に仕事に出る旦那の家族に対しての「ごめんなさい休み」。

次の日曜は娘と2人きりで過さねばならない。
憂鬱だが、そういう日もあるさ。

さて明日も復活に向けてリハビリをしよう。
一人で寝ていても鬱病は良くはならない。

ウィルス

2001年12月5日
私は流行にはとんと疎いほうなんだがなー、なんでかなー?
このことに関しては飼い主の性分は関係ないらしく、今猛威を振るっていると言う「ワーム型ウィルス」に我が愛機が感染しちゃった。

このウィルス「W32.Badtrans.B@mm」と言うらしい。
こいつったら性質が悪いってなんたって、感染するとそのパソに登録されているアドレスに自分自身を添付して勝手にメールを送りつけるところがいやらしいじゃないか。

つまり我が愛機に入っていた友人、知人のアドレスに「ウィルス入りメール」がこのパソから飼い主である私の許可も得ずに勝手に発信されていたのである。

当然我が親しき友人は私からのメールと思い、メールを読もうと開く。
とたんにこのウィルスは相手のパソに取り付き、友人のパソに入っているアドレスあてにまたウィルス入りメールを多数勝手に発信してしまう。

ま、鼠算式にウィルスは増殖していくわけですな。

そしてその送信記録は残らないと来ている。
我が愛機から誰と誰にウィルス入りメールが送られたのか、私自身には解からないのだ。
送られた方々は迷惑千万だと思う。
憤慨されている事だろうとも思う。

とにかく私の愛機からウィルスメールを受け取った方々にはこの場を借りて深くお詫び申し上げる。
貴方がMACの愛用者であるか、セキュリティーに気を付けていらっしゃる事を切に願っておりまする。

もちろんセキュリティーをしっかりしていなかった私が1番悪い!それは充分に解かっているつもりだ。

しかしこのウィルスを作った奴も、こんな事にその素晴らしく明晰な頭脳を使わずにもっと社会に貢献出来る分野に使えば、きっと世界中の人間に尊敬されるに大人物になれると思うんだが・・・。


私はこのウィルスばら撒き事件後、ぼこ鬱に陥った。

主犯ではないにしろ、「運び屋」を知らずにやらされたわけだから・・・・。

今朝はぼこ鬱最高潮でとうとう起き上がれず、娘の世話も出来ずに幼稚園に送り出してしまった。
すべてを旦那に任せて布団の中で泣いていた。

そのあと薬をたくさん飲んで「寝逃げ」。

・・・のはずが、2時間ほどで起きてしまい、しかもぼこ鬱は治らず(涙)。

そのままだと良くない事(ほら、自×とか)を考える可能性もあるので、泣きの電話を「鬱友」であるFさんに入れ、「行っても良い?」と尋ねると、快く?OKしていただいたのでそそくさとFさん宅に逃げた。
こんな日に一人きりは鬱病患者には危ない。

3時過ぎまで色んな話をしたり、遊んで頂いたり、なんとか笑顔を取り戻してからFさん宅を辞した。
Fさんに感謝!

しかし、家に帰って愛機を見ると、やはりこのままほおって置く訳にはいかないと思い、ウィルス対策をネットで検索。
何とかウィルスを退治するソフトを発見、ダウンロードし駆除できた。

一安心である。

私にとって今までウィルスってのは自分には関係ないもんだと思ってたし、情報を盗もうとする奴も「国防総省」とか、「CIA」「KGB」とかを狙うもんだと思ってた。

でもこんなに自宅にマイコンピュータを持つ人が増えた今、その個人情報がお金になるってこともあるんだと知った。

クレジットカードの番号や、私や私の家族の情報がウィルスの作り主に自動的に送られるなんて、私のこのぼろい頭の中では想像も出来ない事だった。

もっともっと自分を守る為に賢くならねばならない。
今回の事でそれを実感した。

最後に私からウィルス付きメールを送られて憤慨なさっているだろう方々に、ウィルス駆除ソフトがダウンロードできる事と、インターネットエクスプローラーのバージョンアップをして置くと良いらしい事をお知らせしておきます。

マイパソは飼い主である自分で守ってやらんといかんのね。


歯医者

2001年12月2日
姉が帰ってほっとしている暇もなく、先週は次々に用事があり、なかなかにハードな1週間だった。

幼稚園の懇談会、写真の申し込み(幼稚園の)、心療内科の診察、毎日何やかやと出かける用事があり、あっという間に過ぎていった1週間。

最大のトピックスは娘の夜泣き。
5歳になった娘だが夜泣きはなくならない。
こんな夜はこっちも泣きたくなる。

娘の夜泣きは毎度の事なれど、今回はちょっといつもと違い、原因は歯痛。

夜中3時頃、
「痛いよ〜、痛いよ〜!」「え〜ん、え〜ん」&大暴れ。
そう言えば7時過ぎ辺りから歯が痛いと言っていて、ぬるま湯で口を漱がせたり、きれいに磨いてやったりと旦那がこまめに面倒を見ていたような・・・。

お風呂に入ると痛みが倍増するようで、大粒の涙を浮かべて風呂から上がってきたっけ。

でもそのまますーっと眠りに落ちて行ったので、「大丈夫なのかな」って安心して親も寝てしまった。

で3時ごろに大暴れ。

親といえども本人ではないのでどの位の痛みかは想像できないが、かなり暴れたところを見ると相当痛かったんだろう。

「お父さんも起きて!痛いの何とかしてよー!」
叩き起こされた旦那。

かといって歯の痛みはどうにもしてやれない。

仕方なく嫌がる娘に「セデス」を3分の1量水に溶いて飲ませようとすると、
「応援してくれないと飲めない・・・。」

「頑張れ、頑張れバーブちゃーん!」「頑張れ、頑張れバーブちゃーん!」

草木も眠る丑三つ時、我が家では親2人が我が子の為に手を叩き大声援!
・・・・やっと飲んでもらえた。

さすがセデス、製造禁止になった薬だけあって?、痛み止めは即効効いてくれ、また娘は眠りに落ちていった。

翌日朝、夫婦で娘をどうしたものか話し合った。

とりあえず幼稚園は休ませる事にしたが、運悪くその日は木曜日。
かかりつけの歯科は休診日であった。

木曜日でも開いている歯科を探して診てもらうべきか、痛み止めでもたせて翌日かかりつけ医に見せるべきか・・・親、悩む。

やはり診てもらう方が良いかなとタウンページで小児歯科を探すが、やはり休み。

そういえばマンションの裏手に新しく歯科が出来た事を思い出し、用事ついでに行ってみるとすぐに診てもらえる事になった。

だが娘、神経質そうな歯科医の顔をチラッと見るや、
「ここ、いやや〜!」
のたまう。

「ゴリゴリはなし!」っちゅう条件で診察台に上がらせ診て貰うと、虫歯か新しい歯が生える痛みか判断がつきにくいとのこと。

とりあえずレントゲンだけ撮ってもらったら、やっぱり新しい歯がもうそこまで生えてきているらしい。

小さな乳歯の下には、まだ完全な形ではないけれど大人の歯である永久歯が「まだかまだか」と待っているかのようにスタンバイしている。

虫歯の可能性も否定できないので、治療済みの歯をもう一度掘り起こして虫歯の有無を確かめると言う方法も考えたが、その日はもうけろっとしていて「痛い」の一言も言わない。
結局かかりつけ医で相談と言う事で決着はつき、その日は治療はなし。

その日以来娘から「歯が痛い」と言う言葉は出てこない。
あれはなんだったんだろう?

そう言えば私も治療中の歯があったが「鬱病の調子が・・・」と嘘こいてとんずらしたままであった。(笑)

娘を連れて行くのは出来るくせに自分は行けないのだ。

だって歯医者って怖いじゃん・・・。

・・・これを勝手病と言う。

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