終業式

2002年3月22日
娘の幼稚園の今日は終業式。

「まだ赤ちゃんなのに行かせて大丈夫だろうか・・・?」
そんな心配を胸に園に送り出してから2年になるのかー。

やっぱり時間の流れは早いと思う。

3年保育は経済的に決して楽とは言えない我が家。

それでも行かせたのは一つは私が病気ゆえ(当時は病名がまだ判ってなかった)外に出る機会がなく、「同年代の友達と遊ぶ」と言う、この年代の子供には大事な事が出来なくなっていたから。

また同じく外に出られないために、運動面でもかなり遅れが見られたからである。

この2つの悩みを幼稚園は見事に解消してくれた。

お友達も増え、人様より若干遅れがあるとは言え、運動会では他のお友達と一生懸命に走り、踊り、楽しんでいた。

あと一年、今度は年長組としての生活が待っている。

組がえも発表され、我が娘は「ブルーチーム」。
仲の良いお友達とはみんな離れてしまったが、また新しい組で新しいお友達をつくってくる事だろう。

年長組は行事も多く、親の出番も一気に増える。

それについて行けるだろうか?
親のほうが心配な有様である。

年中組の先生が生徒一人一人にメッセージを書いてくださっていた。

我が娘には
「○○○ちゃんのまわりにはいつもお友達が居たね、えがおがすてきだよ」
とのメッセージを頂いた。

ちょっとホロリときた。(笑)

2年経って彼女は彼女なりに成長している。
親離れする日もそう遠くはないだろう。
少しづつ少しづつ、その準備を彼女はしている。


今そばで昼寝をしている娘の寝顔を見ていたら、赤ちゃんの頃の顔と全く同じで、あどけなくて、無防備で、そして旦那にそっくりで、ちょっと笑ってしまった。

早く大きくなって欲しい気持ち、まだ私の赤ちゃんで居て欲しい気持ち、その二つの気持ちが私の胸にはあって揺れ動いている。

肝心の親が子離れできる日はまだ遠そうだ(笑)。

事件勃発!

2002年3月20日
扁桃腺炎と言ってもおとなしく寝ているはずもない娘と座敷牢生活3日目。

さすがにe具合にクツクツと煮詰まってきた、二人の関係。

些細な事でも怒ったり泣いたり。

私も不安定な状態なので、お互い日中はちょっと距離を置いて過ごした方が良さそうだ。

原因は外に出られないこともあるが、夕べに起きた事件、これが尾を引いている。

事件は7時7.8分前に起こった。

「おかあさ〜ん」、娘の泣き声。
「なになに?どした〜〜?」一応聞いてみる私。

「ごめんなさーい」「ごめんなさーい」、泣きながら繰り返す娘。

???
何がなにやらさっぱり判らない。

「なにしたの?怒らんから言ってごらん」

「うー」、鼻を指差す娘。

「は、鼻〜?」

嫌〜な予感がひしひし。

「なんかいれたん?」
無言で頷く娘。

「何?」
「遊んでたら入ってもたん、・・・ビーズ」

ビ、ビーズとな?

確かこの子のお遊び用ビーズは直径8ミリはあるぞー!

あわてて鼻の奥を除くが、かなーリ奥の方にぼんやりグリーンのビーズらしきものが見えるだけ。

あかん・・・こらプロに任せな。

あわてて近所の耳鼻科に電話。
7時までの受付のところを「ダッシュで行く」と言う条件で待ってもらう。

近所なので、自転車の後ろに娘を乗せて飛ばす飛ばす!

急いで中に入り診て貰うとやっぱりビーズが鼻の奥に鎮座しておりました。

鼻腔を広げる器具で鼻の穴をちょいと広げ、先が¬状になっている器具で引っ掛けると、いとも簡単にビーズは取り出された。

ほっと一安心。
一応鼻の粘膜に傷がないか診てもらったが、異常なしと言う事で治療お終い。

治療費、3100円也。

ひょえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
たったこれだけの事で3100え〜〜ん?

母、涙・・・。

以前にこの耳鼻科には2度かかっているが、一度目は今回と同じく鼻にスポンジを詰め込んだ。
二度目は喉の奥に魚の骨が刺さっていたのを取って貰った。

なんか情けない・・・・。


当然家に帰ったらお尻ペンペンの刑が待っていた。
叩かれる方はもちろん、叩く方だって心も手も痛いのだ。

どっーと疲れてしまい、簡単に夕食を済ませて旦那に連絡をした。
さすがに3100円には旦那もあきれていた。
もちろん5歳にもなって鼻に遊びで物を突っ込む娘にも。

いろいろ電話で旦那に愚痴ったりしたけれども、それでも、なんだか、どーにも、イライラが取れない私。

薬で落ち着かせるのは簡単だけど、もう薬に頼るのは嫌になってきていると言うのもあって、娘を早く寝かせて一人になろうと考える。

さっさと娘を(無言で)風呂に入れ、歯磨きをして寝かせてしまう。

しかーし、一人になってもイライラは治まるどころか増すばかり。

ネットオークションにへばりついて、手当たり次第に入札してやっとすっきり。

ハハハ、一件落札してしまった。
ちょっとすっきりしたかな?

旦那に事の次第を知らせるメールを送ると、即座に
「今日はこれで気を落ち着かせて、早く寝てください!」とのメールが届く。

これ以上起きていられると、何を買うやら判らないと踏んだな?

仕方ない、寝るか・・とネットをあきらめる。

しかし女というのは、やっぱお金使わないとストレス解消できない生き物なのかなぁ?

母子家庭再開。

2002年3月19日
あさ早〜く、私がほけほけ寝ている間に旦那様は仕事に行ってしまった。

「行ってらっしゃい」のチュ〜もさせて貰えなかった。

寝てた私が悪いんだけどさ。

娘の扁桃腺炎は一進一退。
そうすぐに良くなるとはこちらも思ってはいないけれど、一度下がった熱がまた上がってくるとやっぱり「あ〜あ・・・」って気にもなるし、娘も可哀想だ。

昼間は比較的熱も上がらないので「退屈攻撃」炸裂!
「おかーさん、何してたらいーのよー」
「寝てたら良いのよ!」

この繰り返し。

夜になって風呂に入れられるかしらと思い、熱を測ったら38度4分。

さっさと歯磨きをして布団に入らせた。

その前に生まれて初めての解熱剤(錠剤)を飲ませた。

彼女の風邪薬はドライシロップかシロップと決まっているので、今の今まで錠剤と言う物を口にした事がなかったのだ。

もう5歳だと言うのに・・・と思い心配しながら見ていたら、すんなり飲んでいる。

親が心配する事でもなかったのね。

これで明日の朝までおとなしく寝てくれたら良いな。

旦那はと言うと、また家を離れられたお気楽さと言うか、結構楽しそうな様子が電話から窺い知れて、私的にはちょっとむかっ!

私は私で家から出られない憂さ晴らしに「ネットオークション」に張り付いていた。

旦那が帰って来るまでに、きっとまた何か買ってしまうだろう。

有益なものなら良いんだが・・・。

アブトロニックとか買っていたらどうしよう・・・。(笑)




発熱!

2002年3月17日
明日からまた旦那が出張に出る。
今度は2泊3日と言うか、殆んど3泊3日だな、ハハハ。

10日間も家を空けていた旦那が、すぐまた家を空けると言う事でちょっと、いや、かなりブルー。

いつまでたっても旦那に頼りっぱなしで情けないとは思うが、これも愛の(病気の?)なせる業と解釈しておこう。

結局家に居たのは3日間だけ。
また母子家庭に逆戻りである。

そんなときに娘が熱を出した。

日曜でも近所の小児科は開いているので、開院と同時に旦那に順番を取りに行って貰ったら、なんと35番。
恐ろしい数の患者だ。

幸い病院は歩いて5分もかからないところにあるので、順番がくるまで家で寝かせて待っていたが、結局診て貰えたのは昼過ぎだった。

私はこの病院には娘を連れて行ったことが殆んどない。
怖いのである。

狭い待合室に溢れんばかりの子供と母親。
こういうシチュエーションがたまらなく怖い。

だから今回も旦那に連れて行ってもらった。

診察の結果は「扁桃腺炎」。

うちの娘は扁桃腺が大きいらしく、風邪を引くとすぐにここに来る。

小さいお子さんをお持ちの方はご存知だろうが、扁桃腺炎は高い熱が出る。
40度なんてあったりまえの熱である。

旦那不在のこの3日間、この発熱体と化した娘の世話をするのは母親として当たり前としても、不安がないわけではない。

それでなくても悪い方にしか思考のベクトルが向かない病気を持つ私が、高熱を出した娘の責任を任される、と言うそのプレッシャーは計り知れない物がある。

いつもの事だが、「なんでこんな時に・・・」なのである。

さて3日間無事に過ぎてくれるだろうか?

2人ダウンしたら誰が助けてくれるのかな?
もうすでに思考はマイナスに傾いている。

ずる休み

2002年3月14日
今朝、娘をいつもと同じ時間に起こした。

ま、大概寝起きの悪い子なので、今朝もすんなり起きて来なかったのは気にならなかったんだけど、軽く咳をしていたのが少し気にかかった。

我が家は朝は殆んどパン食。

娘は本当は朝はご飯が食べたいみたいなので、時々ご飯食にするのだけれど、今日は昨日の神戸屋で彼女の気に入ったパンを買ったので、それを食べ始めた。

食べ終わったら、トイレと歯磨き。
その後、幼稚園の制服に着替える。

制服は私がすべて着る物をあらかじめ炬燵の上に並べておき、それを彼女には時間が許す限り自分で着させるようにしている。

これがいつもの朝の生活パターン。

今日はそこでストップがかかった。

歯磨きが終わってもどうしても着替える気にならないようだ。

そのままの状態で放っておいてはバスの出発時間には間に合いそうもない。

私が手を出して着替えさせるか、それともバスをあきらめて幼稚園に自転車で送って行くか、どちらにし様かと迷っていると、娘の様子が少しおかしい事に気がついた。

わざと咳をして私にアピールしているかのように見えるのだ。

「咳が出るの?」と聞いてみた。
彼女はうんうんと大きくうなずき、もっと咳をしようとする。

はは〜〜〜ん!!!

娘を膝の上に乗せ、ぎゅっと抱きしめ「幼稚園行きたくないのね?」と尋ねると、今度は小さく頷いた。

「誰かいじめる子がいる?」
「昨日嫌な事があった?」
「誰も遊んでくれないの?」

色々尋ねるてみたが、たいして大きな理由は無さそうだ。

彼女には時々こういう事がある。
幼稚園行きたくない病。


私自身、幼稚園時代に、幼稚園に行くのが嫌で嫌で仕方がなかった記憶が強く残っている。

朝、幼稚園の門の前まで母親が送ってくれていたのだが、母親の姿が見えなくなるやいなや反対側の道からぐるりと、それも道草を食って時間を潰してから家に帰ってしまうという事が良くあった。

当然母親には叱られる。

しかし時間を潰してから帰っているため、再度送り出すには中途半端な時間だったのだろう、この戦法はなかなか有効だった。
結局ずる休み。

それくらい嫌いだった幼稚園。

ただただ母親が大好きで、側に居たかった。
それだけの理由。

今朝の娘にはそんな自分がダブって見えた。

「お母さんが良い〜」
この言葉も効いた。

で、ずる休み。(笑)

旦那に一応お伺いメールを入れたが、「一日くらいいいじゃないか」との返事。

そうだよね。
いいじゃないか。

まだ親離れの途中なんだ。
立ち止まる時もあるさ。

そんな風に考えを切り替えて、一日を楽しく過ごす事にした。

デパートの屋上遊園でゲームをして遊び、一緒に乗り物にも乗り、アイスクリームを一緒に頬張って食べた。
新しい靴も買ってやった。

帰りの電車では「楽しかったね」と何度もくり返して言っていた。
私も楽しかった。

その後娘は咳き込む事がなくなった。
もう演技をしなくても良いと判ったからだろう。

一生懸命はしんどい。
きっと娘もそうなんだ。
そう思って今日は甘やかせてしまったが、それが良いのか悪いのかは判らない。

ただ「明日は元気に行ってくれると良いな」そう祈るだけである。




母子家庭終了間近

2002年3月13日
14日、10日間の出張を終えて旦那様が帰ってくる。

1度だけ無理して帰って来て呉れたが、滞在時間が10時間にも満たない慌ただしい一時帰宅だった。

今度は本当に帰ってくる。
やっぱり嬉しいし、気分的にほっとする部分は大きい。

勝手病とも思われがちな病気ではあるが、一応病気療養中の身に家事一切合切と、娘の世話はやっぱりきついものがあった。

幸いにも留守中2人とも風邪などひく事もなかったので、寝込んだり寝込まれたりはなかったが、それでも夕方に私がダウンする事は多々あった。

今回はそれでもきちんと食事は作れた、偉い!

前回の出張の折には、殆んど外食とお惣菜で済ませてしまったが、今回は卵焼きと焼きたらこだけという日があったにせよ(笑)、ま、何とかお袋の味オンリーだ。

今夜をのぞいては・・。

今夜は最後の晩餐?という事で外で食事をした。
お馴染み「神戸屋レストラン」黒毛和牛ヒレステーキなり。

肉好きの我が娘に肉の殆んどは食われ、私は食べ放題のパンとサラダバーでお腹を満たした。

ほんまに肉だけは良く食べるんだからっ!
野菜も食えよっ。

夜の電話の折、明日の夜は何が食べたいかと旦那に聞いた。

「普通のもんが食べたい・・・」

彼は10日間一体何を食っていたんだろう???

兎にも角にも明日の夜にはまた賑やかさが戻ってくる。

久しぶりの家の中を見てなんと言うだろうか?

荒れ果てた部屋と万年床。
山積みの洗濯物(洗濯済み)。

明日までにこれを何とかせねば。

それよりも10日の間にまたまた増えた着物達。
これを何処に隠すかが問題だな・・・。

そう言えば娘のお土産リクエストは「栗」、であった。

なんで栗なんだ?
これもかなり謎だ・・・。


小康状態。

2002年3月9日
薬を倍量に増やされたおかげで激鬱からは解放された。

今のところはまずまずの小康状態か。

久しぶりに着物を着て出かけてみた。
春の着物に手を通す。

遠目にはピンクの無地に見えるほどの、白地に小さな小さな赤の水玉。
地模様は桜の花びらかな?

同じく春の花をあしらった銀箔の帯を締めた。

少しだけ気分が華やいだ。

外に出たくない病の私が着物を纏う事で、「出てみようかな?」と思うのだから、この着物効果は捨てがたい物がある。

亭主殿には金銭的に迷惑を掛けるが、ま、そういうことでご勘弁を願おう。

出かけたついでに、娘がかねがね行きたがっていた「サンリオピューロランド」行きのツアーがないか調べに旅行社に寄った。

店内にはカラフルなパンフレットが溢れんばかりに並べてある。

「どこかに行きたい」、そう思う気はあっても、不安が先行してしまい発病以来何処にも出かけていない。

日帰りでいちご狩り程度は出かけたが、まだ遠出は出来ずにいる。

幸い今までは娘も「何処そこに連れていってくれ」というような事は言い出さなかったが、どうしてもピューロランドは行きたいようだ。

他のテーマパークで我慢してくれないかと尋ねたが、涙を溜めて首を横に振るばかりだ。
「キティちゃんがいないと嫌だ」その一点張り。

何がそんなに娘の心を惹きつけるのかは判らないが、今度の願いは叶えてやりたいと心から思う。

旦那が出張にでている間に・・・と思っていたが、日程的に難しそうだ。
でも何とかやりくりして連れて行ってやりたいと思う。

旅行に行こうだなんて考えられる様になったのも、少し心が安定してきた証拠。
そんな風には考えられないだろうか、と自分で思っている。


別れ話?

2002年3月5日
旦那が出張に出て行った。

本来なら明日朝早くの出発のはずだったのだが、本日急遽入った仕事は、あのUSJ「バック トゥ ザ フューチャー」のアトラクションの監視カメラ移設工事。

当然、営業終了後にしか手はつけられない。
つまり夜間の工事。

多分終わるのは明日朝の3時ごろ。
家へは帰らずそのまま出張先へと出発するとの事。

事故など起こさねばいいのだが・・・。

と書くと、非常に私が冷静のように感じられるかもしれないが、実は午前中から涙の嵐。

掃除機かけては涙、洗濯物干しては涙。
化粧の最中にも泣くもんだから、なかなか捗らず妙にあっさりした顔に・・・。

旦那はと言うと、もうどうして良いやらお手上げ状態だったようだ。

あれやこれやで機嫌を取ろうとしていたけれど、それで出張がなくなるでなし、泣きつづける嫁に途方に暮れていた。

昼になり「どこか食べに行こか?」と尋ねられたので無言で頷き、近所の店にランチを食べに行った。

店に入っても涙は止まらず、ハンカチで目頭を押さえたままの私。

声は涙声の上に鼻水をすする音つき。

周りの客にはきっと別れ話の最中に見えたんじゃないか?

「そんなに泣かいでも・・・」
「そんなん言うてもどないしてええか解からん、私。」

こんな会話が聞こえてくればなおさらだろう。

轟々と泣きながらも「あ、私エビフライ定食」。
おろおろしながらも「俺、本日のランチ」。
オーダーはちゃんと言う。

そして泣きながらもきっちり食う。(笑)

4時頃に家を出ると言う旦那を見送るのが嫌で、店を出たあと旦那と別れ、そのまま電車に乗って出かけた。

玄関で見送ったら淋しさでどうにかなってしまいそうだった。

一度だけ振り返って大きく手を振った。
涙がまた溢れてきた。

娘を迎えに行く4時まで買物をしたりして過し、駅からそのまま保育園に迎えに行き、家に帰ると旦那はもう出かけた後だった。

家はきちんと片付けられ、留守にする間の予備の灯油も買ってあった。

・・・そして置手紙。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
行ってきます!!
土よう日には1度かえります。
るすにしてごめんなさい・・・
愛してるよ!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

旦那らしい、漢字の少ない短い手紙。

置手紙なんて滅多に書かない旦那の、「いつも気に掛けているよ」と言う、目一杯の意思表示。
おまけに1度帰って来るという精一杯の譲歩。

それが短い文面に詰め込んであった。

なんだか可笑しくて、でも嬉しくて・・・また泣けた。


こうして9日間の母子家庭はスタートした。
文面どおりに土曜日に帰って来れるかはあやしいもんだ。

それはそれで良い。
今は無事に、そして早く帰ってきて欲しい。
それしか考えられない。
娘の「生活発表会」も終わり、我が家も一応の落ち着きを取り戻した。

3日までは「娘に風邪等引かせちゃあならん!」と結構神経を使っていたもので、一日過ぎた今日などは「もうどーにでも好きにして」状態である。

大きな荷物を一つ下ろしたはずなのに体調は相変わらず。
くらーりくらーり、頭の中だけ地球の自転が速き如く、自律神経特有のめまいに悩まされている。

朝起きてから洗濯だけはしたものの、後はぐうたら娘の遊び相手をしたりして一日を過ごしている。
昼食などホットケーキだった。(笑)

掃除は見て見ぬ振り。
気にしていたらきりがない。

買い物にも出かけたくないし、今夜はまた卵料理だろう。

こんな調子でもう1週間。
そろそろ嫌になってきている。

激鬱だけは薬の力で解放されたが、体の方は全くの変化なし。(涙)

旦那の8日間の出張の間に横浜の友人の家に遊びに行こうと計画を立てていたのだが、今はそれすら危うい感じ。

今はひたすら養生に徹して、体の回復を図っている。

自分の事は置いといて、昨日の生活発表会。
アリスに扮した我が娘、親ばかだと言われ様とたまらなく愛らしかった。

水色のフリフリワンピースに白いエプロンドレス。
赤い大きなリボンを頭に乗っけて躍る我が娘。

旦那は一番前でムービーを撮っていたが、きっとその目尻はビロ〜んと下がっていた事だろう。

あの場にいたパパさんの殆んどがそうだとは思うが・・・。

すべての衣装を手作りしてくださった先生に感謝&お疲れ様!

発表会お開き後、2時前に家に帰り着き昼食を食べた後死んだように眠った。
起きたら6時半だった。

旦那が散髪に行った事も、娘が昼寝をした事も知らず、ひたすら眠った。

PTAのような場は想像以上に神経に大きなダメージを与えるらしい。

旦那には死んだように眠る姿を見て、そんな私のしんどさが少し解かって貰えた様だった。
「もう終わったから良うなるよ」とだけ言って頭をなでてくれた。

春がゆっくりやって来るように、こちらも少しづつで良い。
ゆっくりと私の病気も良くなるといいな。

梅の花見はとうとう出来なかった。

激鬱

2002年3月1日
さらに体調悪化。

しばらくは寝たきりか?

いやいやそんな事はしていられない、と最後の力?を振り絞って病院へ。

旦那が見るに見かねて、「仕事に出かけるついで」と言って病院まで車で送ってくれた。

ま、これくらい当然よね。

診察の結果「季節の変わり目にまだ体が追いついていない」とのたまう慶子先生。

春先にありがちな事らしいが、それじゃぁ北半球の哺乳類はみんなこの時期よたよたしているのか?と問いたくなる。

んなことはなかろー!が。

結局薬の力に頼るしかなく、抗鬱剤、抗不安剤共に増量された。(涙)

くらくらする頭だけでも何とかしたいと「足底マッサージ」に望みを掛けてみるが、今回は効果なし・・・・。

あぁ、2500円も投資したのに・・・・。

夕方から精神的にもうダメダメモード。

「もう×にたい・・・」
究極の泣き言が出る。

鬱病になった人間にしか解からないであろう絶望感、厭世感。
鬱神と言う憑き物が本当に存在するならば憑依されたとしか思えない。

旦那が家を空ける6日までに何とか回復しなければ・・・と言う焦りも手伝って、ますます深みに嵌ってゆく自分。
解かっていてもどうにも出来ない。

娘も不安そうだ。

「お母さん生活発表会来てくれへんのかなぁ?」
旦那に尋ねていた。

あと少し、あと少し、薬の力で良いから2日間だけ力を持たせて欲しいと願う。

3日の生活発表会、「不思議の国のアリス」に扮した娘が見たい。
今はそれだけで踏ん張っている。

どつぼ・・・・

2002年2月28日
体調最悪である。

とにかくめまいがどーにもこーにも去って行ってくれないっ!

めまいがするから、自然気分も落ち込んでいく。

良くないパターンだが、今回はお手上げ。
仕方なしに家に閉じこもる「自発的軟禁状態」。

去年の夏もこんな感じだった。
ほぼ一夏、「めまいが〜・・・」、「気分が〜・・・」と言って殆んど家から出られなかった。

またこれかよ・・・とびくびくしつつも、負けちゃあいけないなという気もある。

百貨店の催事、面白そうな着物関係のお店、果ては梅見まで、行きたい所はたくさんあれどもどうにも体調がすっきりしないので、今月は行けず終いになりそうだ。

鬱病とももう3年越しの付き合いになるので、大体の体調不調の原因は察しが付くようにはなって来ていたのだが、今回も原因不明。

外に出られない鬱憤を友人との長電話で晴らしている。
ターゲットは大概Fさんだ。

裕に3時間近く話しつづける事などざら。
途中で昼ご飯も食べながら話す事もある。
ご不浄だって行っちゃう。

大概大した事は話していない。
アフガン情勢が話題に上る事などまず無いし、いいとこ田中真紀子氏更迭の話題くらいかな堅い話っても。
3時間の殆んどはくだらない話だが、そのくだらない話で大笑いして何とか心のバランスをとらせて貰っている。

そうでなければ落ち込む事甚だしい。

夕べはとうとう涙が止まらず大泣きしてしまった。

原因が解からないめまいへの苛立ち。
やらなければいけない仕事が出来ない事への自責の念。
病気の先行きの不安。
子供に悪影響を及ぼしているのではないだろうかと言う危惧。

頭の中がパニックになって涙が止まらなかった。

良い日があれば良くない日もある、それは充分に解かっているつもりだ。
それでもそんなに私は強い訳じゃぁない。
やっぱり凹む。

誰かに優しい言葉をかけてもらいたい。
大丈夫だよと肩を抱いてもらいたい。
側にいるよといってもらいたい。

これは甘えなんだろうか・・?

それより亭主持ちの自分がこんなことを書かねばならない、つまりこんなささやかな願いが満たされてないって、こっちの方が大問題だとは思いませんか?

ストレス

2002年2月26日
土曜日の夜、旦那様1週間ぶりのご帰還。

大量の洗濯物と、疲れは隠せないけれど我が家に帰ってほっとした顔を持って帰ってきてくれた。

娘は狂喜乱舞の「遊んで!攻撃」。
「お父さん、お父さん!」とまとわりついて離れない。

うーん、私にはあんまり我がまま言わないのに、旦那だとどうしてこうも感情をストレートに表すんだろう。
母親としてちょっと考えさせられるなぁ・・・。

お土産は私には羊羹(あのなぁ・・・)、娘にはきな粉餅。
2人の好みに合わせて買って帰るなんて、なんと芸の細かい事。
この人らしい。

しかしやれやれやっと帰って来れた、と喜んでもいられない。

旦那には3月15日までに「確定申告」という大仕事が待っており、そのための様々な雑務が山積み。

おまけに申告締め切りまでに作成、郵送すればいいはずの申告書、今年はまた3月の6日から10日ほど出張の予定なので、6日まで作成しなければならない。

私は経理には全くタッチしていないので、旦那一人で帰ってからの毎日、夜遅くまで領収書の整理、計算など書類の作成準備をしている。

何も出来ない(役に立てない)自分。
また長期にわたる旦那不在期間への不安。

そんな様々なストレスが元で体調を崩してしまった。

吐き気とめまい。
また寝込む羽目となった。

精神的にとてもきつい状態がつづいている。

これならまだ旦那不在の1週間、娘と2人少し不安だけれど気楽にやっていたときのほうが良かった気がする。

働いてくれている旦那には申し訳ないけれども・・・。

体調を崩した私にシンクロしてか、娘も機嫌が悪い。

彼女も3月3日の生活発表会に向けての不安があるらしい。

「まだ上手くグロッケン弾けないのに、発表会早過ぎるー!」
と娘にしては珍しく弱音を吐いている。

舞踊劇も今年は主役の一人で、その責任の大きさも感じ始めている。

「大丈夫だよ、一生懸命にやればいいんだよ」と慰めてはいるが、こちらも「その日までに風邪を引かないだろうか?」と言う不安があり、ぴりぴりしている。

我が家には今「ストレス」と言う名の大きな渦が部屋中に渦巻いている。

ストレスを軽減させてくれると言う「マイナスイオン発生器」君、君の出番だ!

今が正念場だ、頑張ってくれよ!

女性美?

2002年2月24日
久しぶりに絵画展に行った。

姉が誘ってくれたので行かずばなるまい・・・。
・・・逆らえんもん。

ところが、10時開館の美術展に9時集合というきつーいお達しがきた。

何でも10時に行くと1時間待ちになってしまうくらいの込み具合なそうな。
「ルーブル展」以来の込み具合だな、それは・・・。

かくして土曜日だというのに普段より早起きをしないとならない羽目となり、前日から準備万端整え、起きると同時にダッシュで支度をして、神戸へと向かった。

当然ながら絵画には全く興味を示さない5歳児、バブも一緒である。

9時前に神戸には着き(ホッ)姉の到着を待つと、あちらさんも同様、絵画などへっ?の7歳児の甥と、中学生の姪を同伴していた。

先行き暗澹たる状況・・・。

案の定待ち時間に7歳児ぐずる。
会場に入っても「面白くないー」の連発。

そりゃそうやろ。

我が娘5歳児は退屈こそしていなかったものの、106センチの身長では人込の中、まともに絵など見られる状況じゃーない。
揚句、必殺「お腹痛い攻撃」が出、トイレに走る羽目に・・・。

お陰で後半の写真展は見られなかった。(泣)

小1時間かけてゆっくり絵画を見せてもらい、会場の外に出ると噂にたがわぬ混み具合。
延々、駅まで人並みは続く。
・・・・あれじゃ二時間待ちだな。

この絵画展、某宗教団体が運営する美術館の絵画の全国展だけに、熱心な信者の方がたくさん来館される。
まああの列の70%は信者の方と見ていいと思う。
ご多分にもれず我が姉も信者の一人である。

それゆえ普段絵画にはつゆとも興味を示さない姉が、2度も絵画展なぞに足を運ぶのであるから、宗教団体自体を批判するわけではないが、宗教の力の恐ろしさと言うか絶大なる力の大きさを改めて感じ入った。


さて絵画展、それ自体は素晴らしい作品が並び、私のような素人?でも充分に楽しむ事が出来た。

私の好きな「エリザベート」の肖像画も展示されており、写真でしかお目にかかれないはずの肖像に生で対面する事が出来、大変満足であった。
「女性美の500年」、素晴らしい絵画展だと思う。

しかし退屈の極みの7歳児、このあとも母親達に買物に付き合わされ至極ご機嫌が悪かった。
自分の子供だったら拳骨の一つもお見舞いしていたであろう。
しかし姉の大事にしている末っ子である。
そこは我慢我慢・・・。

おかげで途中具合が悪くなってしまった。

過度のストレスにはやっぱりまだ耐え切れないようだ。
我慢せずに殴るべきだったか・・?

姉と姪っ子はまだゆっくり買物などをしたかったようであるが、7歳児の「帰ろー!攻撃」に屈し姉家族とは3時過ぎにはお別れとなった。

我が5歳児の娘は、母親の我が儘で引き摺り回されるのには慣れているので、そのあとも難波高島屋まで文句も言わず付き合ってくれた。

電車の中ではやはり疲れたか、私の膝を枕に眠っていたが、それもまた愛おし。

しかしこの日この後、いたる所で見ず知らずの方に声を掛けられる。

この日のいでたちは、
母「綸子の着物&紫の道中着」お水風。
娘「ピンクのスカート&うさぎの耳付きコート」学芸会風。

完璧なるコスプレ親子であった。
無理もないか・・・・。

これも女の特権、女性美である。(笑)


銘仙

2002年2月22日
という着物をご存知だろうか?

戦前戦後にお嬢様の日常着、庶民の晴れ着として当たり前に着られていた着物らしい。

友人のFさんはご自分で「銘仙フェチ」と公言して憚らないほど、この銘仙にはまってらっしゃる。

私は・・・と言えば、一応何枚かは持ってはいるがそれほどこだわってはいない。
アンティーク物も面白いが、それを着こなせるセンスがないのが悲しい所だ。

現代の着物の面白さ、アンティークの面白さ、人それぞれ好みはあろうが、私が着物を選ぶ基準として
銘仙かどうかにかかわらず、気に入った色柄か、着る機会は多そうか、のほうがまず第一なもんで。

あと、価格も・・・。これ大事!

それでも昨日は「たまには良いかなー」と、本当は売り飛ばすつもりでいた銘仙を引っ張り出して、京都の弘法さんに着て行った。

ここは古着の宝庫である。
だからちょっとアンティークともいえる銘仙(紫の矢絣もよう)を選んだのだ。

これに長羽織、半巾帯、別珍の足袋、下駄。
ちょっとアンティーク風?にコーディネート。

ところが行ってみて気が付いたのだが、このいでたち、かなり人目を引くらしい。

まず古着屋のおっちゃんに「面白い着方しとんなぁ」と声を掛けられ、
知らないおばちゃんに「あれ銘仙やんか」「今時あんなん着る人もおんやなー」と陰口を叩かれ、
古着屋のお客さんに「これが銘仙かいな、触らせて」と触られまくられ、
古布屋のおっちゃんにも触られ、
終いには「大正ロマンやなー、でもその着物には草履でないと」と下駄にけちをつけられ・・・・、
いやはや、驚きやした。

これにいつも耐えてるFさんってすごいかも・・・。

お陰で買物どころではなく、色んな人に声を掛けられまくり着物談議に花が咲いた。

「これから着付けを習うんですが、どんな着物がいいか見てくれませんか?」と、明らかなる人選ミスと思われる相談も持ちかけられた。

着物を着ている人間だからって、貴方、それは無謀というものですわ。

この方には「私よりきっと着物にお詳しいであろう、側にいたきっと世話好きのおばちゃん」をご紹介しておいた。

きっと薀蓄をたっぷりたれて無難路線の着物を選んで下さったことだろう。

私に出来るのは、その方の裄を計って「これ位の裄丈があるものを選ばれては?」とアドバイスする事くらいだ。

着物が好きだからといって、残念ながら私には人様に何かをお教えできるほどの知識も、またセンスも持ち合わせてはいない。

控えめに言って、「今その勉強中です」というところだろう。

だからって誰もその道の一目置かれる人間になってから着物を着るわけじゃーない。

着ている内にそれがきっかけで人様に教えてもらえる事もあるだろうし、着物好きの仲間が出来ればその仲間同士で学ぶ事もあるだろう。

今私に出来るのは「着物が好きで着ていますよ」とアピールする事くらい。
そっから始まる事が楽しみなのだ。

下手でも着てみる。
自分がどう着れば気持ちいいか。

そこから勉強は始まる。


旦那出張3日目。

今のところアクシデントは起きていない。
いまだ娘はおもちゃに夢中である。
ありがたい、ありがたい。

このおもちゃ、「○カちゃんになりたい」と言うタイトルのゲームなのだが、これがなかなか女の子の心をくすぐる代物で、娘はこれに夢中である。

まず着せ替え、お化粧、お手伝い、部屋の模様替え。

こんなにお手軽に出来るもんならいいのになー、と側で見ていてそう思う。

家具の異動がマウスで出来てしまうんだからね。
おまけに家具の色の塗りかえだって、クロス替えだって、フローリング張りだって、クリック一つで出来てしまう。

天井のシミがなー・・・と永年思っている私には、このゲーム羨ましくてしょうがないよ。

極め付きは変身ゲーム。

ウェディング、スッチー、アイドル、なんでも変身可能。

ウェディングなんて何度でも出来るし、衣装も変え放題、相手もハンサムだ。
これも結構はまる。
自分の顔をはめ込みたいくらいだ。

ゲームに夢中で晩御飯の時間も惜しいらしい娘。
人生はそんなにお手軽じゃないんだよ!と教えた方がいいものか・・・悩む親。

ま、とりあえず今は楽しんでくれ。
いずれ解かる事だからね。
泣いて覚える事もある。

1週間スタート!!

2002年2月18日
今朝旦那が広島に向けて出発していった。

朝5時半、旦那との1週間のお別れ・・・・。

「あなぁたぁ〜〜〜」涙、涙、涙。。。。。。。、ってな事はなく、淡々とベランダから手を振り、
「おー!さぶっさぶっ」と言いながら家の中にとっとと入ってしまった。

淋しいより何より、あまりの寒さの為に目が覚めてしまい、2度寝が出来なかった事が悔しかった・・・。
涙。。。。。


さて旦那の不在第一日目の夜を迎えたわけだが、今のところあまり不自由は感じていない。

娘の晩御飯が長いので、その相手をするのがちょっと面倒なくらいだ。

この娘、酒飲みかと思うほど食事に時間が掛かる。

将来がとても楽しみなのは良い事だが、今はもう少し早く食ってもらいたい。

件の旦那からは早々と夕方に電話がかかってきた。

酔っぱらって情けない愚痴を吐く前に・・・ってなところだろうか。(笑)

1泊2食付き、5500円也の宿。
晩御飯は期待できなさそうだ。

ま、それくらいが丁度良いのだ。

なまじ晩御飯が豪華だったりすると、酒がすすみ宿泊代より高い酒代を払う羽目になるのだから。

娘は昨日のうちに旦那がたーんとおもちゃを買い与えて行ってくれたので、今日はそのおもちゃに夢中であまりこちらには話し掛けてこない。
ありがたや・・・。

さて後は最後の難関、風呂が済めば私の本日の業務は完了だ。

無理せず行こう。
先は長い。
今年もやってきましたなー、バレンタインデー。

バブルの頃はチョコを買いあさる生命保険の勧誘のおばちゃんやら、えびで鯛を釣る作戦で義理チョコを買いあさる女子社員が、TVニュースに大々と登場したものだが、昨今の不景気を繁栄してかそちらの売上はさっぱりだそうな。

夕方のTVでも「女の子が義理チョコに使う金額は?」と言う質問に

「5000円くらいでしょうか。」
「いや1000円くらいになっとるかもしれませんで。」

などと男性コメンテーターが答えていたが、回答が書かれたたボードには「633円」と情けない数字が燦然と輝いていた。

うわぁ・・・。

いやはや、「義理チョコ」と言う言葉ももうじき死語になるんかも知れないなと、そのボードを見て私は思ってしまったよ。

かくなる我が家も本命チョコだけだった。

旦那に1個だけ。

しかし「えびで鯛を釣ろう」と言うしたたかさはまだ健在なので、まだまだ私も女として枯れてはいないらしい。

娘こそまさに「えびで・・・」の典型。

パパに100円のチョコをあげるだけで、それがうん千円のおもちゃに化けるのだから、親父とは面白い生き物である。

嫁の私など、今年は生協でチョコを購入するという体たらく。
生協の荷物を受け取った旦那には、2週間も前からバレまくりだ。

プレゼントを買う気も暇もなかったので、一応気持ちとして今夜はご飯を食べにいった。
しかし行き先はチープなレストラン。

結婚7年目ともなればこんなもんである。

しかしそのチープなレストランは満席状態!
しかもカップル多し。

やはりバレンタイン効果か?


ともあれ婚約時代とは違い、静かに過ぎてゆくイベントに成り下がった我が家のバレンタイン、今年もなんと言う感情もなく終わった。

後はホワイトデーにどんな鯛が釣れるかだが、ここ数年旦那は手ぶらで帰って来、嫁に激怒されて後日改めて高い物を買わされると言う現象が起こっている。

今年もこの手がおいしいのだが・・・。

なんでって、あーた。
センスのない旦那に何かプレゼントを買って来られたりしたら、捨てるに捨てられない物が増えるだけですからねー。(笑)

婚約時代のプレゼントで懲りましたもん、私。

いや、彼には是非今年も手ぶらで帰ってきてもらいたいんですわ。

しかし、ホワイトデーである3月14日って旦那の誕生日なのよね。

下手すると「えびで鯛」どころか、「食い逃げ」ってやつもやられかねないなぁ・・・。

うーん、誕生日ってやつは大きなトラップですわ。



ああ・・・

2002年2月13日
昨日旦那から告白された。

告白ったって、「あの、あのずっと好きでした」(おいおい!いまさら)とか、「実はよそに子供が・・・」(そんな甲斐性はなかろう)とか、「借金が・・・」(これはなくもないか)とかではなかった。

来週一週間広島に出張に出かけるので、しばらく留守にするって話だった。

「へ?」
「3月やったんちがうん?」

「うん、急にはやなってん」

「ふ〜ん、そうかぁ〜」

結構淡々と受け止めているように感じられるかもしれないが、実は結構動揺していた。

うちは娘のお遊び相手担当主任を旦那に任せているので、彼がいないと全部こちらに降りかかってきて、それはそれで結構面倒なのだ。

遊び相手ったって5歳の子供には「食事」「風呂」「幼稚園の送り迎え」一日の殆んどが遊びだ。

つまり旦那は仕事から帰るとすべての娘の世話をさせられてるって仕掛けになってて、これをお母ちゃん業と兼業せねばならないってのはかなりきつい。

あ、憂うつ・・・。


それでも以前よりはこんな場合の気持ちの持ち方は、随分お気楽になった方だと自分でも思う。

2年ほど前だったら多分その間は実家に帰ってただろうし、去年は1週間のうち一度は自宅に帰ってもらうという強行軍を彼に強いていた。

今年はどうだろう?

今のところ不安ながらも「何とかなるかなぁ・・」くらいの気持ちで居られるが、直前になるとまた泣きが入るかも知れない。


よそ様のお宅より、私は旦那に依存している所が多いように思う。

「旦那依存症」
私はそれをそう呼んでいるが、旦那なしでは生きていけない人間だ。

鬱病になってそれは以前より増して強くなった。

入院させる事を医者がためらう位にその依存度は酷かった。

今も一日に一度は携帯に電話を入れる。
他愛もないことをほんの数分話すことで気持ちは落ち着くのだから、彼の癒し効果は絶大だ。

結婚した手の頃のらぶらぶな感情とはまた違う感情だと思うが、私には彼の手が必要。

じーちゃんばーちゃんになってもずっと一緒に居たいと思う。

らぶらぶであればなおいいが・・・それは無理な話と言うものだろう。(笑)


さて来週1週間、その間にSOSを出さずに済むか?

それが私の病気の治癒度合いのバロメーターになる。

久々外出なり。

2002年2月10日
ちょっとへこむ事があって、着物もお出かけもお休みしていた。

やっと昨日あたりから外に出る気になったので、娘のバブを連れて久々の梅田に。

世間様では土、日、月と3連休らしいが、我が家では旦那が仕事に出るため、その賑わいとは無縁なり。あ、さみし・・・。

しかしながら3日も家でおこもりはいただけない。
煮詰まってしまうのだ、娘との間が。

ま、欲しかった本が紀伊国屋にあることを確認したことだし、って事で着物を引っ張り出してお出かけと相成った。

電車の中でミュウ家の「お出かけ時お約束」を娘に復唱させる。

1.泣かない!・・・・・(うざったいから)
2.ぐずぐず言わない・・・・(同じくうざったいから)
3.あれ買ってこれ買って言わない・・・(貧乏な時が多いから)
4.知らないおじさんに付いて行かない・・・(当たり前と言えば当たり前、身代金が払えないから)
5.トイレは早めに言う・・・(もらしても替えのパンツを買う金がないから)
6.道に出るときはお母さんと手をつなぐ・・・(娘に当たり屋はやらせていないので)
7.お母さんが帰ると言ったらすぐに帰る・・・・(米を洗う都合)

他にもこまごまと行き先に応じて色々あるが、毎回言わせるのはこのくらい。

これを大きな声で電車の中で復唱すると、8番目の「電車の中では静かにする」と言うお約束のトラップに引っかかる仕掛けになっている。
嫌な親だ・・・。

梅田の本屋で目的の本を買ってからは別に予定もないので、遅めの昼食を摂りに32番街へ。

ここで娘の「肉が食いたい攻撃」にあう。
肉が食いたいのは良いのだが、娘は料理の名前がまだ良く解からないので、ステーキなのかしゃぶしゃぶなのかトンカツなのかがはっきり解からない。

まさかビーフストロガノフでもなかろうし・・・。

とにかく実物を見せてチョイスさせる。

母の懐を案じてかステーキではなくとんかつ屋の前で足を止める娘・・・良い子だ。
奮発してデザートを頼んでやった。

そのあとは母の買物に引きずりまわしの刑に処され、多分2キロ以上は歩いたと思うが、我が娘文句も言わず「お散歩」と言いながらあちこちの店を見て回る。

梅田界隈もちょっと探せば面白い店に出会える。

変わったアンティークショップを見つけたので、トパーズの指輪をお買い上げ。

出来た(過ぎた)娘はこちらは何も言っていない内から「お父さんには内緒やね!」と大きな声でのたまい、店主殿の失笑を買う。

これが店主殿との距離を縮めてくれたか、しばし店主殿と談笑、他の面白そうな店を教えてもらえた。


子供連れの外出は面倒。
荷物は多くなるし、時間の心配もしないといけない。

確かにそう思う場面は多いけれど、子供が緩衝材になってくれて場が和む場合も多い。

一緒に外出するとそれまで気がつかなかった子供の成長に驚かせらりたりもする。

この間もカタカナを読んでいる娘に「いつ読めるようになったん?」と尋ねたくらいだ。
いやはや呑気な親である。

そんなこんなで、これからもこの娘との珍道中は大いに繰り広げられるだろう。
些細なお出かけにおいても、長い人生においても・・・だ。

流行りもん好き

2002年2月6日
何処にでもありそうな話だが、我が夫はかなりの新もん好きである。
珍しいものはすぐにマイパソコンでリサーチ、させる。

自分でしないところが味噌だ。

なぜなら彼のリサーチは時間がかかる。
ゆうに私がやった場合の3倍はかかる。


ある日、たまたま見た某TV番組「あ○あ○大辞典」でマイナスイオンが体に良いと言っていた。

血がさらさらになる。
ストレスが解消される。
あと部屋の空気をきれいにする・・・らしい。

私も健康グッズが大好きなので、マイナスイオン発生器なる物かなり興味を持った。

早速リサーチを夫に命ぜられる。
そのあとは電気屋に赴き実際に手にとって見て試しあれやこれやと調べ、そして買わない。

これが我が家のいつもの光景だ。

つまりリサーチだけで満足してしまい、結局は買わないのだ。

スカイウォーカーしかり、ホームベーカリーしかりである。

しかし今回は「自律神経に良い効果を生み出す」との謳い文句にまんまと2人して乗ってしまった。

鬱病の私には強い自律神経症状が出る。
めまい、焦燥感、不眠、疲労感などなど。

夫が私の体を思いやったか、何か心にやましい事があったのか真相は定かではないが、夫もほだされてしまった。

お買い上げ〜!である。

東急ハンズで9800円なり。
我が家には珍しく高い買物だ。

さて、件のマイナスイオン発生器、家に帰って早速取り付けたのだが、ここで夫婦2人はたと気が付いた。

マイナスイオンは目に見えない・・・。


つまりこの発生器きちんと作動しているのか(マイナスイオンを出しているのか)全く解からないのである。
う゛ー、困った・・・・。

これでは故障しているのかも、もっと言えば不良品で最初から作動していないのかも、使用している人間には解からないのだ。

ストーブなら暖かい、換気扇なら空気が吸い込まれる、そんな実感がないものを9800円も出して買ったのだ。
これこそ大博打ではなかろうか?

東急ハンズを疑うわけではないが、私のストレスがなくなり毎日にこやかな笑顔になるか、旦那と私の血がさらさらキレイになり日本人の長寿記録を更新するか、どちらにしても長い話になりそうだ。

うちの旦那が「次はマイナスイオン検査器を買おう!」と言い出したりはすまいか、内心びくびくしている私である。


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