ぽっこり鬱
2001年10月14日ポッコリ鬱に入って3日目。
今回は浮上も早そうかな?と一人で喜んでいる。
どうやら今回旦那は私が鬱の波の中にいるということは気が付いてないみたい。
「楽しくな〜〜〜い!」は彼には「退屈〜〜〜〜!」としか聞こえていないようだ。やれやれ・・・。
かと言って何もしてくれないわけでなく、買物、掃除、炊事、娘の世話までやってもらっているので文句はないんだけどね。
でも嫁さんが鬱々してるのくらい気付けよーっ!
とにかく病院に行く以外は外には出たくないし、実際自分からは出ない。
「足が弱るから」と旦那にスーパーまで買物に行くとき連れ出されて、計画的(騙し討ちみたいなもん)に遠回りをされるくらいかな、外出は。
それでも心配してくれる人があるのはありがたい話だな、きっと。
薬が無くなるので、水曜日までには「心療内科」と胃を診て貰っている「内科」に行かなくてはならない。
これを考えるだけでユーウツ。面倒くさい。つまりは行きたくないって事。
ほんとにドラえもんにお願いして「どこでもドアー」をお借りしたい、そんな気分。
ついでにピカチュウに「10万ボルト!」とかして貰ったら鬱も治るかも・・とおバカな事も考えてしまう。(電気ショック療法もあることだし・・・)
せめて少しでも楽しくなる事を・・と考えて着物をさわってみたり、宝塚のビデオを観たり、ネットオークションを覗いたりしてるのだけれど、どれも気分がぱっとUPするわけじゃーない。
「あー、もうモグラじゃないんだからさっ、暗い所から這い上がろうぜっ」て自分に声かけしたりするけれど、これが病気なんだなー。
しかし鬱々だからと言って一日中家で寝ているわけではなく、どちらかといえば眠れない。
ここ4.5日毎晩娘の咳がひどく、夜中に何回となく起こされ、その度に「背中さすりーの」、「お茶飲ませーの」して起きてるから慢性的な寝不足のはずなんだけど、昼寝でしのいでいるかといえば昼間は眠れない場合が多い。
「だから平気なんだー、わっはっは!」と言えるほど強靭な体は持ち合わせていないので、やはり集中力や、思考力、記憶力というものは格段に落ちる。
今日も冷蔵庫を覗いて愕然とした。
野菜室にスナックえんどうが入っていた。
旦那にどうしたの?と尋ねたら私が自分で買って来たらしい。
旦那に詳しく説明されて店に行った事は思い出したが、それを買った事は記憶から欠落していた・・・。
これは歳のせいばかりじゃない・・・と・思う・・・ん・だけど・な・・・。あははは・・はぁ。
とにかく、親の歳と体力も考えて、子供というのは夜はぐっすり寝てくれるほうが良いに決まっているのだぁ。
たのむよぉ、ばぶちゃん。
今回は浮上も早そうかな?と一人で喜んでいる。
どうやら今回旦那は私が鬱の波の中にいるということは気が付いてないみたい。
「楽しくな〜〜〜い!」は彼には「退屈〜〜〜〜!」としか聞こえていないようだ。やれやれ・・・。
かと言って何もしてくれないわけでなく、買物、掃除、炊事、娘の世話までやってもらっているので文句はないんだけどね。
でも嫁さんが鬱々してるのくらい気付けよーっ!
とにかく病院に行く以外は外には出たくないし、実際自分からは出ない。
「足が弱るから」と旦那にスーパーまで買物に行くとき連れ出されて、計画的(騙し討ちみたいなもん)に遠回りをされるくらいかな、外出は。
それでも心配してくれる人があるのはありがたい話だな、きっと。
薬が無くなるので、水曜日までには「心療内科」と胃を診て貰っている「内科」に行かなくてはならない。
これを考えるだけでユーウツ。面倒くさい。つまりは行きたくないって事。
ほんとにドラえもんにお願いして「どこでもドアー」をお借りしたい、そんな気分。
ついでにピカチュウに「10万ボルト!」とかして貰ったら鬱も治るかも・・とおバカな事も考えてしまう。(電気ショック療法もあることだし・・・)
せめて少しでも楽しくなる事を・・と考えて着物をさわってみたり、宝塚のビデオを観たり、ネットオークションを覗いたりしてるのだけれど、どれも気分がぱっとUPするわけじゃーない。
「あー、もうモグラじゃないんだからさっ、暗い所から這い上がろうぜっ」て自分に声かけしたりするけれど、これが病気なんだなー。
しかし鬱々だからと言って一日中家で寝ているわけではなく、どちらかといえば眠れない。
ここ4.5日毎晩娘の咳がひどく、夜中に何回となく起こされ、その度に「背中さすりーの」、「お茶飲ませーの」して起きてるから慢性的な寝不足のはずなんだけど、昼寝でしのいでいるかといえば昼間は眠れない場合が多い。
「だから平気なんだー、わっはっは!」と言えるほど強靭な体は持ち合わせていないので、やはり集中力や、思考力、記憶力というものは格段に落ちる。
今日も冷蔵庫を覗いて愕然とした。
野菜室にスナックえんどうが入っていた。
旦那にどうしたの?と尋ねたら私が自分で買って来たらしい。
旦那に詳しく説明されて店に行った事は思い出したが、それを買った事は記憶から欠落していた・・・。
これは歳のせいばかりじゃない・・・と・思う・・・ん・だけど・な・・・。あははは・・はぁ。
とにかく、親の歳と体力も考えて、子供というのは夜はぐっすり寝てくれるほうが良いに決まっているのだぁ。
たのむよぉ、ばぶちゃん。
久々の鬱
2001年10月12日10日前ほどから胃の不調に振り回され、私の頭の中は常時「この胃の痛みをどうにかしてくれ〜」だった。
ま、当然というか、我慢がなかったからというか、心療内科ではなく近所の内科にかかっていた。
医者の見立てはその時点では「神経性胃炎」。
でも潰瘍の疑いもあるので「一度胃カメラの検査を・・・」と勧められた。
結婚前13年内科医院に勤務していた私、自慢じゃないが一度もバリウムさえ飲んだことがない。
そろそろ癌年齢か?に加えて我が家の家系はりっぱな癌家系。
一度は胃の検査を受けてみる方が良いのはわかっているが、頭で判っていてもなんだかね・・・。
私は強度の怖がりなのだ。
しかし日曜日にまたもや胃痛勃発。
今回は痛烈な痛み。う〜〜。
いつもの内科に旦那が「救急で診て貰えないだろうか」と電話をかけ尋ねると、「すぐいらっしゃい」との返事をもらい車で向かった。
その日曜日、幼稚園の園医をしている先生は、幼稚園の運動会という事で「まさかの事故」に備えて医院で待機してらした。
運が良かったというべきか・・・?
胃痛止めの点滴を打ってもらいながら、「なんなんですかねー」と尋ねると、
「神経が過敏なんでしょ。胃の蠕動運動が過剰になって痛むんですよ。」とのお返事。
「でもミュウさん、やっぱり一度胃カメラの検査しましょーねー。」とおまけの一言も付いた。
その後2日間は何ともなかったが、3日目の夜中またもや胃痛勃発。
痛みでまんじりともせず、夜明けを迎えた。
旦那が早朝出張に出かけたため、痛む胃を押さえながら娘を幼稚園に送り出したあと、朝イチでまたもや内科へ。
「ミュウさん覚悟しましょう。金曜日でいいですか?」
強引に胃カメラ検査の日を決められそうになったので、
「うつ病持ちの私には検査日を待つまでの間が不安で苦しいので、出来るならいっそ今すぐして貰えませんか?」とかなり我侭な事を言ったら、
「そうだね、ミュウさんにはその方が良いかも知れないね」、とあっさり検査をしてもらえる事に。
「でもオエ〜〜〜ってならないようにして下さいね!」と念を押し、先生と「指きりげんまん」(本当にしたのだ!)までして検査室へと足を運んだ。
そのあとは胃カメラ地獄をご存知の方にはお分かりであろう。
へろへろの体で家に戻り、小休憩の後娘のお迎えに行くと・・・。
そこには咳をしすぎて「ボヘミア〜〜〜ン♪」(by葛城ユキ)と歌えそうなハスキーボイスの娘がいた。
「こいつ風邪かよ・・・。」
うーん、泣きっ面に蜂。旦那がいないってーのに娘まで。
仕方なく夕方また同じ内科に行き、今度は娘の診察。
一日の治療費、計17000円也。
こっちのほうが胃に悪いぜ・・・。う゛―――!
お嬢の咳は一晩中続き、私はまたもやまんじりとも出来ず、朝。
大事を取ってその日の幼稚園は休ませたが、一日中「ハムスター倶楽部」なるビデオ三昧の娘。
私にはたまったもんじゃない。うるさーい!
そして今日。
咳も治まり、元気になった娘を送り出したとたん、ストンと鬱のツボに入った。
当たり前の日常が戻ってきたとたん、見事に鬱である。
なんなんだよー!
何でこんなに楽しくないんだよ〜〜〜〜!
散々な日々であります。
ま、当然というか、我慢がなかったからというか、心療内科ではなく近所の内科にかかっていた。
医者の見立てはその時点では「神経性胃炎」。
でも潰瘍の疑いもあるので「一度胃カメラの検査を・・・」と勧められた。
結婚前13年内科医院に勤務していた私、自慢じゃないが一度もバリウムさえ飲んだことがない。
そろそろ癌年齢か?に加えて我が家の家系はりっぱな癌家系。
一度は胃の検査を受けてみる方が良いのはわかっているが、頭で判っていてもなんだかね・・・。
私は強度の怖がりなのだ。
しかし日曜日にまたもや胃痛勃発。
今回は痛烈な痛み。う〜〜。
いつもの内科に旦那が「救急で診て貰えないだろうか」と電話をかけ尋ねると、「すぐいらっしゃい」との返事をもらい車で向かった。
その日曜日、幼稚園の園医をしている先生は、幼稚園の運動会という事で「まさかの事故」に備えて医院で待機してらした。
運が良かったというべきか・・・?
胃痛止めの点滴を打ってもらいながら、「なんなんですかねー」と尋ねると、
「神経が過敏なんでしょ。胃の蠕動運動が過剰になって痛むんですよ。」とのお返事。
「でもミュウさん、やっぱり一度胃カメラの検査しましょーねー。」とおまけの一言も付いた。
その後2日間は何ともなかったが、3日目の夜中またもや胃痛勃発。
痛みでまんじりともせず、夜明けを迎えた。
旦那が早朝出張に出かけたため、痛む胃を押さえながら娘を幼稚園に送り出したあと、朝イチでまたもや内科へ。
「ミュウさん覚悟しましょう。金曜日でいいですか?」
強引に胃カメラ検査の日を決められそうになったので、
「うつ病持ちの私には検査日を待つまでの間が不安で苦しいので、出来るならいっそ今すぐして貰えませんか?」とかなり我侭な事を言ったら、
「そうだね、ミュウさんにはその方が良いかも知れないね」、とあっさり検査をしてもらえる事に。
「でもオエ〜〜〜ってならないようにして下さいね!」と念を押し、先生と「指きりげんまん」(本当にしたのだ!)までして検査室へと足を運んだ。
そのあとは胃カメラ地獄をご存知の方にはお分かりであろう。
へろへろの体で家に戻り、小休憩の後娘のお迎えに行くと・・・。
そこには咳をしすぎて「ボヘミア〜〜〜ン♪」(by葛城ユキ)と歌えそうなハスキーボイスの娘がいた。
「こいつ風邪かよ・・・。」
うーん、泣きっ面に蜂。旦那がいないってーのに娘まで。
仕方なく夕方また同じ内科に行き、今度は娘の診察。
一日の治療費、計17000円也。
こっちのほうが胃に悪いぜ・・・。う゛―――!
お嬢の咳は一晩中続き、私はまたもやまんじりとも出来ず、朝。
大事を取ってその日の幼稚園は休ませたが、一日中「ハムスター倶楽部」なるビデオ三昧の娘。
私にはたまったもんじゃない。うるさーい!
そして今日。
咳も治まり、元気になった娘を送り出したとたん、ストンと鬱のツボに入った。
当たり前の日常が戻ってきたとたん、見事に鬱である。
なんなんだよー!
何でこんなに楽しくないんだよ〜〜〜〜!
散々な日々であります。
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もらえるものは・・・。
2001年10月8日しばらく前から考えあぐねていたのだけれど、やっと精神障害者年金と精神障害者手帳の申請をする決心をした。
小金に目がくらんだって言うのも真実をついてるとは思うのだけれど(笑)、私の病状を赤の他人が外側から見てどのように判断、レベル付けするのかを知りたくなったというのも事実。
まず保健所で手続きについての諸々を尋ねようと、気がるな気持ちで窓口で「精神障害者年金」と口にしたら、プライバシーがうるさく叫ばれる昨今、職員が飛び出てきてすばやく2階の面談室に案内された。
お役所仕事にしちゃぁまぁ気が効いてるって事か・・・。
密室の面談室で、私は担当者から「精神障害者年金」受給の為の手続きと、その審査の厳しさをみっちりと頭に叩き込まれる。
最近はどこも締め付けが厳しいそうで、おいそれと年金は支給しちゃくれないらしい。
決め手は医師の発行する「診断書」だそうな。
ここに書かれている事が障害者2級になるか、障害者にならないかを左右するらしい。
年金は2級以上でないと支給されないので、「目指せ、精神障害者2級!」と言うとこか、ははは。
次に書類一式をもらうために市役所に足を運ぶと、年金を貰うと言う事がなかなか大変な事だと身に沁みて良く解かった。
たかが書類をもらうためだけに名前も住所も書かされ、今までの病歴、かかってきた病院名、を聞かれ、挙句に国民年金の納付がきちんと行われているか即座に調査され、私の年金納付状況を表した用紙が目の前に置かれたときは正直驚いた。
「たかが紙だろ。黙って封筒に入れて、どうぞってくれれば良いじゃんか」と何度思ったか。
つくづく役所とは嫌な所だ。
着物を着て来ていて良かった。
気持ちの部分で負けてしまうところだった。
とりあえず、今の心療内科の診断書と、始めに行った心療内科で初診証明書を貰って来なくてはならない。
あとは今までの自分の病気の状態がどう変化していったか、その経過を自分で書いた「申立書」が必要。
面倒なこった。
多分障害者2級は難しいだろうなー。
うーん、途中でくじけてしまうかもしれない。
とりあえず「患者票」の移動は出来たので、窓口で治療費を払わずに済むようになったのはラッキー!
今まで払った分は1月ほどしたら払い戻してくれるそうだ。ニンマリ。
「精神障害者」とレッテルを張られる事に抵抗はないのかと問われれば、「全くない!」と言い切れる。
もうそんな事には動じなくなってしまった。
例えば、慢性腎不全の患者さんが「身体障害者」の申請をしたいと言えば咎める人があるだろうか?
通院にもタクシーを必要とし、食事にも塩分、水分、かなりの制限を受ける。
身体的にも経済的にも負担の大きい病気だ。
その見返りというと変だけれど、頑張ってる自分にささやかな年金というご褒美があっても良いじゃないか。
私が病んでいるのは脳。
腎臓が脳に変わっただけ。
病気なんだからしんどいのは同じなんだ。
障害者、の前に「精神」の言葉が付くだけで、周りの人間の反応が変わるのは私にだって想像がつく。
だからって、小さくなって生きていかなくちゃいけないのかな?
友人に精神障害者手帳を見せてもらった。
彼女が言うところの「チープな手帳」の表紙には、「障害者手帳」としか書かれていなかった。
同じなんだよ、心も体も。みんな体の一部。
小金に目がくらんだって言うのも真実をついてるとは思うのだけれど(笑)、私の病状を赤の他人が外側から見てどのように判断、レベル付けするのかを知りたくなったというのも事実。
まず保健所で手続きについての諸々を尋ねようと、気がるな気持ちで窓口で「精神障害者年金」と口にしたら、プライバシーがうるさく叫ばれる昨今、職員が飛び出てきてすばやく2階の面談室に案内された。
お役所仕事にしちゃぁまぁ気が効いてるって事か・・・。
密室の面談室で、私は担当者から「精神障害者年金」受給の為の手続きと、その審査の厳しさをみっちりと頭に叩き込まれる。
最近はどこも締め付けが厳しいそうで、おいそれと年金は支給しちゃくれないらしい。
決め手は医師の発行する「診断書」だそうな。
ここに書かれている事が障害者2級になるか、障害者にならないかを左右するらしい。
年金は2級以上でないと支給されないので、「目指せ、精神障害者2級!」と言うとこか、ははは。
次に書類一式をもらうために市役所に足を運ぶと、年金を貰うと言う事がなかなか大変な事だと身に沁みて良く解かった。
たかが書類をもらうためだけに名前も住所も書かされ、今までの病歴、かかってきた病院名、を聞かれ、挙句に国民年金の納付がきちんと行われているか即座に調査され、私の年金納付状況を表した用紙が目の前に置かれたときは正直驚いた。
「たかが紙だろ。黙って封筒に入れて、どうぞってくれれば良いじゃんか」と何度思ったか。
つくづく役所とは嫌な所だ。
着物を着て来ていて良かった。
気持ちの部分で負けてしまうところだった。
とりあえず、今の心療内科の診断書と、始めに行った心療内科で初診証明書を貰って来なくてはならない。
あとは今までの自分の病気の状態がどう変化していったか、その経過を自分で書いた「申立書」が必要。
面倒なこった。
多分障害者2級は難しいだろうなー。
うーん、途中でくじけてしまうかもしれない。
とりあえず「患者票」の移動は出来たので、窓口で治療費を払わずに済むようになったのはラッキー!
今まで払った分は1月ほどしたら払い戻してくれるそうだ。ニンマリ。
「精神障害者」とレッテルを張られる事に抵抗はないのかと問われれば、「全くない!」と言い切れる。
もうそんな事には動じなくなってしまった。
例えば、慢性腎不全の患者さんが「身体障害者」の申請をしたいと言えば咎める人があるだろうか?
通院にもタクシーを必要とし、食事にも塩分、水分、かなりの制限を受ける。
身体的にも経済的にも負担の大きい病気だ。
その見返りというと変だけれど、頑張ってる自分にささやかな年金というご褒美があっても良いじゃないか。
私が病んでいるのは脳。
腎臓が脳に変わっただけ。
病気なんだからしんどいのは同じなんだ。
障害者、の前に「精神」の言葉が付くだけで、周りの人間の反応が変わるのは私にだって想像がつく。
だからって、小さくなって生きていかなくちゃいけないのかな?
友人に精神障害者手帳を見せてもらった。
彼女が言うところの「チープな手帳」の表紙には、「障害者手帳」としか書かれていなかった。
同じなんだよ、心も体も。みんな体の一部。
痛い・・・
2001年10月7日朝から胃痛勃発。
ブスコパン飲んでも効きゃぁしない。
のた打ち回った挙句、観念して病院へ。
幸い前回も胃痛でお世話になった内科医院が、救急扱いで見てくださる事に・・・。
胃の辺りを触ってみてもどうも潰瘍っぽくはないらしい。
一番疑わしいのは神経性胃炎。
胃カメラを前回勧められたのだけれど、その時は「薬で治まらなかったら」と言う話をして上手く逃げた。
でも今回はもう逃げ様がないなー。
あきらめて胃カメラ飲もう。
点滴を打ってもらって激痛からは解放された。
薬ももっと強いのに変わった。
とりあえず絶食・・・。食べたくないんだから問題ないか。
夜になってしくしく痛み出してきた。
薬は眠前だから、早めに飲んで寝よう。
一体何に神経すり減らしてるって言うんだろうかねー。
呑気な生活させて貰ってるって言うのに。
とにかく明日も痛むようなら、また病院に行かなくっちゃ。
明日も今日の先生観てくれると良いな。
あんまり痛むのでもう寝ます、おやすみなさい。
ブスコパン飲んでも効きゃぁしない。
のた打ち回った挙句、観念して病院へ。
幸い前回も胃痛でお世話になった内科医院が、救急扱いで見てくださる事に・・・。
胃の辺りを触ってみてもどうも潰瘍っぽくはないらしい。
一番疑わしいのは神経性胃炎。
胃カメラを前回勧められたのだけれど、その時は「薬で治まらなかったら」と言う話をして上手く逃げた。
でも今回はもう逃げ様がないなー。
あきらめて胃カメラ飲もう。
点滴を打ってもらって激痛からは解放された。
薬ももっと強いのに変わった。
とりあえず絶食・・・。食べたくないんだから問題ないか。
夜になってしくしく痛み出してきた。
薬は眠前だから、早めに飲んで寝よう。
一体何に神経すり減らしてるって言うんだろうかねー。
呑気な生活させて貰ってるって言うのに。
とにかく明日も痛むようなら、また病院に行かなくっちゃ。
明日も今日の先生観てくれると良いな。
あんまり痛むのでもう寝ます、おやすみなさい。
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初デート!
2001年10月4日私は「うつ病」と「パニック障害」と言う病気持ち。
健康な心の持ち主にはなかなか解かっては貰えないと思うが、結構きつい病気なのだ、これが。
人間は弱い生き物だから、こんな時同じ「辛さ」を知る人間を求めてしまう。
私は同じ病気を持つ人をネットで捜し求めた。
そして彼女に辿り着いた。
同じ病気の持ち主、Fさん。
一年位前からお互いの病気の事や、家庭の事をメールでやり取りしたり、最近は電話でも親しく話をさせてもらっている。
そのFさんとはじめて会った。
隣の市に住みながら、今まで会う機会がなかったのが不思議なくらいだが、やっと2人は「ごたーいめーん」(あ、年がばれる・・・)出来たのだ。
私は彼女に少なからず影響を受けている。
着物好きになったのも彼女の影響大だ。
「着物を着ることで気分をUPさせることができるなら・・・」
と、はなはだ無粋な理由ではあるが、それが着物を着てみようと考え始めたきっかけになった。
うつの苦しさに耐えかね、どうにか少しでも気分良く過せる方法は無いものかと鍼、マッサージ、気功、ヨガ、あらゆる事に興味を示し、その手立てを探していた頃の話。
私達2人、お互い病気持ちの体ゆえ、日常の生活に色々と制限を受けるが、
彼女はその中で「楽しむ」と言うことを教えてくれた「師」でもある。
HPを2つ掛け持ちし、そのどちらにも手を抜かない。
一度でも彼女のHPを見たことがある人は、その文才に驚く事だろう。
「才女」。
私の中にある彼女のイメージはこの言葉に尽きる。
2人のデートは当然お互いに着物で、というお約束で行われた。
私は前回の日記で書いた、京都で手に入れた黒地に淡いオレンジの山茶花かな?と思われる大柄の花模様の着物。
中振り袖なのでちょっと恥ずかしい。
私は彼女にも「出来るだけ派手な着物で来てね」と念を押しておいたのだが、現れた「才女」は粋な菊の模様の銘仙をお召しだった。
Fさんのうそつき・・・・。
でも想像どおりのFさんに安心する。
一緒に昼食を取り、さてどこへ行こうかという話になった。
私達の興味の向く場所と言えば・・・、やっぱ「リサイクル着物」の店でしょー。
早速某デパートのリサイクル着物屋へGO!
彼女はその「リサイクル着物屋」の店員さんと親しいらしく、いきなり私の着物を指して
「いくらで買う?」ときた。
ははは、やられた。
いや、あの、売りに来た訳じゃないだからさぁ・・・。ぽりぽり。
でも本当はいくらで買ってくれるのか聞きたかったな。(笑)
その店を後にして、電車で今度はなんば高島屋へ。
ここでもやはり足は呉服売り場へ。
新しい着物を見てはあれやこれやと話す。
そんな時間が楽しい。
初めて会った人なのに、そんなことを感じさせない彼女の人柄。
私ってすごーく人見知りするんだけどなー。(自己評価)
で、初デートの記念に何かを買いましょうよという話になって、いろいろ探しただけれど、なかなか良い物が見つからなくて、断念。
でも仲良くプリクラを1枚撮った。満足!
Fさんのご主人がなんばまで迎えに来て下さり、我が家まで車で送ってもらう。
マンションの前で(築16年のおんぼろマンション)はいチーズ!
これにて初デートは終了したのでした。
Fさんが撮ってくれた写真は彼女のHPにUPされているので、
「ミュウの顔を見てみたい」という奇特なお心の持ち主は、是非彼女のHPを訪れて下さいませ。
リンク
ミュウはここで皆さんのお越しをお待ちしています。(笑)
でも「デブ」とか言わないでね。
健康な心の持ち主にはなかなか解かっては貰えないと思うが、結構きつい病気なのだ、これが。
人間は弱い生き物だから、こんな時同じ「辛さ」を知る人間を求めてしまう。
私は同じ病気を持つ人をネットで捜し求めた。
そして彼女に辿り着いた。
同じ病気の持ち主、Fさん。
一年位前からお互いの病気の事や、家庭の事をメールでやり取りしたり、最近は電話でも親しく話をさせてもらっている。
そのFさんとはじめて会った。
隣の市に住みながら、今まで会う機会がなかったのが不思議なくらいだが、やっと2人は「ごたーいめーん」(あ、年がばれる・・・)出来たのだ。
私は彼女に少なからず影響を受けている。
着物好きになったのも彼女の影響大だ。
「着物を着ることで気分をUPさせることができるなら・・・」
と、はなはだ無粋な理由ではあるが、それが着物を着てみようと考え始めたきっかけになった。
うつの苦しさに耐えかね、どうにか少しでも気分良く過せる方法は無いものかと鍼、マッサージ、気功、ヨガ、あらゆる事に興味を示し、その手立てを探していた頃の話。
私達2人、お互い病気持ちの体ゆえ、日常の生活に色々と制限を受けるが、
彼女はその中で「楽しむ」と言うことを教えてくれた「師」でもある。
HPを2つ掛け持ちし、そのどちらにも手を抜かない。
一度でも彼女のHPを見たことがある人は、その文才に驚く事だろう。
「才女」。
私の中にある彼女のイメージはこの言葉に尽きる。
2人のデートは当然お互いに着物で、というお約束で行われた。
私は前回の日記で書いた、京都で手に入れた黒地に淡いオレンジの山茶花かな?と思われる大柄の花模様の着物。
中振り袖なのでちょっと恥ずかしい。
私は彼女にも「出来るだけ派手な着物で来てね」と念を押しておいたのだが、現れた「才女」は粋な菊の模様の銘仙をお召しだった。
Fさんのうそつき・・・・。
でも想像どおりのFさんに安心する。
一緒に昼食を取り、さてどこへ行こうかという話になった。
私達の興味の向く場所と言えば・・・、やっぱ「リサイクル着物」の店でしょー。
早速某デパートのリサイクル着物屋へGO!
彼女はその「リサイクル着物屋」の店員さんと親しいらしく、いきなり私の着物を指して
「いくらで買う?」ときた。
ははは、やられた。
いや、あの、売りに来た訳じゃないだからさぁ・・・。ぽりぽり。
でも本当はいくらで買ってくれるのか聞きたかったな。(笑)
その店を後にして、電車で今度はなんば高島屋へ。
ここでもやはり足は呉服売り場へ。
新しい着物を見てはあれやこれやと話す。
そんな時間が楽しい。
初めて会った人なのに、そんなことを感じさせない彼女の人柄。
私ってすごーく人見知りするんだけどなー。(自己評価)
で、初デートの記念に何かを買いましょうよという話になって、いろいろ探しただけれど、なかなか良い物が見つからなくて、断念。
でも仲良くプリクラを1枚撮った。満足!
Fさんのご主人がなんばまで迎えに来て下さり、我が家まで車で送ってもらう。
マンションの前で(築16年のおんぼろマンション)はいチーズ!
これにて初デートは終了したのでした。
Fさんが撮ってくれた写真は彼女のHPにUPされているので、
「ミュウの顔を見てみたい」という奇特なお心の持ち主は、是非彼女のHPを訪れて下さいませ。
リンク
ミュウはここで皆さんのお越しをお待ちしています。(笑)
でも「デブ」とか言わないでね。
二者択一
2001年9月28日人間万事塞翁が馬。
こんなかっこいいい言葉にしたら笑われちゃうな。
そんな大失態の一日。
朝から良く晴れたその日、私は久しぶりに(おいおい(^^ゞ)きちんと掃除をして、洗濯もして、お化粧なんかもしちゃったりなんかして。
って、あたりまえの事なんだけどね、普通の奥さんならね。
で、それから南千里のジャスコに買い物に出かけようとしてた。
私の家からジャスコまでは車で15分ほど。
いつもは旦那さんの車に乗っけてってもらうので、さして遠いとも思ってなかった。
で、気軽な気持ちで電車に乗っていくことにした。
十三で乗り換えて淡路まで。
そこで乗り換えて南千里へ、後は歩いてジャスコまで。
往復2時間とふんで、子供のお迎えまでに帰ってくるつもりで家を出た。
が、・・・やっちゃった・・・。
十三で河原町行きの特急に乗っちゃた。
停まると思ったのよぉ〜、淡路で。
でもでも、車窓から見える淡路の駅が遠ざかる〜〜〜〜・・・・。
特急の次の停車駅は茨木なのでした。(涙)
何を考えてたのか解らないんだけど、「ちゃんと座れたんだし、ま、良いかー。京都まで行っちゃう」
って、ホントいいかげんだけどそうおもちゃったんだな。
茨木で降りて淡路まで引き返すなんて考えもしなかった。
電車はそのままずんずん京都河原町に向けて走ってる。
なんだかどんどん自分の中で「楽しい」って言うか、うきうきした感情が湧いてきて、
河原町に着いたころには「さぁいくぞー!」って思ってた。
本当にうつ病か?私。
でも京都の地理には明るくない私。
どこへ行こうかと考えても、修学旅行お土産GETコースしか浮かんでこない。
そうだ!、新京極通りなら何とか解る。
何度か旦那と一緒に行ったから。
で、しばらく新京極通りをうろうろ。
そこでいかにも京都土産らしい小物を扱っているお店に入った。
ちりめん細工の小物や、清水焼の帯止め、京友禅の風呂敷。
色とりどりの小物で店内は一杯だった。
「ここで何か1つお土産を買っていこう。誰にと言うわけではないけれど、一人で京都まできた記念に」
ってな気持ちでその「何か」を探して店の奥へ奥へ・・・。
と、店の奥まで来ると、なにやら棚に畳まれたアンティークな布地が一杯。
わお!大好きな布地!
いそいそと駆け寄ってよく見ると、それは紛れもないちゃんと仕立てられた着物だった。
「今年の一月から置き始めたんですよ」
いつのまにか後ろに立っていた、20代半ばの優しそうな店員さんに声をかけられた。
「私も古着が大好きなんですよ」
そういって棚の着物を一枚一枚広げて見せてくれようとする。
いとおしそうに、みんなを見てあげてくださいといわんばかりに、一枚一枚。
「あ、銘仙ですね。」
私がそう言うと、店員さん嬉しそうに棚を見上げ
「ここまでまとまった数が入ってきたのは初めてなんですよ」とうっとり言う。
あーこの人も着物が好きなんだなー。
それだけでこの店員さんが好きになってしまいそうだった。
着物の一枚一枚に身丈と裄たけが書かれた札が付いている。
きちんとした仕事がしてあった。
その中で黒地に淡いオレンジ色の牡丹だか薔薇だか、どちらにも見えるような大ぶりの花柄のついた着物が目に付いた。
「あー、これいい!」
まさに私の好みジャストミート!と言う柄ゆき。
札を見ると身丈はぎりぎり。
多分おはしょりを出すのは難しいだろうと言う身丈。
裄は・・・問題ないだろう。
しつけ付きのきれいな着物。
銘仙だかどうだかははっきりしないが、でもそこに待っていてくれたような私の着物。
そうだ、これは私とこの着物との間に縁があったんだ。
自然にそう思えた。
インスピレーション。
そういうしか説明のつかない感情。
「これ、いただきます」
私は店員さんににっこり微笑んだ。
「気に入っていただけて嬉しいです」
店員さんもにっこり。
包んでいただいている間にもその店員さん、色んな着物を出しては見せてくれる。
私には着られないような子供の着物まで、すべてを私に見せてくれるつもりかと思う位。
なんだかすごく素敵な時間だった。
その店を出てから、「高島屋恒例大呉味の市」の垂れ幕が目に入ったのでそちらにも足を向けた。
人、人、人。
大盛況だったけれど、あちこちで引っ張られて袖が取れかかった羽織、着物の間をかいくぐって揉みくちゃにされた名古屋帯。
「同じ古着でも色んな末路があるんだな。」
2つの店の着物についてそんな風に感じた。
さて肝心のわが娘、高島屋についた時点で「お迎えは無理」と判断した私は幼稚園に電話をかけて延長保育をお願いしてしまった。
急いで迎えに行ったが、本人はさほど気にしていなかったようでほっとした。
ただ「どうして?」と急に延長保育になった理由を尋ねられた時、
「電車、乗り間違えちゃったの」と言う私の弁解に、???の顔をしてはいたが。(^^ゞ
さて件の着物。
今は我が家に飾ってある。
私が着るには少し手を入れなければならないだろう。
四十路間近で、子持ちの私には1尺8寸の袖丈はちょっと気恥ずかしい。
袖を切ってこの私の一丁羅になるか、それともあと10年ほど待ち、成長し娘盛りになった我が娘の初々しい肌に袖を通されるか。
この着物はどちらを喜ぶだろうか・・・・?
こんなかっこいいい言葉にしたら笑われちゃうな。
そんな大失態の一日。
朝から良く晴れたその日、私は久しぶりに(おいおい(^^ゞ)きちんと掃除をして、洗濯もして、お化粧なんかもしちゃったりなんかして。
って、あたりまえの事なんだけどね、普通の奥さんならね。
で、それから南千里のジャスコに買い物に出かけようとしてた。
私の家からジャスコまでは車で15分ほど。
いつもは旦那さんの車に乗っけてってもらうので、さして遠いとも思ってなかった。
で、気軽な気持ちで電車に乗っていくことにした。
十三で乗り換えて淡路まで。
そこで乗り換えて南千里へ、後は歩いてジャスコまで。
往復2時間とふんで、子供のお迎えまでに帰ってくるつもりで家を出た。
が、・・・やっちゃった・・・。
十三で河原町行きの特急に乗っちゃた。
停まると思ったのよぉ〜、淡路で。
でもでも、車窓から見える淡路の駅が遠ざかる〜〜〜〜・・・・。
特急の次の停車駅は茨木なのでした。(涙)
何を考えてたのか解らないんだけど、「ちゃんと座れたんだし、ま、良いかー。京都まで行っちゃう」
って、ホントいいかげんだけどそうおもちゃったんだな。
茨木で降りて淡路まで引き返すなんて考えもしなかった。
電車はそのままずんずん京都河原町に向けて走ってる。
なんだかどんどん自分の中で「楽しい」って言うか、うきうきした感情が湧いてきて、
河原町に着いたころには「さぁいくぞー!」って思ってた。
本当にうつ病か?私。
でも京都の地理には明るくない私。
どこへ行こうかと考えても、修学旅行お土産GETコースしか浮かんでこない。
そうだ!、新京極通りなら何とか解る。
何度か旦那と一緒に行ったから。
で、しばらく新京極通りをうろうろ。
そこでいかにも京都土産らしい小物を扱っているお店に入った。
ちりめん細工の小物や、清水焼の帯止め、京友禅の風呂敷。
色とりどりの小物で店内は一杯だった。
「ここで何か1つお土産を買っていこう。誰にと言うわけではないけれど、一人で京都まできた記念に」
ってな気持ちでその「何か」を探して店の奥へ奥へ・・・。
と、店の奥まで来ると、なにやら棚に畳まれたアンティークな布地が一杯。
わお!大好きな布地!
いそいそと駆け寄ってよく見ると、それは紛れもないちゃんと仕立てられた着物だった。
「今年の一月から置き始めたんですよ」
いつのまにか後ろに立っていた、20代半ばの優しそうな店員さんに声をかけられた。
「私も古着が大好きなんですよ」
そういって棚の着物を一枚一枚広げて見せてくれようとする。
いとおしそうに、みんなを見てあげてくださいといわんばかりに、一枚一枚。
「あ、銘仙ですね。」
私がそう言うと、店員さん嬉しそうに棚を見上げ
「ここまでまとまった数が入ってきたのは初めてなんですよ」とうっとり言う。
あーこの人も着物が好きなんだなー。
それだけでこの店員さんが好きになってしまいそうだった。
着物の一枚一枚に身丈と裄たけが書かれた札が付いている。
きちんとした仕事がしてあった。
その中で黒地に淡いオレンジ色の牡丹だか薔薇だか、どちらにも見えるような大ぶりの花柄のついた着物が目に付いた。
「あー、これいい!」
まさに私の好みジャストミート!と言う柄ゆき。
札を見ると身丈はぎりぎり。
多分おはしょりを出すのは難しいだろうと言う身丈。
裄は・・・問題ないだろう。
しつけ付きのきれいな着物。
銘仙だかどうだかははっきりしないが、でもそこに待っていてくれたような私の着物。
そうだ、これは私とこの着物との間に縁があったんだ。
自然にそう思えた。
インスピレーション。
そういうしか説明のつかない感情。
「これ、いただきます」
私は店員さんににっこり微笑んだ。
「気に入っていただけて嬉しいです」
店員さんもにっこり。
包んでいただいている間にもその店員さん、色んな着物を出しては見せてくれる。
私には着られないような子供の着物まで、すべてを私に見せてくれるつもりかと思う位。
なんだかすごく素敵な時間だった。
その店を出てから、「高島屋恒例大呉味の市」の垂れ幕が目に入ったのでそちらにも足を向けた。
人、人、人。
大盛況だったけれど、あちこちで引っ張られて袖が取れかかった羽織、着物の間をかいくぐって揉みくちゃにされた名古屋帯。
「同じ古着でも色んな末路があるんだな。」
2つの店の着物についてそんな風に感じた。
さて肝心のわが娘、高島屋についた時点で「お迎えは無理」と判断した私は幼稚園に電話をかけて延長保育をお願いしてしまった。
急いで迎えに行ったが、本人はさほど気にしていなかったようでほっとした。
ただ「どうして?」と急に延長保育になった理由を尋ねられた時、
「電車、乗り間違えちゃったの」と言う私の弁解に、???の顔をしてはいたが。(^^ゞ
さて件の着物。
今は我が家に飾ってある。
私が着るには少し手を入れなければならないだろう。
四十路間近で、子持ちの私には1尺8寸の袖丈はちょっと気恥ずかしい。
袖を切ってこの私の一丁羅になるか、それともあと10年ほど待ち、成長し娘盛りになった我が娘の初々しい肌に袖を通されるか。
この着物はどちらを喜ぶだろうか・・・・?
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青空の下の一日。
2001年9月24日秋分の日。
旦那さんも休みだったので前日からどこかに行こうと話し合っていたのだけれど、寝る頃になってから急にフリマに行きたくなった。
こういうのは本当に発作的なんだなぁ・・・。
ネットで検索すると・・・、おおぉ!やっているではないかぁ、近くの万博公園で。
しかし開催時間は、えっとぉ・・・「9時半から5時半」。
う、・・・。
休日には体が休日ダイヤに切り替わる私。
起きられるだろうか?
9時半って、9時半だよぉ。早過ぎるよぉ・・・。
でも古来から、戦法は「先手必勝」というではないか。
その言葉を信じるとすれば、これは早起きをして開場とともに駆け込むしかあるまい!
と、固い決意をして寝たはずなのだが、明朝9時半、私はまだパジャマ姿であった・・・・。←おいおい。
しかしまだ未練は断ち切れていなかったらしく、それからの私のダッシュは自分でも驚くほど早かった。
開場時間から遅れる事40分、私はちゃんと化粧をしてフリマの会場に立っていたのである。
えへん!!
うつ病とて欲が絡めば底力が出るもんだな、はっはっは!
このパワーを他に活かせるなら・・・と自分でも時々思うことがある。ははは、はぁ・・・。
旦那と娘がセットでは間に合うはずもないので、後から車でゆっくり追いかけて来る様に言い置いて一人で電車で来たのさっ!
さすがに開場からあまり時間が経ってないという事もあって、まだお客さんはまばらなフリマ会場。
ゆ〜っくり、まず一巡して品揃えを確かめる。
モチ、気に入った品は即GETは原則だが、似たような品物があれば値比べもしなくちゃなんないしね、駆け引きってのもフリマには大事なところ。
お目当ての着物を置いてる店は一軒だけ、そこはしっかりチェーック!
着物3000円、帯2000円。
正絹の着物も化繊の着物も一緒くたかいっ!(怒)
一応サイズを計らせてもらえるか尋ね、OKを貰うと、やおら鞄の中からメジャーを取り出す私。
これはフリマの必須アイテム?
裄OK.袖丈OK,身丈OK、大まかに計って何とか着られるのは一枚だけだった。
それでも良いか、夏物は持ってなかったしね。
それでは交渉スタート!
始まって間もない時間ははっきり言って値引率が悪い。
当たり前だよね、商店街でも値引きが始めるのは5時過ぎてからだもんね。
でも少しはね、うん、頑張ってみたいじゃない?
結果、正絹の博多献上の帯と抱き合わせで4000円。
高いか安いかは、その人の考え方次第。
私がよければそれで良い。
あとは何か良いものないかなぁ〜の気分でぶーらぶら。
おっと、化粧品が安いじゃないか!
あ、あれもいい、これも・・・ってやってたら、お昼過ぎちゃった。
旦那からPHSに「着いたよコール」。
なんて良いタイミング!ってことで、会場を出て娘と旦那に会いにGO!
もちろん再入場OKのスタンプは忘れないで手の甲に捺して貰ったよ。
だって夕方からがもう一勝負だもんね(笑)。
家族3人一緒にお昼を食べて、ベンチにねっころがったら・・・、
真っ青な空!
雲ひとつない、秋の空だった。
季節は知らず知らずの間に、秋・・・冬へと着実に歩き出してる。
遅れないように私も付いて行こう。
自分のペースでしか歩けないけど、側にはこの人がいる、大丈夫。
いつものように娘のおねだりでボートに3人で乗った。
漕ぎ続けると疲れちゃうので池の真中で足を止めて、ゆーらゆらと流されるままに。
家族3人池の上でただ流されていく。
ぶつかりそうになった時だけ向きを修正。
こんな風に30分、水の上に浮いているのがいい気分転換になった。
さて、もいっちょ行くか!
ってな事でまたフリマに向かった私でした。(笑)
一日太陽の下で遊んで、夏のなごりに半袖のシャツの日焼けあとをしっかりと焼き付けてしまいました。
ま、いいか・・・。
旦那さんも休みだったので前日からどこかに行こうと話し合っていたのだけれど、寝る頃になってから急にフリマに行きたくなった。
こういうのは本当に発作的なんだなぁ・・・。
ネットで検索すると・・・、おおぉ!やっているではないかぁ、近くの万博公園で。
しかし開催時間は、えっとぉ・・・「9時半から5時半」。
う、・・・。
休日には体が休日ダイヤに切り替わる私。
起きられるだろうか?
9時半って、9時半だよぉ。早過ぎるよぉ・・・。
でも古来から、戦法は「先手必勝」というではないか。
その言葉を信じるとすれば、これは早起きをして開場とともに駆け込むしかあるまい!
と、固い決意をして寝たはずなのだが、明朝9時半、私はまだパジャマ姿であった・・・・。←おいおい。
しかしまだ未練は断ち切れていなかったらしく、それからの私のダッシュは自分でも驚くほど早かった。
開場時間から遅れる事40分、私はちゃんと化粧をしてフリマの会場に立っていたのである。
えへん!!
うつ病とて欲が絡めば底力が出るもんだな、はっはっは!
このパワーを他に活かせるなら・・・と自分でも時々思うことがある。ははは、はぁ・・・。
旦那と娘がセットでは間に合うはずもないので、後から車でゆっくり追いかけて来る様に言い置いて一人で電車で来たのさっ!
さすがに開場からあまり時間が経ってないという事もあって、まだお客さんはまばらなフリマ会場。
ゆ〜っくり、まず一巡して品揃えを確かめる。
モチ、気に入った品は即GETは原則だが、似たような品物があれば値比べもしなくちゃなんないしね、駆け引きってのもフリマには大事なところ。
お目当ての着物を置いてる店は一軒だけ、そこはしっかりチェーック!
着物3000円、帯2000円。
正絹の着物も化繊の着物も一緒くたかいっ!(怒)
一応サイズを計らせてもらえるか尋ね、OKを貰うと、やおら鞄の中からメジャーを取り出す私。
これはフリマの必須アイテム?
裄OK.袖丈OK,身丈OK、大まかに計って何とか着られるのは一枚だけだった。
それでも良いか、夏物は持ってなかったしね。
それでは交渉スタート!
始まって間もない時間ははっきり言って値引率が悪い。
当たり前だよね、商店街でも値引きが始めるのは5時過ぎてからだもんね。
でも少しはね、うん、頑張ってみたいじゃない?
結果、正絹の博多献上の帯と抱き合わせで4000円。
高いか安いかは、その人の考え方次第。
私がよければそれで良い。
あとは何か良いものないかなぁ〜の気分でぶーらぶら。
おっと、化粧品が安いじゃないか!
あ、あれもいい、これも・・・ってやってたら、お昼過ぎちゃった。
旦那からPHSに「着いたよコール」。
なんて良いタイミング!ってことで、会場を出て娘と旦那に会いにGO!
もちろん再入場OKのスタンプは忘れないで手の甲に捺して貰ったよ。
だって夕方からがもう一勝負だもんね(笑)。
家族3人一緒にお昼を食べて、ベンチにねっころがったら・・・、
真っ青な空!
雲ひとつない、秋の空だった。
季節は知らず知らずの間に、秋・・・冬へと着実に歩き出してる。
遅れないように私も付いて行こう。
自分のペースでしか歩けないけど、側にはこの人がいる、大丈夫。
いつものように娘のおねだりでボートに3人で乗った。
漕ぎ続けると疲れちゃうので池の真中で足を止めて、ゆーらゆらと流されるままに。
家族3人池の上でただ流されていく。
ぶつかりそうになった時だけ向きを修正。
こんな風に30分、水の上に浮いているのがいい気分転換になった。
さて、もいっちょ行くか!
ってな事でまたフリマに向かった私でした。(笑)
一日太陽の下で遊んで、夏のなごりに半袖のシャツの日焼けあとをしっかりと焼き付けてしまいました。
ま、いいか・・・。
2人きりの時間。
2001年9月19日昨日は病院の日だった。
朝一番に順番を取りに行って、1時間半後に再度行きなおす。
面倒なこっちゃ・・・。
前にも書いたと思うけど、この心療内科は坂の上にあるんだよぉ。
自転車ローギアにしても結構ヘビーだぜぃ。
次の日はお尻のほっぺたが痛いもんなぁ・・・。
話がそれたが、2度目に診察の為に行ったときは着物姿にへんし〜ん。
単の着物って着る機会少ないから、たまにはねっ。
あ、この話も本題と違う。
本題はと言うと、病院の後保健所に用事があって行ったので、帰りの時間が11時半過ぎになってた。
それでちょっとランチには早いけれど、「神戸屋レストラン」が帰り道にあるのでついでに寄って一人でランチしてしまったのだ。
ここは焼きたてパンが食べ放題♪
一杯美味しいパンを頂いてご機嫌で帰ってきた。
夜、帰ってきた旦那にその話をすると、「なんだ−、一人で行っちゃったんかぁ」と残念そうに言う。
???
「急に明日休みになったんや、それでミュウと一緒にランチいこっかなーっておもとったのに」←ダンナ
おおぉ!!!
この中間決算の9月に平日休みがあるなんて、おどろきだ。
でも平日に休みって決まった時点で「嫁とランチ」って考えてくれた旦那の気持ちが嬉しかった。
「そっかぁー、でも明日ランチ行こうよ」←私
「でも同じ神戸屋って訳にも行かんしなぁ、どこ行こう?」←ダンナ
「うーっっ、明日考えるぅ」←私
で、今日。
娘にパパがお休みって事は内緒。
バレたら「幼稚園休む!」って言い出しかねないからね。
お昼までは用事があったりして出かけたりしてた旦那。
お昼に帰ってきて「どこ行こう?」って聞かれたので、「カッパ寿司!」って答えた。
いわゆる回転寿司なんだけど、以前旦那がこの店の工事を受注してBGM機器を取り付けに行ってた事を思い出して、その店を見たくなったのだ。
旦那が作ったわけではないけれど、お店作りにちょっとだけ協力したお店って事で、なんだか不思議な親近感があった。
カッパ寿司はオープンして間もないせいかとても清潔感のある広いお店だった。
書くのは初めてかも知れないけれど、私「生魚」は全くダメなんだな・・・(笑)
だからお寿司屋さんって殆んど行った事がない。
でもカッパ寿司。
旦那が私のことを考えてくれたから、私も旦那のことを考える。
夫婦なんだな。
生魚がダメな私にも食べられる物が一杯くるくると回って来るカウンター。
えびはOK,イカも大丈夫。
あとは下足でしょ、スイートポテトでしょ。
ん???
だって回ってるんだも〜ん。(笑)
5皿食べただけでお腹一杯になっちゃった。
私って安上がり−。
2人お腹一杯食べて2100円なり。
安いよねー。
その後ホームセンターで旦那が買物をしたらもうお迎えの時間。
デートの時間は終わり。
でも楽しかった。ふふ。
体調は良くなかったんだけど、こういう時間は大事。
大した事を話すわけじゃない、子供の話ばっかりしかしてないかもしれない。
でも、一緒にいるって事が大事。
家に帰ってから、私はバカみたいに良く眠った。
ずっと眠かった。
新しい薬のせいか、旦那の側で心から安心していられたからか・・・。
朝一番に順番を取りに行って、1時間半後に再度行きなおす。
面倒なこっちゃ・・・。
前にも書いたと思うけど、この心療内科は坂の上にあるんだよぉ。
自転車ローギアにしても結構ヘビーだぜぃ。
次の日はお尻のほっぺたが痛いもんなぁ・・・。
話がそれたが、2度目に診察の為に行ったときは着物姿にへんし〜ん。
単の着物って着る機会少ないから、たまにはねっ。
あ、この話も本題と違う。
本題はと言うと、病院の後保健所に用事があって行ったので、帰りの時間が11時半過ぎになってた。
それでちょっとランチには早いけれど、「神戸屋レストラン」が帰り道にあるのでついでに寄って一人でランチしてしまったのだ。
ここは焼きたてパンが食べ放題♪
一杯美味しいパンを頂いてご機嫌で帰ってきた。
夜、帰ってきた旦那にその話をすると、「なんだ−、一人で行っちゃったんかぁ」と残念そうに言う。
???
「急に明日休みになったんや、それでミュウと一緒にランチいこっかなーっておもとったのに」←ダンナ
おおぉ!!!
この中間決算の9月に平日休みがあるなんて、おどろきだ。
でも平日に休みって決まった時点で「嫁とランチ」って考えてくれた旦那の気持ちが嬉しかった。
「そっかぁー、でも明日ランチ行こうよ」←私
「でも同じ神戸屋って訳にも行かんしなぁ、どこ行こう?」←ダンナ
「うーっっ、明日考えるぅ」←私
で、今日。
娘にパパがお休みって事は内緒。
バレたら「幼稚園休む!」って言い出しかねないからね。
お昼までは用事があったりして出かけたりしてた旦那。
お昼に帰ってきて「どこ行こう?」って聞かれたので、「カッパ寿司!」って答えた。
いわゆる回転寿司なんだけど、以前旦那がこの店の工事を受注してBGM機器を取り付けに行ってた事を思い出して、その店を見たくなったのだ。
旦那が作ったわけではないけれど、お店作りにちょっとだけ協力したお店って事で、なんだか不思議な親近感があった。
カッパ寿司はオープンして間もないせいかとても清潔感のある広いお店だった。
書くのは初めてかも知れないけれど、私「生魚」は全くダメなんだな・・・(笑)
だからお寿司屋さんって殆んど行った事がない。
でもカッパ寿司。
旦那が私のことを考えてくれたから、私も旦那のことを考える。
夫婦なんだな。
生魚がダメな私にも食べられる物が一杯くるくると回って来るカウンター。
えびはOK,イカも大丈夫。
あとは下足でしょ、スイートポテトでしょ。
ん???
だって回ってるんだも〜ん。(笑)
5皿食べただけでお腹一杯になっちゃった。
私って安上がり−。
2人お腹一杯食べて2100円なり。
安いよねー。
その後ホームセンターで旦那が買物をしたらもうお迎えの時間。
デートの時間は終わり。
でも楽しかった。ふふ。
体調は良くなかったんだけど、こういう時間は大事。
大した事を話すわけじゃない、子供の話ばっかりしかしてないかもしれない。
でも、一緒にいるって事が大事。
家に帰ってから、私はバカみたいに良く眠った。
ずっと眠かった。
新しい薬のせいか、旦那の側で心から安心していられたからか・・・。
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オフ会♪
2001年9月17日昨日は某HPの掲示板のメンバーのオフ会があり、私も末席に加えてもらった。
集合は、梅田で一番待ち合わせが多いんじゃないかと思われる某所(笑)。
「着物で行きたいなー」と用意をしていたのだけれど、お天気があやしかったので断念。
普段着での参加とあいなった。
ちょっと残念。
こういう機会でもないと着物って着られないからねー。
でも久しぶりに会う友達や、掲示板上やチャットでは何度かお話させて頂いたけれど初めてお会いする方々と楽しい時間を持てた。
彼ら(彼女ら)といると、なぜか自分の中の気負いみたいな物がなくなる。
気分的にらく。
心の病気と言う同じ荷物を背負ったどうし、少しばかり他人を思いやる心の余裕の出来た人たちなんだろうな。
あいにく某HPの掲示板は今は閉鎖中、他のメンバーの消息&現況はわからない。
そこで悩みや辛さを吐き出していた人達にとって、掲示板再開はとても待たれていることだろう。
幸い私自身はもうここの掲示板に依存していないので、日常に不便は感じない。
悩みや苦しみがなくなった訳ではないが、以前に比べるとかなり自分でコントロールできるようになったし、何よりこの日記に書く事で自分の中で咀嚼し消化していける。
日記の効用だな。
苦しんで書いてるだけの事はあるって事か・・・・。
ここに書き込もうとすれば自然、自分の状態、気持ちを文章に表す為に、改めて心の中を覗きこむ必要がある。
自分はどうしたいのか、何が苦しいのか、混沌とした心の中の整理ができる。
うつ病と言う自分の病気と付き合うための、コントロールの手助けに一役買っているって事だろうか・・・。
ま、実際の所毎回そんなにふかーく考えて書いているわけじゃーないんだけどねっ!(笑)
オフ会が散会して皆さんと別れてから、私は某デパートにいた。
旦那が「お魚買ってきて−」なんて言っていたのを思い出したからなんだけど、なぜか?謎だが?自分でも不思議なんだけど?「呉服売り場」にいたんだよねー(笑)。
で気に入った小袋帯をお買い上げ−。
お支払いはカードでねっ♪
あ、お魚ではないけれどお刺身も買いましたよー。
家に帰ったら、私が出かけた時のまま、いやそれ以上の惨状が目の前に広がっておりました。
まじ、ブチ切れ!!
「あんたは一日何をやっとったんじゃぁぁぁぁぁー!」
胸の中に煮えたぎる思いを抱えながら、黙々と部屋を片付け、洗い物をし、夕食の準備を始めた。
「主婦に休みはない」
そんな言葉を噛み締めながら・・・・(涙)。
集合は、梅田で一番待ち合わせが多いんじゃないかと思われる某所(笑)。
「着物で行きたいなー」と用意をしていたのだけれど、お天気があやしかったので断念。
普段着での参加とあいなった。
ちょっと残念。
こういう機会でもないと着物って着られないからねー。
でも久しぶりに会う友達や、掲示板上やチャットでは何度かお話させて頂いたけれど初めてお会いする方々と楽しい時間を持てた。
彼ら(彼女ら)といると、なぜか自分の中の気負いみたいな物がなくなる。
気分的にらく。
心の病気と言う同じ荷物を背負ったどうし、少しばかり他人を思いやる心の余裕の出来た人たちなんだろうな。
あいにく某HPの掲示板は今は閉鎖中、他のメンバーの消息&現況はわからない。
そこで悩みや辛さを吐き出していた人達にとって、掲示板再開はとても待たれていることだろう。
幸い私自身はもうここの掲示板に依存していないので、日常に不便は感じない。
悩みや苦しみがなくなった訳ではないが、以前に比べるとかなり自分でコントロールできるようになったし、何よりこの日記に書く事で自分の中で咀嚼し消化していける。
日記の効用だな。
苦しんで書いてるだけの事はあるって事か・・・・。
ここに書き込もうとすれば自然、自分の状態、気持ちを文章に表す為に、改めて心の中を覗きこむ必要がある。
自分はどうしたいのか、何が苦しいのか、混沌とした心の中の整理ができる。
うつ病と言う自分の病気と付き合うための、コントロールの手助けに一役買っているって事だろうか・・・。
ま、実際の所毎回そんなにふかーく考えて書いているわけじゃーないんだけどねっ!(笑)
オフ会が散会して皆さんと別れてから、私は某デパートにいた。
旦那が「お魚買ってきて−」なんて言っていたのを思い出したからなんだけど、なぜか?謎だが?自分でも不思議なんだけど?「呉服売り場」にいたんだよねー(笑)。
で気に入った小袋帯をお買い上げ−。
お支払いはカードでねっ♪
あ、お魚ではないけれどお刺身も買いましたよー。
家に帰ったら、私が出かけた時のまま、いやそれ以上の惨状が目の前に広がっておりました。
まじ、ブチ切れ!!
「あんたは一日何をやっとったんじゃぁぁぁぁぁー!」
胸の中に煮えたぎる思いを抱えながら、黙々と部屋を片付け、洗い物をし、夕食の準備を始めた。
「主婦に休みはない」
そんな言葉を噛み締めながら・・・・(涙)。
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波乱の3日目のその後
2001年9月14日老人ホームからそろそろ帰ろうかと思っていたら、姉が「さっ!イトヨ−行くでっ!」のたまう。
引きずられるように車でイトーヨーカドーまで連れて行かれる。
おいおい、もう解放してくれー・・・(涙)
姉は我が娘に何か買ってくれようと思ってこのスーパーに来たみたいだが、
「おもちゃはやめとこうねっ!」とくぎを刺された娘に欲しい物など何もないのだ、ハハハ。
特に何を買う訳でもなく小一時間ぶ〜らぶら。
夕食の材料くらいは買うものかと思っていたら、近所の店で買うと言う。
ほならこんなとこまでくなっ!
5時過ぎに旦那からピッチにTELあり〜。
で、「もうすぐ着くよ〜」と懐かしい旦那の声。
こちらに来る途中JRで具合の悪くなった私は、「帰りにまた具合が悪くなったらどうしよう・・・」と怖くなってしまい、帰りの足を確保していた。
日曜日に仕事が終わってから迎えに来て、と旦那に頼んでいたんだ〜♪フンフン
一週間ぶりに見る旦那は・・・・、小汚かった・・・。
一応作業着から着替えてはいたが、ちょっと見にはホームレス?って感じ。
1週間も女っけが無いとこうなっちゃうんだよな、この人は。
ま、とにもかくにも旦那のおかげで帰りは快適に帰ってこられました。感謝!
しかし家に帰り着くと、一週間分の洗濯物が待っていましたとさ。
チャンチャン。
引きずられるように車でイトーヨーカドーまで連れて行かれる。
おいおい、もう解放してくれー・・・(涙)
姉は我が娘に何か買ってくれようと思ってこのスーパーに来たみたいだが、
「おもちゃはやめとこうねっ!」とくぎを刺された娘に欲しい物など何もないのだ、ハハハ。
特に何を買う訳でもなく小一時間ぶ〜らぶら。
夕食の材料くらいは買うものかと思っていたら、近所の店で買うと言う。
ほならこんなとこまでくなっ!
5時過ぎに旦那からピッチにTELあり〜。
で、「もうすぐ着くよ〜」と懐かしい旦那の声。
こちらに来る途中JRで具合の悪くなった私は、「帰りにまた具合が悪くなったらどうしよう・・・」と怖くなってしまい、帰りの足を確保していた。
日曜日に仕事が終わってから迎えに来て、と旦那に頼んでいたんだ〜♪フンフン
一週間ぶりに見る旦那は・・・・、小汚かった・・・。
一応作業着から着替えてはいたが、ちょっと見にはホームレス?って感じ。
1週間も女っけが無いとこうなっちゃうんだよな、この人は。
ま、とにもかくにも旦那のおかげで帰りは快適に帰ってこられました。感謝!
しかし家に帰り着くと、一週間分の洗濯物が待っていましたとさ。
チャンチャン。
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波乱の3日目
2001年9月12日前日「自律神経失調症に伴う発作」を起こした私は、夜になっても回復せず、姉に娘の入浴と言う仕事を委ねた。
当然のごとく風呂場からは
「お母さんと入る〜」
「うわ〜〜〜〜ん!」
と娘の叫び声が聞こえてくる。
娘は5歳と言う年齢からも、もう少し親離れしていても良いとは思うのだが、一人娘だからかどうかよそ様の子供さんより幾分幼い。
今回は旦那が出張で留守だったと言う事情もあり不安だったのだろう、私から片時も離れようとはしなかった。
だから叔母とは言え、慣れない人と風呂に入るなどと言う行為は、不安倍増でしかなかったのだ。
なだめすかして何とか風呂に入れてもらえたものの、その日の夜泣きはなかなかパワフルなものだった(泣)。
そして3日目の朝。
なんだか家の様子がおかしい。
いつもなら聞こえる義兄の大声が聞こえない。
聞こえるのは階段を何度も往復してゆく足音と、トイレのドアの開閉の音。
おかしいなと思いつつも、階下へ行くと姉は洗濯物干しの真っ最中。
「なんかあった?」←私
「旦那が調子が悪いらしくて、朝からずっと戻してるみたいや」←姉
「だいじょうぶなん?」←私
「飲みすぎや、気にせんとき」←姉
その内唸り声が聞こえ始めた。
流石にちょっとやばいんちゃうのー?と思っていたら、姉が洗面器に新聞を敷いて2階に持って上がって行った。
どうやらトイレまで吐きに行く体力も無くなったらしい。
「どないなん?」←私
「う〜ん、ちょっとひどいみたいやし、救急行って来るわ」←姉
「吐き気?」←私
「胃が痛いって転げまわってるわ」←姉
「あちゃー」←私
その日、朝9時から姉の家では会合が予定されており、沢山の客人が集まり始めた。
客人の手前姉が家を空けるわけにもいかず、その客人が帰られてからしか急病センターにはいけない。
そんなんで大丈夫なのか?と心配している私の横を、甥や姪はシャラ〜と何事もないかの顔で通っていく。
「心配やないのん?お父さん大変みたいやで」←私
「お酒の飲みすぎや、自業自得!」←姪
可哀想に子供たちに心配もしてもらえないとは・・・。
義兄は子育てに殆んどかかわっていない。
普段は自分の好きなように振る舞い、しかしお酒が入ると父親としての説教をくどくどと始めると言う癖があるので、自然子供たちに煙たがられる存在になってしまっていたのだった。
父親は一日にしてならず・・・といった所か。
客人が帰り、姉は市内の急病センターに義兄を車に乗せ出かけていった。
年頃の甥や姪はそれぞれバイトやデートやらに出かけていき、家には私と娘、小学生と中学生の姪甥が残された。
程なく姉から電話が入り、急病センターは病人で一杯で2、3時間待ちは必至なので、新日鉄病院に受け入れて貰えるよう頼んでみてくれと言う。
急いで番号案内に電話を掛けて新日鉄病院の番号を調べ、病院に急病人の診察の受け入れを頼み、OKの返事を貰うと姉に折り返し電話を掛けて新日鉄の救急入り口に向かうよう指示。
それだけでなんだかこちらが疲れてしまった。
家の中の用事も残っていたのでそれを片付け、昼まで待ってみるが一向に帰ってくる様子もない。
昼御飯を買いに出かける相談を姪としている所へ姉から電話。
今は血液検査の結果待ちで、そのあと点滴を受けるので帰りはまだ遅くなると言う事だった。
またまた疲れた・・・。
買物に出る元気もなくなったので近くのピザ屋から宅配してもらおうとしたら、ピザは高いから注文した事がないからチラシさえも置いてないと言う。
仕方ない、ここはネットで検索し様と、パソコンを立ち上げるが、いかんせん初心者の姪、なかなか目的のHPに辿り着かない。
えーい!とタウンぺージで近そうなピザ屋を見つけ電話を掛け、テキトーに持ってきてもらうようにした。
ますます疲れた。
ピザ屋がやっと来てくれ、子供たちに昼食を食べさせるとどっと疲れが来て横になる。
そこにまた姉から電話。
グループホームの父親の所にコーヒーを持って行ってやってくれとの事。
おいおい、どうやって行くんじゃぁ〜・・・・。
タクシーを呼んで、子供4人連れて行くのももう出来そうもない。
そうだ!デートに行った甥っ子を呼び戻そう。
あの子なら運転できる。
義兄の車もある。
いそいそと電話を掛けると、帰って来てはくれるらしいが義兄の車は運転した事がないという。
はぁ〜〜、振り出しに戻る・・・・。
まだ死にたくはないよー。
しゃーないタクシーかと思っていたら、甥から電話。
「彼女が送って行ってくれるといっているから、用意しといて」との事で私と娘2人が行く事になった。
しかし小学生の甥っ子がすねる・・・・。
あー、もうしらんっ!
ほっといてホームに出かけたら小一時間ほどで姉が子供を連れてやってきた。
義兄は疲れとストレスによる胃腸炎らしく、しばらく安静が必要との事だった。
ま、一安心と思っていたら、義兄はまた勝手に出かけて行ったらしい。
あほらし・・・。
心配して損した。
このあとパワフル姉に買物に連れ出された私は、その夜迄こき使われる事になったのだった・・・。
当然のごとく風呂場からは
「お母さんと入る〜」
「うわ〜〜〜〜ん!」
と娘の叫び声が聞こえてくる。
娘は5歳と言う年齢からも、もう少し親離れしていても良いとは思うのだが、一人娘だからかどうかよそ様の子供さんより幾分幼い。
今回は旦那が出張で留守だったと言う事情もあり不安だったのだろう、私から片時も離れようとはしなかった。
だから叔母とは言え、慣れない人と風呂に入るなどと言う行為は、不安倍増でしかなかったのだ。
なだめすかして何とか風呂に入れてもらえたものの、その日の夜泣きはなかなかパワフルなものだった(泣)。
そして3日目の朝。
なんだか家の様子がおかしい。
いつもなら聞こえる義兄の大声が聞こえない。
聞こえるのは階段を何度も往復してゆく足音と、トイレのドアの開閉の音。
おかしいなと思いつつも、階下へ行くと姉は洗濯物干しの真っ最中。
「なんかあった?」←私
「旦那が調子が悪いらしくて、朝からずっと戻してるみたいや」←姉
「だいじょうぶなん?」←私
「飲みすぎや、気にせんとき」←姉
その内唸り声が聞こえ始めた。
流石にちょっとやばいんちゃうのー?と思っていたら、姉が洗面器に新聞を敷いて2階に持って上がって行った。
どうやらトイレまで吐きに行く体力も無くなったらしい。
「どないなん?」←私
「う〜ん、ちょっとひどいみたいやし、救急行って来るわ」←姉
「吐き気?」←私
「胃が痛いって転げまわってるわ」←姉
「あちゃー」←私
その日、朝9時から姉の家では会合が予定されており、沢山の客人が集まり始めた。
客人の手前姉が家を空けるわけにもいかず、その客人が帰られてからしか急病センターにはいけない。
そんなんで大丈夫なのか?と心配している私の横を、甥や姪はシャラ〜と何事もないかの顔で通っていく。
「心配やないのん?お父さん大変みたいやで」←私
「お酒の飲みすぎや、自業自得!」←姪
可哀想に子供たちに心配もしてもらえないとは・・・。
義兄は子育てに殆んどかかわっていない。
普段は自分の好きなように振る舞い、しかしお酒が入ると父親としての説教をくどくどと始めると言う癖があるので、自然子供たちに煙たがられる存在になってしまっていたのだった。
父親は一日にしてならず・・・といった所か。
客人が帰り、姉は市内の急病センターに義兄を車に乗せ出かけていった。
年頃の甥や姪はそれぞれバイトやデートやらに出かけていき、家には私と娘、小学生と中学生の姪甥が残された。
程なく姉から電話が入り、急病センターは病人で一杯で2、3時間待ちは必至なので、新日鉄病院に受け入れて貰えるよう頼んでみてくれと言う。
急いで番号案内に電話を掛けて新日鉄病院の番号を調べ、病院に急病人の診察の受け入れを頼み、OKの返事を貰うと姉に折り返し電話を掛けて新日鉄の救急入り口に向かうよう指示。
それだけでなんだかこちらが疲れてしまった。
家の中の用事も残っていたのでそれを片付け、昼まで待ってみるが一向に帰ってくる様子もない。
昼御飯を買いに出かける相談を姪としている所へ姉から電話。
今は血液検査の結果待ちで、そのあと点滴を受けるので帰りはまだ遅くなると言う事だった。
またまた疲れた・・・。
買物に出る元気もなくなったので近くのピザ屋から宅配してもらおうとしたら、ピザは高いから注文した事がないからチラシさえも置いてないと言う。
仕方ない、ここはネットで検索し様と、パソコンを立ち上げるが、いかんせん初心者の姪、なかなか目的のHPに辿り着かない。
えーい!とタウンぺージで近そうなピザ屋を見つけ電話を掛け、テキトーに持ってきてもらうようにした。
ますます疲れた。
ピザ屋がやっと来てくれ、子供たちに昼食を食べさせるとどっと疲れが来て横になる。
そこにまた姉から電話。
グループホームの父親の所にコーヒーを持って行ってやってくれとの事。
おいおい、どうやって行くんじゃぁ〜・・・・。
タクシーを呼んで、子供4人連れて行くのももう出来そうもない。
そうだ!デートに行った甥っ子を呼び戻そう。
あの子なら運転できる。
義兄の車もある。
いそいそと電話を掛けると、帰って来てはくれるらしいが義兄の車は運転した事がないという。
はぁ〜〜、振り出しに戻る・・・・。
まだ死にたくはないよー。
しゃーないタクシーかと思っていたら、甥から電話。
「彼女が送って行ってくれるといっているから、用意しといて」との事で私と娘2人が行く事になった。
しかし小学生の甥っ子がすねる・・・・。
あー、もうしらんっ!
ほっといてホームに出かけたら小一時間ほどで姉が子供を連れてやってきた。
義兄は疲れとストレスによる胃腸炎らしく、しばらく安静が必要との事だった。
ま、一安心と思っていたら、義兄はまた勝手に出かけて行ったらしい。
あほらし・・・。
心配して損した。
このあとパワフル姉に買物に連れ出された私は、その夜迄こき使われる事になったのだった・・・。
怒涛の2日目
2001年9月11日姉の家に居候2日目、土曜日。
第二土曜日は学校はお休み。
姉は普段仕事に出ているが、子供が居ると言う理由で第2土曜日は休みにしてもらっている。
久しぶりに妹が遊びに来ている、プラス我が娘は姉にとってたった一人の姪。
義兄にはお兄さんが居たが、早くに亡くなっていて親戚と呼べるのは我が家だけ。
きっと姉は我が娘をどこに遊びに連れて行ってやろうか、と手薬煉引いて待っていたんだろうなー。
とっても嬉しいけれど、私にはそれがきつい時もある。
体調が良くないと言ってるのに、姉はお構いなしに前日から「梨狩りに行こう!」とえらく張り切っていた。
あーなんかきつそう・・・・。
嫌な予感は大当たり、その日はかなりハードな1日になったのだった。
朝7時に起こされた私達。
姉は家族皆にあれやこれやと指示をして、家の中のことを済ませ、お出かけの支度を整え私たちを車に放り込み、車でも1時間半近くかかる山の中に連れ出したのだった。
車に乗ってから判った事だが、姉はその梨狩りの場所をうろ覚えにしか覚えていなかった。
たらリ〜ん(汗)。
もう笑うしかない・・・・ははは・・・。
山の中の道を延延1時間半近く走り、何とか目指す「ハーモニーパーク」とか言う場所には辿り着いたが、その時点ではもう私は「へろへろ君」だったんだ。
しかーしっ!
ハイパワーな姉にそんな私の事情が通じるはずも無く、引きずられるように梨狩りに・・・。
でもでも、梨狩りって山の斜面でやるのよね。
も、やだ・・・。
姉は元気に山道をターボエンジンをふかすがごとくのしのし上がっていく。
その後を私と娘、&姉の子供2人がへろへろと上がって行く。(笑)
ま、上がってしまえばそれなりに休めるので、梨狩り自体は楽しませてもらったんだけど、梨ってそんなに沢山食べられるもんじゃぁないのよね。
結局食べたのは2個くらいかな?
でも娘は走り回って喜んでいたのでOKOK!
お土産の梨を買って車に戻ると、姉の鞄から梨がごろごろ・・・4個。
隠してたのねー・・・、もう言葉もない。
おまけにタッパーウェアに切った梨が綺麗に並べられてた。
お見事!と言うしかなかった。
梨狩りが終わりやれやれと思っていたら、姉はそのあと続けて栗拾いにも行くと言う。
味覚狩りダブルヘッダー!
またしても山の中をのしのし上がっていく姉の後を付いて行く4人。
受付で箱をもらって、その箱一杯拾って1000円也。
ここでも栗拾い自体は楽しかった。
娘も一杯栗を拾ってご満悦。
と、姉を見ると、箱の栗は子供たちに拾わせておいて、自分は鞄の中から出してきたビニール袋に一心不乱に栗を拾い集めている。
ここでもおばはんパワー炸裂!
「あんたの分もひろたるからなっ!」
ありがたーいお言葉である。(涙)
でも、でも、はずかしーよー、姉ちゃ〜ん。
箱に2箱、ビニール袋2つ分、姪の鞄に入るだけ、の栗を拾い集めた姉は、至極満足そうにのしのしと山を降りていった。
あっけにとられる4人を引き連れて・・・。
山を降りて食事に店に入ったら、私の気分も多少良くなってきた。
何とか無事に帰れそう・・・と思っていると、そのあと買物に行こうかと姉に誘われた。
慌てて丁重にお断りし、その日はそのまま帰宅する事になったが、ハイパワーな姉は残念そうだった・・・。
「買物は明日にしよう」と言って納得してもらい、無事家に帰りついてから私は3時間爆睡した。
第二土曜日は学校はお休み。
姉は普段仕事に出ているが、子供が居ると言う理由で第2土曜日は休みにしてもらっている。
久しぶりに妹が遊びに来ている、プラス我が娘は姉にとってたった一人の姪。
義兄にはお兄さんが居たが、早くに亡くなっていて親戚と呼べるのは我が家だけ。
きっと姉は我が娘をどこに遊びに連れて行ってやろうか、と手薬煉引いて待っていたんだろうなー。
とっても嬉しいけれど、私にはそれがきつい時もある。
体調が良くないと言ってるのに、姉はお構いなしに前日から「梨狩りに行こう!」とえらく張り切っていた。
あーなんかきつそう・・・・。
嫌な予感は大当たり、その日はかなりハードな1日になったのだった。
朝7時に起こされた私達。
姉は家族皆にあれやこれやと指示をして、家の中のことを済ませ、お出かけの支度を整え私たちを車に放り込み、車でも1時間半近くかかる山の中に連れ出したのだった。
車に乗ってから判った事だが、姉はその梨狩りの場所をうろ覚えにしか覚えていなかった。
たらリ〜ん(汗)。
もう笑うしかない・・・・ははは・・・。
山の中の道を延延1時間半近く走り、何とか目指す「ハーモニーパーク」とか言う場所には辿り着いたが、その時点ではもう私は「へろへろ君」だったんだ。
しかーしっ!
ハイパワーな姉にそんな私の事情が通じるはずも無く、引きずられるように梨狩りに・・・。
でもでも、梨狩りって山の斜面でやるのよね。
も、やだ・・・。
姉は元気に山道をターボエンジンをふかすがごとくのしのし上がっていく。
その後を私と娘、&姉の子供2人がへろへろと上がって行く。(笑)
ま、上がってしまえばそれなりに休めるので、梨狩り自体は楽しませてもらったんだけど、梨ってそんなに沢山食べられるもんじゃぁないのよね。
結局食べたのは2個くらいかな?
でも娘は走り回って喜んでいたのでOKOK!
お土産の梨を買って車に戻ると、姉の鞄から梨がごろごろ・・・4個。
隠してたのねー・・・、もう言葉もない。
おまけにタッパーウェアに切った梨が綺麗に並べられてた。
お見事!と言うしかなかった。
梨狩りが終わりやれやれと思っていたら、姉はそのあと続けて栗拾いにも行くと言う。
味覚狩りダブルヘッダー!
またしても山の中をのしのし上がっていく姉の後を付いて行く4人。
受付で箱をもらって、その箱一杯拾って1000円也。
ここでも栗拾い自体は楽しかった。
娘も一杯栗を拾ってご満悦。
と、姉を見ると、箱の栗は子供たちに拾わせておいて、自分は鞄の中から出してきたビニール袋に一心不乱に栗を拾い集めている。
ここでもおばはんパワー炸裂!
「あんたの分もひろたるからなっ!」
ありがたーいお言葉である。(涙)
でも、でも、はずかしーよー、姉ちゃ〜ん。
箱に2箱、ビニール袋2つ分、姪の鞄に入るだけ、の栗を拾い集めた姉は、至極満足そうにのしのしと山を降りていった。
あっけにとられる4人を引き連れて・・・。
山を降りて食事に店に入ったら、私の気分も多少良くなってきた。
何とか無事に帰れそう・・・と思っていると、そのあと買物に行こうかと姉に誘われた。
慌てて丁重にお断りし、その日はそのまま帰宅する事になったが、ハイパワーな姉は残念そうだった・・・。
「買物は明日にしよう」と言って納得してもらい、無事家に帰りついてから私は3時間爆睡した。
無事生還!
2001年9月10日夕べ9時半、無事に我が家に戻ってきた。
無事とわざわざ書いたのはなかなかデンジャラスな3日間だったから。
金曜日、大阪は朝からバケツをひっくり返したような大雨。
5歳の子供連れ、荷物多し、とくれば、それでなくとも出かけるのには躊躇するシチュエーションだろうに、プラスこの大雨。
昼頃には小ぶりになるとの姉の言葉を信じて待っては見るが・・・止む気配などない。
仕方なしに昼に家を出るが、駅まで娘の手を引いて辿り着くまでにすでにずぶぬれ・・・。
暗雲たなびく出発。
案の定抗不安剤をあらかじめしっかりと飲んでいったはずなのに、JRの電車の中で過敏性腸炎か?ノ腹痛。
痛み止めを飲んでひたすら耐える。
電車は満員状態、座れただけラッキーか?
PHSから姉にSOSを入れ、電車が着くのと同時に迎えが来るよう手配。
幸い着く頃には薬も効いて、何とか無事に娘と2人辿り着いたが、しょっぱなからこれだ・・・・嫌になるぜ。
その日のうちに父の老人ホームに面会に行き、元気そうな父親の顔にほっとする。
ただ異様なくらい太っていた。
好きなお酒もタバコも禁じられ、買物と言う手段で紛らわせていたストレスもお金を取り上げられ、外出も侭ならない、電話も制限される。
その状況下で父はストレスを「食べる」と言う方向に向けたのだろう、ウエストは裕に90センチを超えようとしている。
娘として心が痛む・・・・。
姉の家に落ち着いてからも心に引っかかっていたのか、夕食は姉も心配するほどに食べられなかった。
せっかくの心づくしの食事だったのに、姉に申し訳なった。
早々に娘を入浴させ、私も床につくが、やはり眠れない・・・・。
慣れない家ではいつもこうだから仕方ないな。
旦那にTELすると、機嫌良くパチンコ中だった。
むかつく〜!
そんなこんなの一日目。
アクシデントはまだまだ続く・・・・。
無事とわざわざ書いたのはなかなかデンジャラスな3日間だったから。
金曜日、大阪は朝からバケツをひっくり返したような大雨。
5歳の子供連れ、荷物多し、とくれば、それでなくとも出かけるのには躊躇するシチュエーションだろうに、プラスこの大雨。
昼頃には小ぶりになるとの姉の言葉を信じて待っては見るが・・・止む気配などない。
仕方なしに昼に家を出るが、駅まで娘の手を引いて辿り着くまでにすでにずぶぬれ・・・。
暗雲たなびく出発。
案の定抗不安剤をあらかじめしっかりと飲んでいったはずなのに、JRの電車の中で過敏性腸炎か?ノ腹痛。
痛み止めを飲んでひたすら耐える。
電車は満員状態、座れただけラッキーか?
PHSから姉にSOSを入れ、電車が着くのと同時に迎えが来るよう手配。
幸い着く頃には薬も効いて、何とか無事に娘と2人辿り着いたが、しょっぱなからこれだ・・・・嫌になるぜ。
その日のうちに父の老人ホームに面会に行き、元気そうな父親の顔にほっとする。
ただ異様なくらい太っていた。
好きなお酒もタバコも禁じられ、買物と言う手段で紛らわせていたストレスもお金を取り上げられ、外出も侭ならない、電話も制限される。
その状況下で父はストレスを「食べる」と言う方向に向けたのだろう、ウエストは裕に90センチを超えようとしている。
娘として心が痛む・・・・。
姉の家に落ち着いてからも心に引っかかっていたのか、夕食は姉も心配するほどに食べられなかった。
せっかくの心づくしの食事だったのに、姉に申し訳なった。
早々に娘を入浴させ、私も床につくが、やはり眠れない・・・・。
慣れない家ではいつもこうだから仕方ないな。
旦那にTELすると、機嫌良くパチンコ中だった。
むかつく〜!
そんなこんなの一日目。
アクシデントはまだまだ続く・・・・。
疲れも出るぜ、母子家庭3日目!
2001年9月5日あー、旦那が家を空けてまだ3日目なのかぁ・・・。
先は長いなぁ。
と言う事でくっらーい気分で幕を開けた水曜日、唯一の救いは幼稚園の給食が今日から始まる事。
昼御飯作り&ファーストフード店通い(こっちの方が多いかも)から解放されるのだわ。
ほんと完全給食のありがたみが身に沁みる。
夕べの電話では旦那は広島ライフを満喫しているらしく、ちょっと胸糞悪い私である。
何で私だけしんどい思いしてるんだよってね。
娘は金魚の糞のごとく私の後ろをくっついてくる。
それも「遊んで!」光線を出しながら。
女の子とはいえ、体力の無い私に5歳児の遊び相手は結構ヘビー、仕方なしにプレステだけは一緒にしてやるが、「セーブって何?」「アイテムって何の事?」「リッド死んだ?」
質問攻撃が炸裂する。
カタカナが読めるようになったんで始末が悪い・・・。
一応母親なんで一つ一つ説明のできることはしているが、結構答えに窮する事も多くなってきた。
娘の成長は嬉しいが、これはうざったい。
えらいよなー世のお母さん方は。
私の母親はどうして子育てしてたんだろう。
当の本人はとっくの昔に鬼籍に入り聞くすべも無いが、内職をしながら2人の娘を育てた母がエキセントリックだったのは仕方の無い事だとようやく理解できるようになった。
でもどんなに怒られても母が大すきだったっけ。
だから私の娘も、どんなに怒られても、泣かされても私を好きでいてくれるのかな?
また母の事を思い出してしまいそうなので、急いで封印、封印!
まだまだ母子家庭は続く。
泣いてなんていられないのさっ。
先は長いなぁ。
と言う事でくっらーい気分で幕を開けた水曜日、唯一の救いは幼稚園の給食が今日から始まる事。
昼御飯作り&ファーストフード店通い(こっちの方が多いかも)から解放されるのだわ。
ほんと完全給食のありがたみが身に沁みる。
夕べの電話では旦那は広島ライフを満喫しているらしく、ちょっと胸糞悪い私である。
何で私だけしんどい思いしてるんだよってね。
娘は金魚の糞のごとく私の後ろをくっついてくる。
それも「遊んで!」光線を出しながら。
女の子とはいえ、体力の無い私に5歳児の遊び相手は結構ヘビー、仕方なしにプレステだけは一緒にしてやるが、「セーブって何?」「アイテムって何の事?」「リッド死んだ?」
質問攻撃が炸裂する。
カタカナが読めるようになったんで始末が悪い・・・。
一応母親なんで一つ一つ説明のできることはしているが、結構答えに窮する事も多くなってきた。
娘の成長は嬉しいが、これはうざったい。
えらいよなー世のお母さん方は。
私の母親はどうして子育てしてたんだろう。
当の本人はとっくの昔に鬼籍に入り聞くすべも無いが、内職をしながら2人の娘を育てた母がエキセントリックだったのは仕方の無い事だとようやく理解できるようになった。
でもどんなに怒られても母が大すきだったっけ。
だから私の娘も、どんなに怒られても、泣かされても私を好きでいてくれるのかな?
また母の事を思い出してしまいそうなので、急いで封印、封印!
まだまだ母子家庭は続く。
泣いてなんていられないのさっ。
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母子家庭・・・
2001年9月3日今朝6時に旦那が広島に向けて愛車イプサムで出発した。
これから1週間は泣いても喚いても帰っては来ない、全くの母子家庭状態になるわけだ。
一週間も娘と2人きりでは煮詰まってしまうのが目に見えているので、途中姉の家に2泊位は居候しようとは思っているが、↓の日記にあるように葬儀が重ならなければと言う条件付。
今日父方の長女にあたる叔母にそれとなく様子を聞いてみたら、今は小康状態を保っているらしく、今すぐどうこうと言う病状ではないらしいので、行けるかなとは思っているが、これも病人さん次第。
後は自分のコンディションとの折り合いをつけるだけ。
これが一番大変だったりするのだが・・・。
暑い間外に出なかったせいで、体力が極端に落ちている。
娘のお迎えに行っただけで、しばらく横になって休まなければ食事の支度も出来ない有様。
情けなや・・・。まだ30代だぜ・・・。
幸か不幸か、娘は食と言う物に興味をあまり示さない。
よほど私の料理が下手なのか、単に好き嫌いが激しいだけなのかは、本人がきちんと日本語をマスターした時点で聞いてみようと思う。
とにかく、卵かけ御飯でもOKOKなので、留守中食事作りに手を抜けるのはありがたい。
かえって手の込んだ料理を作ったりすると、見たこともない物体に拒否反応を示し手をつけない娘なのだ。
だから、卵かけ御飯。ふっふっふ。
問題は朝早起きをさせる事と、私が早起きをする事(笑)
似たもの同士の2人はめっぽう朝に弱い。
何度バスに遅れて幼稚園まで送って行った事か・・・。
さて、これからの1週間どうなる事か。
ここを乗り切ると、私も少し強くなれる気がしている。
旦那依存症からの脱却へ一歩踏み出せるかな?。
*******************
きよ様、お気に入りに登録くださりありがとうございます。
是非きよ様の日記も読ませていただきますね。
これから1週間は泣いても喚いても帰っては来ない、全くの母子家庭状態になるわけだ。
一週間も娘と2人きりでは煮詰まってしまうのが目に見えているので、途中姉の家に2泊位は居候しようとは思っているが、↓の日記にあるように葬儀が重ならなければと言う条件付。
今日父方の長女にあたる叔母にそれとなく様子を聞いてみたら、今は小康状態を保っているらしく、今すぐどうこうと言う病状ではないらしいので、行けるかなとは思っているが、これも病人さん次第。
後は自分のコンディションとの折り合いをつけるだけ。
これが一番大変だったりするのだが・・・。
暑い間外に出なかったせいで、体力が極端に落ちている。
娘のお迎えに行っただけで、しばらく横になって休まなければ食事の支度も出来ない有様。
情けなや・・・。まだ30代だぜ・・・。
幸か不幸か、娘は食と言う物に興味をあまり示さない。
よほど私の料理が下手なのか、単に好き嫌いが激しいだけなのかは、本人がきちんと日本語をマスターした時点で聞いてみようと思う。
とにかく、卵かけ御飯でもOKOKなので、留守中食事作りに手を抜けるのはありがたい。
かえって手の込んだ料理を作ったりすると、見たこともない物体に拒否反応を示し手をつけない娘なのだ。
だから、卵かけ御飯。ふっふっふ。
問題は朝早起きをさせる事と、私が早起きをする事(笑)
似たもの同士の2人はめっぽう朝に弱い。
何度バスに遅れて幼稚園まで送って行った事か・・・。
さて、これからの1週間どうなる事か。
ここを乗り切ると、私も少し強くなれる気がしている。
旦那依存症からの脱却へ一歩踏み出せるかな?。
*******************
きよ様、お気に入りに登録くださりありがとうございます。
是非きよ様の日記も読ませていただきますね。
新学期
2001年9月1日今日から9月、長い夏休みも終わり新学期がやってきた。
娘も眠い眠いと言いながらも機嫌良く幼稚園に登園して行った。
これで自分の時間が少しは出来る。ほっ。
どこにも連れて行ってはやれなかったし、退屈であったはずだろうに、昨日の夏期保育は「お母さんと一緒に居たいの…」と休まれてしまった。
こんな母親でも慕ってくれる娘・・・やはり可愛い。
5日からしか給食は始まらないので、それまではお昼には帰ってくるが、それでも束の間の一人の時間はありがたい。
あー呑気にやれる、なんて考えていたらとんでもない連絡が入ってきた。
叔父が危篤だと言う・・・。
9月の始めに旦那が一週間出張で家を空けるので、2日ほど姉の家にでも行って父親のホームを覗いたり気晴らしに出かけようかと思っていたのだが、丁度その辺りが危ないとの話だ。
こんな事を言っては罰当たりかもしれないが、叔父は自由奔放、悪く言えば自分勝手に生きてきた人、最後はきっとそれなりの人生を受け入れないと仕方がなくなるはずだと周りの人間も思っていた。
案の定定年と同時に発病し、したい事も出来ない体になっていたらしい。
気の毒だとは思っているが、人生のつけと言う奴なんだろうな・・・。
軽い痴呆があるとは言え、我が父親は長男、葬儀には出席させねばならないし本人もそう望んでいる。
私も姉の家に居る時に訃報が届いたのならば、一緒にいかなくてはならない。
無論我が娘も一緒だ。
叔父の家まで車で3時間。
痴呆の父親と5歳の娘を連れての郷里への道のりは想像以上に遠くなるに違いない。
あー、鬱々。
そうだ、娘の礼服代わりになる物を探さなくては・・・・。
新学期は何かと忙しい。
娘も眠い眠いと言いながらも機嫌良く幼稚園に登園して行った。
これで自分の時間が少しは出来る。ほっ。
どこにも連れて行ってはやれなかったし、退屈であったはずだろうに、昨日の夏期保育は「お母さんと一緒に居たいの…」と休まれてしまった。
こんな母親でも慕ってくれる娘・・・やはり可愛い。
5日からしか給食は始まらないので、それまではお昼には帰ってくるが、それでも束の間の一人の時間はありがたい。
あー呑気にやれる、なんて考えていたらとんでもない連絡が入ってきた。
叔父が危篤だと言う・・・。
9月の始めに旦那が一週間出張で家を空けるので、2日ほど姉の家にでも行って父親のホームを覗いたり気晴らしに出かけようかと思っていたのだが、丁度その辺りが危ないとの話だ。
こんな事を言っては罰当たりかもしれないが、叔父は自由奔放、悪く言えば自分勝手に生きてきた人、最後はきっとそれなりの人生を受け入れないと仕方がなくなるはずだと周りの人間も思っていた。
案の定定年と同時に発病し、したい事も出来ない体になっていたらしい。
気の毒だとは思っているが、人生のつけと言う奴なんだろうな・・・。
軽い痴呆があるとは言え、我が父親は長男、葬儀には出席させねばならないし本人もそう望んでいる。
私も姉の家に居る時に訃報が届いたのならば、一緒にいかなくてはならない。
無論我が娘も一緒だ。
叔父の家まで車で3時間。
痴呆の父親と5歳の娘を連れての郷里への道のりは想像以上に遠くなるに違いない。
あー、鬱々。
そうだ、娘の礼服代わりになる物を探さなくては・・・・。
新学期は何かと忙しい。
発作
2001年8月29日昨日の早朝、ふと目が覚めるとなにやら胸の辺りがイヤーな感じだった。
そのまま手洗いに立ったが胸の中のイヤーな感じの塊はどうにも引いて行きそうにない。
イヤーな感じと言っても解かってもらいにくいと思うが、本当にそうとしか表現できないのである。
イヤーな感じの塊が、胸の中心にどっかり居座っているんだなー。
「早くどっか行ってくれー」と思いながら暫らく横になって様子を見ていたが、一向に治まらないので、丁度目を覚ました旦那を呼び、体の異変を告げた。
「なんか変、調子悪い…」
寝ぼけまなこの旦那が側に来て、どこがどう変なのか尋ねるのだが、嫌な感じがするとしか説明の仕様がないんだな。
自分でも何が起こってるのか解かっちゃいないんだから。
そうしている間に手足が硬直、痙攣し始めた。
手はぶるぶると固まったまま震えつづける。
足は硬直して動かない。
声は次第に出なくなり、囁くようにしか話せない。
パニック発作の経験はあるが、痙攣は初めての事さすがに自分でも怖くなってきた。
ついで息苦しさも襲ってきた。
はぁはぁと息をし続けると過呼吸になってしまう恐れがあると知っていたので、それはやばいと思い壊れた脳みそで以前本で読んだ呼吸法をやってみた。
息を吐く方に神経を集中させ、ゆっくり長く吐き続け、吸う時は鼻から息を吸い込む方法。
どれ位の時間が過ぎたのだろうか、一旦硬直は治まり、力の抜けた状態になった。
ホッと一安心。
その間に旦那にしがみつき、怖い怖いと訴えつづけたような気がする。(あーはずかし)
そしてまた硬直、痙攣。
弛緩、旦那に抱きつく。
それを3度ほど繰り返した。
手持ちの薬でそういった発作を抑える薬が思いつかなかったので、とりあえず安定剤を旦那に持ってきて貰い飲んだ。
コップが自分では持てないほど私の手はこわばっていて旦那が口に水を注いでくれ、やっと飲む事が出来た。
頼むぜー効いてくれよー。
祈るような気持ちで時を待つ。
と、薬が効いたのかそのまま寝入ってしまったようだ。
時間にしてはほんの短い間だと思うが、眠ったのが良かったらしく次の発作はもう起こらなかった。
良かった良かった。
ほっとしてまた少し眠った。
旦那は仕事で7時半に家を出る予定だったのだが、さすがにこんな嫁を放って置けなかったらしく、午前中を休み病院に連れて行ってくれた。
先に病院の順番を取ってきてもらい、待たずに診て貰える様家を出た。
心療内科の診察では、私くらいの年代(更年期の入り口らしい)の人には良くある事で、驚く必要はないといわれたが、そんな発作になった人の話なんか聞いた事ないぞー。
旦那も慶子先生から説明を受けていたが、やはり不安が引き起こした発作らしい。
不安たってそれまで寝てたんだけどなぁ…。
寝ながら不安になるか?普通…。
どう考えてもおかしいよなー。
でもまたこんな事態に何時なるとも限らないので、非常時用の頓服を処方してもらったが、なんとも釈然としない。
更年期って閉経前後の人の事を言うんだと思ってたのに、もう充分その資格があるとお墨付きをもらったって嬉しくもなんともないね。
今のところそれ以降発作は起きていない。
でもまた一つ心配事が増えたって事。
私の体はどうなってるんだろ?
そのまま手洗いに立ったが胸の中のイヤーな感じの塊はどうにも引いて行きそうにない。
イヤーな感じと言っても解かってもらいにくいと思うが、本当にそうとしか表現できないのである。
イヤーな感じの塊が、胸の中心にどっかり居座っているんだなー。
「早くどっか行ってくれー」と思いながら暫らく横になって様子を見ていたが、一向に治まらないので、丁度目を覚ました旦那を呼び、体の異変を告げた。
「なんか変、調子悪い…」
寝ぼけまなこの旦那が側に来て、どこがどう変なのか尋ねるのだが、嫌な感じがするとしか説明の仕様がないんだな。
自分でも何が起こってるのか解かっちゃいないんだから。
そうしている間に手足が硬直、痙攣し始めた。
手はぶるぶると固まったまま震えつづける。
足は硬直して動かない。
声は次第に出なくなり、囁くようにしか話せない。
パニック発作の経験はあるが、痙攣は初めての事さすがに自分でも怖くなってきた。
ついで息苦しさも襲ってきた。
はぁはぁと息をし続けると過呼吸になってしまう恐れがあると知っていたので、それはやばいと思い壊れた脳みそで以前本で読んだ呼吸法をやってみた。
息を吐く方に神経を集中させ、ゆっくり長く吐き続け、吸う時は鼻から息を吸い込む方法。
どれ位の時間が過ぎたのだろうか、一旦硬直は治まり、力の抜けた状態になった。
ホッと一安心。
その間に旦那にしがみつき、怖い怖いと訴えつづけたような気がする。(あーはずかし)
そしてまた硬直、痙攣。
弛緩、旦那に抱きつく。
それを3度ほど繰り返した。
手持ちの薬でそういった発作を抑える薬が思いつかなかったので、とりあえず安定剤を旦那に持ってきて貰い飲んだ。
コップが自分では持てないほど私の手はこわばっていて旦那が口に水を注いでくれ、やっと飲む事が出来た。
頼むぜー効いてくれよー。
祈るような気持ちで時を待つ。
と、薬が効いたのかそのまま寝入ってしまったようだ。
時間にしてはほんの短い間だと思うが、眠ったのが良かったらしく次の発作はもう起こらなかった。
良かった良かった。
ほっとしてまた少し眠った。
旦那は仕事で7時半に家を出る予定だったのだが、さすがにこんな嫁を放って置けなかったらしく、午前中を休み病院に連れて行ってくれた。
先に病院の順番を取ってきてもらい、待たずに診て貰える様家を出た。
心療内科の診察では、私くらいの年代(更年期の入り口らしい)の人には良くある事で、驚く必要はないといわれたが、そんな発作になった人の話なんか聞いた事ないぞー。
旦那も慶子先生から説明を受けていたが、やはり不安が引き起こした発作らしい。
不安たってそれまで寝てたんだけどなぁ…。
寝ながら不安になるか?普通…。
どう考えてもおかしいよなー。
でもまたこんな事態に何時なるとも限らないので、非常時用の頓服を処方してもらったが、なんとも釈然としない。
更年期って閉経前後の人の事を言うんだと思ってたのに、もう充分その資格があるとお墨付きをもらったって嬉しくもなんともないね。
今のところそれ以降発作は起きていない。
でもまた一つ心配事が増えたって事。
私の体はどうなってるんだろ?
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夏の終わりに・…。
2001年8月27日この夏は結局何処へも出かけなかった。
5歳の娘も夏休みの間私に付き合って(付きあわされて)、家にこもりっぱなし。
子供にとってあまり体に良いとは言いがたい状況だった。
ちょっと可哀想だったかな?
ま、私がこんなじゃ仕方ないし、旦那が日曜に近くのプール(お子ちゃましょんべんプールの呼称有り)に連れて行ってたからいいとしよう。
しかし私はストレスが溜まってる訳で、この解消法を色々考えたのだが、故障した脳細胞では「お金を使う」以外には見つける事が出来なかった。
ぱぱぱっっーと遣うと確かに気持ち良いのだが、後には苦ーい思いが残るし、地球の資源と同じで(同じにすなっ!)我が家の家計にも限りがある。
かろうじて後味悪くなくストレス解消できるのは、フリマとゲーセンぐらいだろうか。
フリマの鉄人ではないので「安物買いの銭失い」に限りなく近い買い方なんだけど・…。
で、昨日はもう一つのストレス解消法、ゲーセン三昧をさせてもらった。
場所はとある市の大型ショッピングモール内のゲーセン。
いわゆるUFOキャッチャーに似た類のゲームで2時間はたっぷり遊ばせて貰った。
心の広い旦那様に感謝!
この夏の体調はまさに「散々」と言った表現がぴったりだった為、私に「楽しみ」という物はかなり少なかった。
側に居てそれを誰よりも知っているからこそ、こんな馬鹿な事を許してくれるんだと思う。
来年の夏は笑って太陽の下で子供と走ったり、海で泳いだりしたい。
子供が親と一緒に行動してくれる期間なんて短い物だと知っているからこそ、一層そうしたいと願う。
来年の夏・…一体どうなってるんだろ。
もうすぐ発病から3年を迎える。
5歳の娘も夏休みの間私に付き合って(付きあわされて)、家にこもりっぱなし。
子供にとってあまり体に良いとは言いがたい状況だった。
ちょっと可哀想だったかな?
ま、私がこんなじゃ仕方ないし、旦那が日曜に近くのプール(お子ちゃましょんべんプールの呼称有り)に連れて行ってたからいいとしよう。
しかし私はストレスが溜まってる訳で、この解消法を色々考えたのだが、故障した脳細胞では「お金を使う」以外には見つける事が出来なかった。
ぱぱぱっっーと遣うと確かに気持ち良いのだが、後には苦ーい思いが残るし、地球の資源と同じで(同じにすなっ!)我が家の家計にも限りがある。
かろうじて後味悪くなくストレス解消できるのは、フリマとゲーセンぐらいだろうか。
フリマの鉄人ではないので「安物買いの銭失い」に限りなく近い買い方なんだけど・…。
で、昨日はもう一つのストレス解消法、ゲーセン三昧をさせてもらった。
場所はとある市の大型ショッピングモール内のゲーセン。
いわゆるUFOキャッチャーに似た類のゲームで2時間はたっぷり遊ばせて貰った。
心の広い旦那様に感謝!
この夏の体調はまさに「散々」と言った表現がぴったりだった為、私に「楽しみ」という物はかなり少なかった。
側に居てそれを誰よりも知っているからこそ、こんな馬鹿な事を許してくれるんだと思う。
来年の夏は笑って太陽の下で子供と走ったり、海で泳いだりしたい。
子供が親と一緒に行動してくれる期間なんて短い物だと知っているからこそ、一層そうしたいと願う。
来年の夏・…一体どうなってるんだろ。
もうすぐ発病から3年を迎える。
新しい出会い。
2001年8月25日突然だが、私は「ケータイ」は持っていない。
でもPHSは持っている。
それがどーした、と言われそうだが、両者の間にははっきりと線引きがあって、一番不便なのは電波の受信状態が良くない事。
つまり電波を受信しようと意欲的でないのだ、こやつは。
まず田舎ではアンテナが一本も立たない。
面白い物で、旦那の実家のある○○郡○○町ではアンテナマークすら見えないのに、私の実家(かつてはあった)のある○○市○○区との境の川を越えると同時にアンテナは3本立つ。
「あんたは嫌いなんかい?田舎が」と問いたくなるくらい態度を豹変させる。
まさか持ち主に似るって事は無いよな…。
そんなこんなでも使用料の安さに惹かれPHSなのだが、自慢しちゃうけど最新機種なのだよ、えっへん。
しかしその殆んどの機能は、取説の分厚さの前にひるんでしまった持ち主の為、眠ったままであった。
最新機種を持った意味など全く無いわけだ。
しかし、あの電車の中で一心不乱にケータイメールを送りつづける昨今の若者を見て(そう考える事事態、年よりくさいよな)、なぜかケータイメールと言う物に興味を持ってしまったのだ。
かくいう私のPHSにも一応お粗末なメール機能は付いている。
昨日は久々に見るだけでびびってしまう取説をひっぱり出し、”メール機能のところのみ”読んでみた。
頭の悪い私にも何とか、同じ○ocomoのケータイと、PHSにはメールが送れる事が解かった。
しかしPHS同士ではメールがきた事を着メロで教えてくれるのに反して、相手がケータイだといちいちセンターにアクセスして、自分当てのメールを読み出さねばならない。
まっこと不便じゃ。
でもとりあえずチャットで知り合った若者にお試しメールなる物を送りつけてみた。
するとちゃんと届いたと言う返事が来ているではないか。(当たり前か…)
これは面白い!
若者がハマル筈である。
わが機種はリアルタイムとは行かないが、それでも話をするように相手とコミュニケーションは取れる。
相手に若干不足はあるが、○ocomoのケータイアドレスを知っているのは彼しかいないので仕方ない。
しばらく遊び相手になってもらおう。
しかし送信と読み込み一回につき4円も取るとは、○OCOMOもあくどいのう・…。
かくして我が機種も立派にお役目を果たし、昨日は鼻高々であったに違いない(笑)
そこで大募集!
私とケータイメールをしてみたいと言う変わった嗜好をお持ちの方、もしいらしたら是非ご一報頂きたい。
○OCOMOのiーmodeの方、もしくはPHSをお持ちの方に限る!
それにしても我が旦那のケータイは未だにiーmodeではない。
「そんな人は珍しい・・・」
友人から聞かされた言葉である。
夫婦って似るのね。
**********************
奇特な貴方!下のほうにメアドがありますので、ご一報くださいませ。
心よりお待ち申しております。
でもPHSは持っている。
それがどーした、と言われそうだが、両者の間にははっきりと線引きがあって、一番不便なのは電波の受信状態が良くない事。
つまり電波を受信しようと意欲的でないのだ、こやつは。
まず田舎ではアンテナが一本も立たない。
面白い物で、旦那の実家のある○○郡○○町ではアンテナマークすら見えないのに、私の実家(かつてはあった)のある○○市○○区との境の川を越えると同時にアンテナは3本立つ。
「あんたは嫌いなんかい?田舎が」と問いたくなるくらい態度を豹変させる。
まさか持ち主に似るって事は無いよな…。
そんなこんなでも使用料の安さに惹かれPHSなのだが、自慢しちゃうけど最新機種なのだよ、えっへん。
しかしその殆んどの機能は、取説の分厚さの前にひるんでしまった持ち主の為、眠ったままであった。
最新機種を持った意味など全く無いわけだ。
しかし、あの電車の中で一心不乱にケータイメールを送りつづける昨今の若者を見て(そう考える事事態、年よりくさいよな)、なぜかケータイメールと言う物に興味を持ってしまったのだ。
かくいう私のPHSにも一応お粗末なメール機能は付いている。
昨日は久々に見るだけでびびってしまう取説をひっぱり出し、”メール機能のところのみ”読んでみた。
頭の悪い私にも何とか、同じ○ocomoのケータイと、PHSにはメールが送れる事が解かった。
しかしPHS同士ではメールがきた事を着メロで教えてくれるのに反して、相手がケータイだといちいちセンターにアクセスして、自分当てのメールを読み出さねばならない。
まっこと不便じゃ。
でもとりあえずチャットで知り合った若者にお試しメールなる物を送りつけてみた。
するとちゃんと届いたと言う返事が来ているではないか。(当たり前か…)
これは面白い!
若者がハマル筈である。
わが機種はリアルタイムとは行かないが、それでも話をするように相手とコミュニケーションは取れる。
相手に若干不足はあるが、○ocomoのケータイアドレスを知っているのは彼しかいないので仕方ない。
しばらく遊び相手になってもらおう。
しかし送信と読み込み一回につき4円も取るとは、○OCOMOもあくどいのう・…。
かくして我が機種も立派にお役目を果たし、昨日は鼻高々であったに違いない(笑)
そこで大募集!
私とケータイメールをしてみたいと言う変わった嗜好をお持ちの方、もしいらしたら是非ご一報頂きたい。
○OCOMOのiーmodeの方、もしくはPHSをお持ちの方に限る!
それにしても我が旦那のケータイは未だにiーmodeではない。
「そんな人は珍しい・・・」
友人から聞かされた言葉である。
夫婦って似るのね。
**********************
奇特な貴方!下のほうにメアドがありますので、ご一報くださいませ。
心よりお待ち申しております。
鬼のいぬ間に・・・というのはだんなが使う言葉か?
2001年8月23日旦那が金沢に行ってしまった。
仕事で2日間ほどは戻らない、らしい。
「らしい」と言うのは、泊まりと言い置いて出て行っておきながら、ひょっこり夜中にそばに立っていてびっくりさせられるからで、彼の言葉は話半分あてにはならない。
さて2日間は自由か、不自由か・・・?
子供と2人なので晩御飯の心配は要らない。
これは自由。
ゴミ出しと新聞取りを自分でやらなければならない。
これは不自由。
プラスとマイナスとを数えてみると圧倒的にマイナスが多い。
つまり2日間はとーっても不自由。
一人で家事やって子供の世話もやんなきゃいけなくて、その上話し相手はいない。
旦那様、ありがたきものなり、はよ帰れ。一句・・・・。
ただし、私の負担を考えてか、2日間外食OKのお触れが出ている。にんまり。
でも5歳の娘と外食に行くより、家でタクアンかじってる方が楽なのよね、実際は。
それにだらだら何かしら食べてるからあんまりお腹すかないのよ。
今だって桃むいてやって食べた所だし。
晩御飯はどう考えても8時だな。
今のところ鬱は来てないから良いものの、ひょっこり鬱に落ちちゃったらどうすれば良いんだろって言うのも頭をかすめる。
買物依存も酷くなって来てるしなー、そろそろ来るぞ、ってのはある。
こんな時、娘が言うおまじない。
「○ちゃんが居るからお母さんは淋しくない!大丈夫!、お母さんが居るから○ちゃんは淋しくない!大丈夫!」
5歳の娘に支えられて2日間を過す。
さてどうなります事やら・・・・。
仕事で2日間ほどは戻らない、らしい。
「らしい」と言うのは、泊まりと言い置いて出て行っておきながら、ひょっこり夜中にそばに立っていてびっくりさせられるからで、彼の言葉は話半分あてにはならない。
さて2日間は自由か、不自由か・・・?
子供と2人なので晩御飯の心配は要らない。
これは自由。
ゴミ出しと新聞取りを自分でやらなければならない。
これは不自由。
プラスとマイナスとを数えてみると圧倒的にマイナスが多い。
つまり2日間はとーっても不自由。
一人で家事やって子供の世話もやんなきゃいけなくて、その上話し相手はいない。
旦那様、ありがたきものなり、はよ帰れ。一句・・・・。
ただし、私の負担を考えてか、2日間外食OKのお触れが出ている。にんまり。
でも5歳の娘と外食に行くより、家でタクアンかじってる方が楽なのよね、実際は。
それにだらだら何かしら食べてるからあんまりお腹すかないのよ。
今だって桃むいてやって食べた所だし。
晩御飯はどう考えても8時だな。
今のところ鬱は来てないから良いものの、ひょっこり鬱に落ちちゃったらどうすれば良いんだろって言うのも頭をかすめる。
買物依存も酷くなって来てるしなー、そろそろ来るぞ、ってのはある。
こんな時、娘が言うおまじない。
「○ちゃんが居るからお母さんは淋しくない!大丈夫!、お母さんが居るから○ちゃんは淋しくない!大丈夫!」
5歳の娘に支えられて2日間を過す。
さてどうなります事やら・・・・。